「アサヒシューズ」の版間の差分
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|事業内容=ゴム履物・革靴の製造、販売 |
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|代表者=佐藤 |
|代表者=佐藤栄一郎(代表取締役社長)<ref name="mainichi-np-2015-3-31">宗岡敬介(2015年3月31日). “アサヒコーポレーション:9期連続の減収 国内生産7割へ”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref> |
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|資本金=8億4千万円 |
|資本金=8億4千万円 |
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|関係する人物=[[石橋徳次郎]]<br />[[石橋正二郎]] |
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|外部リンク=http://www.asahi-shoes.co.jp/ |
|外部リンク=http://www.asahi-shoes.co.jp/ |
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|特記事項=[[1998年]]に[[会社更生法]]申請。 |
|特記事項=[[1998年]]に[[会社更生法]]適用申請、2017年更生手続終結。 |
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'''アサヒシューズ株式会社'''は、日本の[[靴]]メーカー |
'''アサヒシューズ株式会社'''は、日本の[[靴]]メーカー。本社は[[福岡県]][[久留米市]]<ref name="mainichi-np-2015-3-31" />。世界最大のゴム・[[タイヤ]]メーカーである「株式会社[[ブリヂストン]]」の源流でもある。 |
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== 概要 == |
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[[ムーンスター]](旧:月星化成)、[[アキレス (化学工業)|アキレス]]等と並んで、ゴム靴メーカーとして知られている。国内では数少ないVP製法(直接[[加硫]]圧着式製法)の靴底製造を行える会社でもある。久留米市ではムーンスター、ブリヂストンとあわせて「ゴム三社」と呼ばれている。 |
[[ムーンスター]](旧:月星化成)、[[アキレス (化学工業)|アキレス]]等と並んで、ゴム靴メーカーとして知られている。国内では数少ないVP製法(直接[[加硫]]圧着式製法)の靴底製造を行える会社でもある。久留米市ではムーンスター、ブリヂストンとあわせて「ゴム三社」と呼ばれている。 |
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[[1998年]]3月に[[倒産|経営破綻]]し、[[東京地方裁判所]]に[[会社更生法]]適用を申請するが、東京地裁では倒産案件が膨大で迅速な受理が望めなかった。そのため[[久留米市]]に本社を再移転させ[[福岡地方裁判所]]に会社更生法適用を改めて申請。この年は株式会社創立80周年にあたるが、記念行事は取りやめを余儀なくされた。当時操業中だった製造子会社6社のうち、アサヒゴム加工及び西南旭の2社はその後生産を再開したが、北海道アサヒを含む4社は自己破産し清算に至った<ref>1998年10月27日付西日本新聞掲載記事「アサヒ靴 子会社辛酸」</ref>。これらを含め、関連企業や取引先等の倒産は全国で52社に及んだ<ref>1998年12月2日付朝日新聞西部本社版掲載記事「アサヒ靴の一年 2」</ref>。2001年に更生計画が認可され、再建にあたっては取引先の[[三井物産]]や[[サンリオ]]など15社から出資等の支援が行われた<ref name="kosei">2001年3月30日付西日本新聞夕刊</ref>。また、かつて関連会社だったブリヂストンの久留米市内の工場からも人員受入れ等の形で協力が行われた<ref name="asa1998">1998年4月8日付朝日新聞西部本社版夕刊</ref>。 |
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[[1998年]]に[[会社更生法]]を申請しており、現在は更生会社である。2012年4月の管財人の会見では、2017年を目処に更生債権を完済して更生計画を終結させる予定と説明されていた<ref>[http://www.posty.co.jp/np/atcl/?id=1338180259-170187 アサヒコーポレーション11年12月業績は不採算商品から撤退 減収減益に] - ゴム報知新聞(2012年4月9日)</ref>。 |
