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2017年1月11日 (水) 01:13時点における版

チェ・スンシル

崔順実
최순실
生誕 (1956-06-23) 1956年6月23日(68歳)
大韓民国の旗 韓国
国籍 大韓民国の旗 韓国
犯罪者現況 身柄拘束
配偶者
鄭潤會
(結婚 1995年、離婚 2014年)
子供 鄭維羅
崔太敏[1]
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崔 順実(崔順實、チェ・スンシル朝鮮語: 최순실1956年6月23日 - )・チェ・ソウォン(改名)は、大韓民国政商行為をした実業家[2]シャーマン[3][4]朴槿恵大統領の政治スキャンダル(いわゆる崔順実ゲート事件)の中心人物として知られる。

人物

祈祷師崔太敏の5番目の妻との間の三女として生まれた[1]檀国大学校に進み、父テミンが1976年に設立した「セマウム奉仕団」の大学生会会長を務め、母陸英修文世光による暗殺で失った朴と知り合った[5]1979年の「第1回セマウム祭典」では、大学生総連合会会長として開会宣言をし、「セマウム奉仕団」総裁に迎えられていた朴が祝辞を述べた[5]。1979年から1985年までドイツ留学[5]。帰国後教育事業に従事した[5]

朴政権発足当初から大統領並みの待遇を受け、検問もなしに青瓦台に出入りしたといわれる[2]

韓国の「国民体操」として莫大な振興予算が投じられたヌルプム体操(늘품체조)が、崔やチャ・ウンテクの利権あさりの対象になっていたのではないかという疑惑がある[6]

出典

関連項目