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==参考文献==
==参考文献==
*自伝 - Woman With Violin, ISBN-10: 0575004738 ISBN-13: 978-0575004733 1970年
*自伝 - Woman With Violin, ISBN 0575004738 ISBN-13: 978-0575004733 1970年
*http://www.jessicaduchen.co.uk/pdfs/other_pdfs/ida-haendel-1986.pdf
*http://www.jessicaduchen.co.uk/pdfs/other_pdfs/ida-haendel-1986.pdf
*http://www.wrightmusic.net/pdfs/ginette-neveu.pdf
*http://www.wrightmusic.net/pdfs/ginette-neveu.pdf

2017年2月11日 (土) 01:16時点における版

イダ・ヘンデル
出生名 Ida Haendel CB
生誕 1928年12月5日
出身地 ポーランドの旗 ポーランドヘウム
学歴 ワルシャワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

イダ・ヘンデルIda Haendel CBE1928年12月15日 - )は、ポーランドヘウム出身のイギリスのヴァイオリニスト。

略歴

幼児期より天才と称せられ、5歳[1]にしてすでにチャイコフスキーメンデルスゾーンなどをものにしたといわれる。ワルシャワ音楽院に学んだ後、ベルリンカール・フレッシュに、またパリジョルジュ・エネスコにも師事した。第二次世界大戦中は、他の多くのユダヤ系ヴァイオリニストと同じく、英軍・米軍のために慰問演奏を行なった。鋭いテクニックと、ニュアンスに富んだ音色が特徴的だが、気品よりは感情表出の激しさによって、女性ヴァイオリニストの中でも一頭地を抜いている。

影響を受けた芸術家として、同郷の先輩ヴァイオリニストのブロニスワフ・フーベルマンや、指揮者ラファエル・クーベリックへの傾倒を語っている。

今なお現役で、テクニックや艶やかな音色にはいささかの衰えもみせてはいないが、1980年代の実質的な活動停止や、録音嫌い[2]、長年にわたって実年齢を伏せてきたことから、「マルツィヌヴーと同世代の伝説の女性ヴァイオリニスト」といわれ続けてきた[3]。先年、ウラジミール・アシュケナージとの共演によるCD制作によって見事な復活を果たし、1998年には指揮者サイモン・ラトルと、2004年にはピアニストフー・ツォンとともに来日も果たしている。現在はカナダ在住といわれるが、住所は公開していない。

ヘンデルはヨーロッパ大陸の出身者にもかかわらず、イギリス音楽にも深い関心と理解を示し、エルガーブリテン協奏曲を積極的に演奏・録音したほか、ウォルトンヴァイオリン協奏曲の録音は、この作品の模範的演奏の一つに数えられている。英国楽壇への功労が認められ、1991年にはCBEを受勲した。

門下生

演奏に専念するため入門志願者を断わることでも有名だったが、例外的に米独の混血ヴァイオリニスト、デイヴィッド・ギャレットを世に送った。しかしヘンデル自身は、「私は彼の(最初の)ファンであって、師匠ではない」と主張している。

楽器

楽器はストラディヴァリウス(1696年製)を使用。

年齢の真相

イダ・ヘンデルの生年月日をThe Strad magazineで報道された通り1923年1月15日だとすると、ブラームスの協奏曲を弾いたのは15歳と8か月であり、これは不可能な年齢ではない。[4]

脚注

  1. ^ 5歳ほどサバを読んでいるのであれば、10歳で演奏できたということであり、これは今日においても神童の水準である。
  2. ^ 長いキャリアの割に、録音数は非常に少ない。
  3. ^ それでも生年については諸説あり、1923年生まれ説が有力。
  4. ^ 外部リンク

参考文献