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2016年12月には弁済を終え、2017年3月、福岡地裁から会社更生手続の終結決定を受けた<ref name="yomi2017">{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20170331-OYS1T50002.html|title=「アサヒシューズ」で再出発 更生手続き終結|newspaper=読売新聞|publisher=読売新聞西部本社|date=2017-03-31|accessdate=2017-04-01 <!--|archiveurl=http://archive.is/2017.04.01-081949/http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20170331-OYS1T50002.html|archivedate=2017-04-01-->}}</ref>。 |
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1988年6月の[[コーポレートアイデンティティ|CI]]採用により日本ゴム株式会社から株式会社アサヒコーポレーションに改称するが、企業イメージを明確にするため、2017年4月にアサヒシューズ株式会社へと再改称した<ref name="rename">{{Cite web|url=https://www.asahi-shoes.co.jp/topics/detail/masterid/14/|title=社名変更のお知らせ|publisher=アサヒシューズ株式会社|date=2017-04-01|accessdate=2017-04-01 <!--|archiveurl=http://web.archive.org/web/20170401062215/https://www.asahi-shoes.co.jp/topics/detail/masterid/14/|archivedate=2017-04-01-->}}</ref>。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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* [[1892年]] - [[石橋徳次郎]]が久留米市において仕立物業「志まや」を創業。[[足袋]]の製造を始める。 |
* [[1892年]] - [[石橋徳次郎]]が久留米市において仕立物業「志まや」を創業。[[足袋]]の製造を始める。 |
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* [[1914年]] - [[商標]]として長年使われる、[[太陽]](朝日)を背に波を打つマークが採用される。このマークは、[[アサヒビール]]の初代シンボルマーク(社章)と少し似ている。その後、アサヒビールは波の位置をシンボルマークの下側に変更した。 |
* [[1914年]] - [[商標]]として長年使われる、[[太陽]](朝日)を背に波を打つマークが採用される。このマークは、[[アサヒビール]]の初代シンボルマーク(社章)と少し似ている。その後、アサヒビールは波の位置をシンボルマークの下側に変更した。 |
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* [[1918年]]6月 - 法人に改組し |
* [[1918年]]6月 - 法人に改組し'''日本足袋株式會社'''を設立。二代目石橋徳次郎が社長、その弟の[[石橋正二郎|正二郎]]が専務取締役にそれぞれ就任。 |
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* [[1922年]] - 貼り付け式[[足袋]]([[地下足袋]])発売。 |
* [[1922年]] - 貼り付け式[[足袋]]([[地下足袋]])発売。 |
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* [[1927年]] - [[久留米大学|九州医学専門学校]]設立にあたって、旭町に所有していた社宅用地の敷地の一部や校舎、設備等の寄贈を行う。 |
* [[1927年]] - [[久留米大学|九州医学専門学校]]設立にあたって、旭町に所有していた社宅用地の敷地の一部や校舎、設備等の寄贈を行う。 |
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* [[1930年]] - [[タイヤ]]部により純国産タイヤ第1号が生まれる。 |
* [[1930年]] - [[タイヤ]]部により純国産タイヤ第1号が生まれる。 |
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* [[1931年]] - タイヤ部門を分社化し「ブリッヂストンタイヤ株式會社(現・株式会社[[ブリヂストン]])」設立。(純国内資本であるタイヤ製造業の嚆矢<!--ダンロップは当時イギリス資本、横浜ゴムは一部米BFグッドリッチの出資-->) |
* [[1931年]] - タイヤ部門を分社化し「ブリッヂストンタイヤ株式會社(現・株式会社[[ブリヂストン]])」設立。(純国内資本であるタイヤ製造業の嚆矢<!--ダンロップは当時イギリス資本、横浜ゴムは一部米BFグッドリッチの出資-->) |
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* [[1937年]]4月 - |
* [[1937年]]4月 - '''日本ゴム株式会社'''に社名変更。 |
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* [[1947年]]7月 - 本社を[[東京都]] |
* [[1947年]]7月 - 本社を[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]へ移転。<!--旧[[麻布区]]?--> |
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* 同年10月 - 輸出再開。 |
* 同年10月 - 輸出再開。 |
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* 同年 - 二代目石橋徳次郎保有の日本タイヤ(ブリッヂストンタイヤから[[1942年]]に社名変更)株式と石橋正二郎保有の日本ゴム株式を交換し、 |
* 同年 - 二代目石橋徳次郎保有の日本タイヤ(ブリッヂストンタイヤから[[1942年]]に社名変更)株式と石橋正二郎保有の日本ゴム株式を交換し、 |
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::両社間の資本・経営関係を分離<ref name=asa1998 |
::両社間の資本・経営関係を分離<ref name="asa1998"/>。 |
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::[[財閥解体]]による株券差し押さえを免れる。 |
::[[財閥解体]]による株券差し押さえを免れる。 |
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* 同年12月 - 石橋正二郎が[[代表取締役]]を辞任。 |
* 同年12月 - 石橋正二郎が[[代表取締役]]を辞任。 |
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* 1950年12月 - [[レッド・パージ]]により62名の従業員が解雇される。 |
* 1950年12月 - [[レッド・パージ]]により62名の従業員が解雇される。 |
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* [[1951年]]6月 - 本社を東京都[[千代田区]][[内幸町]]2丁目1番4号(現在同地には[[中日新聞東京本社]]・[[東京新聞]]がある)へ移転。 |
* [[1951年]]6月 - 本社を東京都[[千代田区]][[内幸町]]2丁目1番4号(現在同地には[[中日新聞東京本社]]・[[東京新聞]]がある)へ移転。 |
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* 1951年9月 - 民間放送による宣伝を開始。 |
* 1951年9月 - 民間放送による宣伝を開始。ラジオ東京(現・[[TBSラジオ]])の[[朝のメロディ]]等の提供を行う。 |
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* [[1952年]]3月 - 九州支店を福岡工場(福岡市[[博多区]][[美野島]]4丁目1番62号)内に移転。 |
* [[1952年]]3月 - 九州支店を福岡工場(福岡市[[博多区]][[美野島]]4丁目1番62号)内に移転。 |
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* 1952年10月 - [[IBM]][[タビュレーティングマシン|パンチカードシステム]]導入。 |
* 1952年10月 - [[IBM]][[タビュレーティングマシン|パンチカードシステム]]導入。 |
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* [[1959年]]3月 - 石橋義雄、三代目石橋徳次郎を[[襲名]]。 |
* [[1959年]]3月 - 石橋義雄、三代目石橋徳次郎を[[襲名]]。 |
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* 1959年6月 - 石橋進一が代表取締役を辞任し、取締役会長に就任。 三代目石橋徳次郎、代表取締役に就任。 |
* 1959年6月 - 石橋進一が代表取締役を辞任し、取締役会長に就任。 三代目石橋徳次郎、代表取締役に就任。 |
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* [[1960年]]5月 - [[仙台]]支店開設、日本全国に販売網が整備される。 |
* [[1960年]]5月 - [[仙台市|仙台]]支店開設、日本全国に販売網が整備される。 |
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* [[1961年]]1月 - 田中寿、副社長に就任。 |
* [[1961年]]1月 - 田中寿、副社長に就任。 |
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* 1961年5月 - 仙台支店新社屋竣工。([[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]本町2-2-5 |
* 1961年5月 - 仙台支店新社屋竣工。([[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]本町2-2-5、のちのアサヒコーポレーション東北営業部の社屋) |
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* [[1964年]]4月 - 三代目石橋徳次郎、代表取締役を辞任。石橋進一、代表取締役に就任。 |
* [[1964年]]4月 - 三代目石橋徳次郎、代表取締役を辞任。石橋進一、代表取締役に就任。 |
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* [[1966年]]10月 - 革靴の生産を開始。「APシューズ」。 |
* [[1966年]]10月 - 革靴の生産を開始。「APシューズ」。 |
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* [[1995年]]3月 - 三代目石橋徳次郎は代表取締役会長に就任。三枝恒夫、代表取締役社長に就任。 |
* [[1995年]]3月 - 三代目石橋徳次郎は代表取締役会長に就任。三枝恒夫、代表取締役社長に就任。 |
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::「夫婦共にアサヒコーポレーションの従業員である場合は、どちらか一方が二年間の休職」などの措置を実行する。その後、三代目石橋徳次郎が再び代表取締役社長就任。三枝恒夫は副社長となる。 |
::「夫婦共にアサヒコーポレーションの従業員である場合は、どちらか一方が二年間の休職」などの措置を実行する。その後、三代目石橋徳次郎が再び代表取締役社長就任。三枝恒夫は副社長となる。 |
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* [[1998年]]3月 - [[ |
* [[1998年]]3月 - [[経営破綻]]。保全管理人が選出される。 |
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::[[東京地方裁判所]]に[[会社更生法]]適用を申請するが東京地裁では倒産案件が膨大で、迅速な受理が望めなかった。そのため[[久留米市]]に本社を再移転させ[[福岡地方裁判所]]に会社更生法適用を改めて申請。この年は株式会社創立80周年にあたるが、記念行事は取りやめを余儀なくされた。 |
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::当時操業中だった製造子会社6社のうち、アサヒゴム加工及び西南旭の2社はその後生産を再開したが、北海道アサヒを含む他の4社は自己破産し清算に至った<ref>1998年10月27日付西日本新聞掲載記事「アサヒ靴 子会社辛酸」</ref>。これらの例を含め、関連企業や取引先等の倒産は全国で52社に及んだ<ref>1998年12月2日付朝日新聞西部本社版掲載記事「アサヒ靴の一年 2」</ref>。 |
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* [[1999年]]12月 - 製品配送体制の効率化のため取引先への製品直接配送を開始。[[佐賀県]][[鳥栖市]]に物流拠点「村田配送センター」を設置<ref>1999年12月9日付西日本新聞</ref>。 |
* [[1999年]]12月 - 製品配送体制の効率化のため取引先への製品直接配送を開始。[[佐賀県]][[鳥栖市]]に物流拠点「村田配送センター」を設置<ref>1999年12月9日付西日本新聞</ref>。 |
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* [[2000年]] - 新製品「快歩主義」シリーズを開発。 |
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* [[2001年]]3月 |
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* [[2001年]]3月 - 小ロットの製品受注に対応するため、刃型の不要な[[ウォータージェット|水圧式]]裁断設備を導入<ref>2001年3月15日付西日本新聞</ref>。 |
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** 小ロットの製品受注に対応するため、刃型の不要な[[ウォータージェット|水圧式]]裁断設備を導入<ref>2001年3月15日付西日本新聞</ref>。 |
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* [[2003年]] - 物流拠点を東京都と久留米市に集約。 |
* [[2003年]] - 物流拠点を東京都と久留米市に集約。 |
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* [[2006年]] - 新製品「アサヒメディカルウォーク」シリーズを発売。 |
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* [[ブリヂストン]]ブランドのスニーカーシューズ |
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* 各アニメ・特撮キャラのキャラクターシューズ |
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** [[ポケットモンスター]] |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
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*[https://www.asahi-shoes.co.jp/ アサヒシューズ株式会社] |
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*[http://www.bridgestone.co.jp/index.html 株式会社ブリヂストン] |
*[http://www.bridgestone.co.jp/index.html 株式会社ブリヂストン] |
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*[http://www.med.kurume-u.ac.jp/med/index.html 久留米大学医学部] |
*[http://www.med.kurume-u.ac.jp/med/index.html 久留米大学医学部] |
2017年4月1日 (土) 08:57時点における版
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | アサヒ靴、アサヒシューズ |
本社所在地 |
日本 〒830-8629 福岡県久留米市洗町1番地 |
設立 | 1892年 |
業種 | ゴム製品 |
法人番号 | 9290001048324 |
事業内容 | ゴム履物・革靴の製造、販売 |
代表者 | 佐藤栄一郎(代表取締役社長)[1] |
資本金 | 8億4千万円 |
売上高 | 116.65億円(2014年12月期)[1] |
経常利益 | 4.83億円(2014年12月期)[1] |
従業員数 | 740名(2013年12月末現在) |
関係する人物 |
石橋徳次郎 石橋正二郎 |
外部リンク | http://www.asahi-shoes.co.jp/ |
特記事項:1998年に会社更生法適用申請、2017年更生手続終結。 |
アサヒシューズ株式会社は、日本の靴メーカー。本社は福岡県久留米市[1]。世界最大のゴム・タイヤメーカーである「株式会社ブリヂストン」の源流でもある。
概要
ムーンスター(旧:月星化成)、アキレス等と並んで、ゴム靴メーカーとして知られている。国内では数少ないVP製法(直接加硫圧着式製法)の靴底製造を行える会社でもある。久留米市ではムーンスター、ブリヂストンとあわせて「ゴム三社」と呼ばれている。
1998年3月に経営破綻し、東京地方裁判所に会社更生法適用を申請するが、東京地裁では倒産案件が膨大で迅速な受理が望めなかった。そのため久留米市に本社を再移転させ福岡地方裁判所に会社更生法適用を改めて申請。この年は株式会社創立80周年にあたるが、記念行事は取りやめを余儀なくされた。当時操業中だった製造子会社6社のうち、アサヒゴム加工及び西南旭の2社はその後生産を再開したが、北海道アサヒを含む4社は自己破産し清算に至った[2]。これらを含め、関連企業や取引先等の倒産は全国で52社に及んだ[3]。2001年に更生計画が認可され、再建にあたっては取引先の三井物産やサンリオなど15社から出資等の支援が行われた[4]。また、かつて関連会社だったブリヂストンの久留米市内の工場からも人員受入れ等の形で協力が行われた[5]。
2016年12月には弁済を終え、2017年3月、福岡地裁から会社更生手続の終結決定を受けた[6]。
1988年6月のCI採用により日本ゴム株式会社から株式会社アサヒコーポレーションに改称するが、企業イメージを明確にするため、2017年4月にアサヒシューズ株式会社へと再改称した[7]。
沿革
- 1892年 - 石橋徳次郎が久留米市において仕立物業「志まや」を創業。足袋の製造を始める。
- 1914年 - 商標として長年使われる、太陽(朝日)を背に波を打つマークが採用される。このマークは、アサヒビールの初代シンボルマーク(社章)と少し似ている。その後、アサヒビールは波の位置をシンボルマークの下側に変更した。
- 1918年6月 - 法人に改組し日本足袋株式會社を設立。二代目石橋徳次郎が社長、その弟の正二郎が専務取締役にそれぞれ就任。
- 1922年 - 貼り付け式足袋(地下足袋)発売。
- 1927年 - 九州医学専門学校設立にあたって、旭町に所有していた社宅用地の敷地の一部や校舎、設備等の寄贈を行う。
- 1930年 - タイヤ部により純国産タイヤ第1号が生まれる。
- 1931年 - タイヤ部門を分社化し「ブリッヂストンタイヤ株式會社(現・株式会社ブリヂストン)」設立。(純国内資本であるタイヤ製造業の嚆矢)
- 1937年4月 - 日本ゴム株式会社に社名変更。
- 1947年7月 - 本社を東京都港区へ移転。
- 同年10月 - 輸出再開。
- 同年 - 二代目石橋徳次郎保有の日本タイヤ(ブリッヂストンタイヤから1942年に社名変更)株式と石橋正二郎保有の日本ゴム株式を交換し、
- 同年12月 - 石橋正二郎が代表取締役を辞任。
- 1948年1月 - 慶応義塾大学教授永田清が代表取締役に就任。
- 1948年3月 - 退職金制度を確立。
- 1950年11月 -九州支店を福岡市中央区天神サンビルに移転。
- 1950年12月 - レッド・パージにより62名の従業員が解雇される。
- 1951年6月 - 本社を東京都千代田区内幸町2丁目1番4号(現在同地には中日新聞東京本社・東京新聞がある)へ移転。
- 1951年9月 - 民間放送による宣伝を開始。ラジオ東京(現・TBSラジオ)の朝のメロディ等の提供を行う。
- 1952年3月 - 九州支店を福岡工場(福岡市博多区美野島4丁目1番62号)内に移転。
- 1952年10月 - IBMパンチカードシステム導入。
- 1953年6月28日 - 筑後川の氾濫により久留米地方大水害(昭和28年西日本水害)。久留米工場約15日間生産不能となる。
- 1953年7月 - 久留米 - 福岡 - 東京間にテレタイプ導入。
- 1954年7月 - 大阪支店にテレタイプ導入。
- 1954年10月 - 福岡工場を閉鎖。本社を東京都中央区京橋のブリヂストンビル内に移転。
- 1954年12月 - 永田清が代表取締役を辞任。
- 1955年1月 - 取締役副社長石橋進一、代表取締役に就任。
- 1956年1月 - 福岡工場を九州松下電器株式会社(現・パナソニック システムネットワークス)に売却。
- 1956年4月 - 埼玉県北足立郡吹上町(現・鴻巣市)にアサヒゴム株式会社を設立。
- 1956年9月 - 久留米工場がJIS工場に指定される。
- 1957年12月 - 大阪府堺市の秋山ゴム株式会社と提携。場所は現・ホテル・アゴーラ リージェンシー堺の敷地。
- 1958年8月 - 二代目石橋徳次郎名誉会長死去。東京青山葬儀所にて社葬。(葬儀委員長は石橋正二郎)。
- 1959年3月 - 石橋義雄、三代目石橋徳次郎を襲名。
- 1959年6月 - 石橋進一が代表取締役を辞任し、取締役会長に就任。 三代目石橋徳次郎、代表取締役に就任。
- 1960年5月 - 仙台支店開設、日本全国に販売網が整備される。
- 1961年1月 - 田中寿、副社長に就任。
- 1961年5月 - 仙台支店新社屋竣工。(宮城県仙台市青葉区本町2-2-5、のちのアサヒコーポレーション東北営業部の社屋)
- 1964年4月 - 三代目石橋徳次郎、代表取締役を辞任。石橋進一、代表取締役に就任。
- 1966年10月 - 革靴の生産を開始。「APシューズ」。
- 1967年2月 - 三代目石橋徳次郎が取締役会長に就任。
- 1968年6月 - 日本ゴム株式会社創立50周年。
- 1970年4月 - 石橋進一、代表取締役を辞任し、取締役会長に就任。三代目石橋徳次郎、代表取締役に就任。
- 1973年3月 - 北海道、北陸地区への総ゴム靴、革靴供給のため北海道アサヒ株式会社設立。
- 1977年6月 - ナイキブルーリボン社と提携。
- 1980年 - この年から1996年までグッドデザイン賞を16年連続受賞。
- 1988年 - 株式会社創立70周年。CI採用により株式会社アサヒコーポレーションに社名変更(社名変更日は創立記念日である6月6日)。
- 1990年11月 - 取締役名誉会長の石橋進一死去。
- 1994年5月 - 三代目石橋徳次郎、藍綬褒章を受章。
- 1995年3月 - 三代目石橋徳次郎は代表取締役会長に就任。三枝恒夫、代表取締役社長に就任。
- 「夫婦共にアサヒコーポレーションの従業員である場合は、どちらか一方が二年間の休職」などの措置を実行する。その後、三代目石橋徳次郎が再び代表取締役社長就任。三枝恒夫は副社長となる。
- 1998年3月 - 経営破綻。保全管理人が選出される。
- 1999年12月 - 製品配送体制の効率化のため取引先への製品直接配送を開始。佐賀県鳥栖市に物流拠点「村田配送センター」を設置[8]。
- 2000年 - 新製品「快歩主義」シリーズを開発。
- 2001年3月
- 2003年 - 物流拠点を東京都と久留米市に集約。
- 2006年 - 新製品「アサヒメディカルウォーク」シリーズを発売。
- 2017年
主な商品名
- ブルックス (BROOKS)
- クーガー (Cougar)
- クーガー・バイオターボ(Cougar Bio Turbo。ジャッキー・チェンがCMを担当)
- クーガー・バイオターボII(Cougar Bio Turbo。同じくジャッキー・チェンがCMを担当)
- アサヒメディカルウォーク
- ケンコウクン
- 快歩主義
- 通勤快足
- ブリヂストンブランドのスニーカーシューズ
- 各アニメ・特撮キャラのキャラクターシューズ
- スーパー戦隊シリーズ(星獣戦隊ギンガマンの初期頃まで)
- サンリオシリーズ(ハローキティ・シナモロール・ウサハナ・スヌーピーなど)
- ポケットモンスター
- かつては、オバケのQ太郎・美少女戦士セーラームーン・カードキャプターさくら・神風怪盗ジャンヌ
など数多くのキャラクターのシューズも発売されていた。
なお、ポケットモンスターやハローキティのシューズの売れ行きによって、会社更生が助けられたとも報じられたことがある。
関連会社
- アサヒゴム加工 - 福岡県朝倉市
- 部材・製品の加工・製造
- 同上
- 出荷製品等の配送・輸送
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 宗岡敬介(2015年3月31日). “アサヒコーポレーション:9期連続の減収 国内生産7割へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 1998年10月27日付西日本新聞掲載記事「アサヒ靴 子会社辛酸」
- ^ 1998年12月2日付朝日新聞西部本社版掲載記事「アサヒ靴の一年 2」
- ^ a b 2001年3月30日付西日本新聞夕刊
- ^ a b 1998年4月8日付朝日新聞西部本社版夕刊
- ^ a b “「アサヒシューズ」で再出発 更生手続き終結”. 読売新聞 (読売新聞西部本社). (2017年3月31日) 2017年4月1日閲覧。
- ^ a b “社名変更のお知らせ”. アサヒシューズ株式会社 (2017年4月1日). 2017年4月1日閲覧。
- ^ 1999年12月9日付西日本新聞
- ^ 2001年3月15日付西日本新聞
関連項目
- 石橋正二郎 - 同会社の実質的な設立者、ブリヂストン創業者。
- ブリヂストン - 同会社のタイヤ部で国産タイヤの試作を行い、その後同社より独立した会社。
- ACジャパン - 会社更生法を申請した後、CMを公共広告機構時代に一時差し替えたこともある。
- 松坂屋 - 法人としては現在の大丸松坂屋百貨店。
- 三菱自動車工業
- アシックス - ナイキ
- 中日新聞東京本社(東京新聞) - 社屋ビルが旧日本ゴム東京本社および東京支店跡地に建設されている。
- テレメンタリー - 1998年にアサヒコーポレーションが会社更生法の適用を申請した際、倒産当時の経営者の実情を九州朝日放送の制作によりテレビ朝日系列で全国放送した。
- ニュースステーション - アサヒコーポレーションが会社更生法の適用を申請して以来、九州朝日放送が同社の動向を定期的に追い、頻繁に放映した。
- 中村玉緒 - 「快歩主義」のCMキャラクター。
- 高島野十郎 - 油彩画「すいれんの池」60号が社員クラブ「アサヒ倶楽部」のサロンの壁に掛けられていた。東京上野の不忍池を描いたものである。二代目社長が高島家と親戚関係にあったため、依頼を受けた高島が特別に描いたものである。倒産時に売却され、アサヒ倶楽部も売却された。この絵は現在福岡県立美術館が所蔵している。
- 塩狩峠 - 三浦綾子作の同名の小説の舞台。ここに夫三浦光世と営んだ雑貨屋の建物が旭川より移築されている。建物入り口軒下の鴨居の上中心に「アサヒ地下足袋、運動靴、ゴム靴」と縦書きされた長方形のホーロー看板が掲げられている。日本ゴム時代のもの。
- 九州朝日放送 - 同社資本の百貨店、旭屋(後の久留米井筒屋)の社屋にラジオスタジオを設け放送を開始。
- ウィンブルドン選手権
- BRITA JAPAN - 同社と同じベルマーク番号「66」で参加。
外部リンク
- アサヒシューズ株式会社
- 株式会社ブリヂストン
- 久留米大学医学部
- 福岡県立美術館(高島野十郎の記述あり)
- 塩狩峠記念館
- 九州朝日放送(沿革)