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{{Infobox 人物 |
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[[ファイル:Margaret Mead (1901-1978).jpg|thumb|220px|マーガレット・ミード]] |
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| name = マーガレット・ミード |
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'''マーガレット・ミード'''(Margaret Mead, [[1901年]][[12月16日]] - [[1978年]][[11月15日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]生まれの[[文化人類学]]者。[[コロンビア大学]]で彼女を指導した[[ルース・ベネディクト]]とともに[[20世紀]]米国を代表する文化人類学者と評価されている。 |
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| image = Margaret Mead (1901-1978).jpg |
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| image_size = |
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| caption = 1950年のマーガレット・ミード |
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| birth_date = {{birth date|1901|12|16}} |
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| birth_place = アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア |
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| death_date = {{death date and age|1978|11|15|1901|12|16}} |
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| death_place =アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク |
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| education = {{ublist|class=nowrap |B.A.(バーナード・カレッジ、1923年)|M.A.(コロンビア大学、1924年)|Ph.D.(コロンビア大学、1929年)}} |
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| occupation = 文化人類学者 |
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| awards = {{nowrap|1970年 {{日本語版にない記事リンク|カリンガ賞|en|Kalinga Prize}}}} |
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| spouse = {{ublist|class=nowrap |1923–28年 ルーサー・クレスマン|1928–35年 レオ・フォーチュン|1936–50年 グレゴリー・ベイトソン}} |
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| children = {{nowrap|メアリー・キャサリン・ベイトソン (1939年生)}} |
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'''マーガレット・ミード'''(Margaret Mead、[[1901年]][[12月16日]] - [[1978年]][[11月15日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]生まれの[[文化人類学|文化人類学者]]である<ref name="libraryofcongress">{{cite web|url=http://www.loc.gov/exhibits/mead/oneworld-comment.html|title=Margaret Mead As a Cultural Commentator|accessdate=2008-03-08|work=Margaret Mead: Human nature and the power of culture|publisher=Library of Congress}}</ref>。[[コロンビア大学]]でミードを指導した[[ルース・ベネディクト]]とともに[[20世紀]]米国を代表する文化人類学者と評価されている。 |
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[[金星]]最大の[[クレーター]]「{{仮リンク|ミード (クレーター)|en|Mead_(crater)}}」に名を残す。 |
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ミードは[[ニューヨーク市]]の[[バーナード・カレッジ]]で[[学士号]]を、[[コロンビア大学]]で[[修士号]]および[[博士号]]を、それぞれ取得している。ミードは、文化人類学の発展期にあって数多くの[[フィールドワーク]]をこなし、精力的に研究を行った。また文化人類学を利用した社会評論や一般向け著作にも熱心に取組み、文化人類学の普及に多大な貢献を行った。[[南太平洋]]および[[東南アジア]]の伝統文化においての、性に関する態度を詳述したミードの報告は、1960年代の[[性の革命]]に影響を与えたとされており、ミードは、尊敬されまたしばしば論争の対象ともなる学者であった<ref name="fordham">{{Cite web |date= |url=https://www.fordham.edu/info/20854/about |title=Sociology and Anthropology - About |publisher=Fordham University |accessdate=2017-01-09}}</ref><ref name="SciAmeri">{{cite web|url=http://blogs.scientificamerican.com/cross-check/2010/10/25/margaret-meads-bashers-owe-her-an-apology/|title=Margaret Mead’s bashers owe her an apology|publisher=Scientific America|last=Horgan|first=John|date=2010-10-25|accessdate=2017-01-02}}</ref>。<!--ミードは、伝統的な西洋の宗教生活の文脈において、[[性暴力]]が広まっているという主張の主唱者であった。 ←この部分は出典がなく、以下にも対応する記載がないので、いったんコメントアウトしました。 2017/1/5 JillyHean1979追記--> |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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=== 誕生および幼少期 === |
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[[バーナード・カレッジ]]で[[フランツ・ボアズ]]の[[人類学]][[講義]]を聞き、[[コロンビア大学]]で博士号を取得。[[ポリネシア]]・[[サモア諸島]]で、[[1925年]]から[[1926年]]にかけ[[フィールドワーク]]を行なう。1926年より[[ニューヨーク]]の[[アメリカ自然史博物館]]で研究員補を振り出しに研究職を務め、また[[1954年]]から[[コロンビア大学]]で教鞭をとった。 |
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マーガレット・ミードは、5人[[きょうだい]]のうちの長子として、フィラデルフィアで生まれたが、近くのペンシルベニア州ドイルズタウンで育った。 父エドワード・シャーウッド・ミードは、[[ペンシルベニア大学]][[ウォートン・スクール]]の[[ファイナンス]]の教授であり、母エミリー(ネー・フォッグ)・ミード<ref>{{cite web|url=http://www.loc.gov/exhibits/mead/mead-shaping.html|title=Shaping Forces – Margaret Mead: Human Nature and the Power of Culture (Library of Congress Exhibition)|accessdate=2010-09-29|publisher=Library of Congress}}</ref>は、イタリア系[[移民]]の研究を行う[[社会学|社会学者]]であった<ref name="unesco bio">{{cite web|url=http://www.ibe.unesco.org/publications/ThinkersPdf/meade.pdf|title=Margaret Mead|author=Wilton S. Dillon|accessdate=2010-09-29|format=PDF}}</ref>。ミードの妹キャサリン(1906年 - 1907年)は9ヶ月で亡くなった。キャサリンの死は、名付け親であったミードの心を傷つける出来事であり、長年、ミードが[[空想]]にふけるときは、失われた妹のことを考えるのが常であった<ref name="Howard">Howard 1984.</ref>。ミード一家は頻繁に転居していたため、ミードが11歳でペンシルベニア州ラハスカのバッキンガム・フレンズ・スクールに入れられるまで、ミードの[[早期教育]]は祖母によって行われていた<ref>{{cite book|title=New Hope, Lahaska, and Buckingham (PA) (Images of America)|url=https://books.google.com/books?id=uyGs_qfSMQwC&lpg=PA42&vq=Buckingham%20Friends%20School&pg=PA46#v=onepage&q=Buckingham%20Friends%20School&f=false|date=2005-07-18|publisher=Arcadia Publishing|page=46|last1=Stella|first1=Nicole and Jenifer|isbn=0738537969}}</ref>。<!-- 一家は1912年から1926年まで{{仮リンク|ロングランド|en|Longland}}の農場を所有していた<ref name="arch">{{cite web|url=https://www.dot7.state.pa.us/ce/SelectWelcome.asp|title=National Historic Landmarks & National Register of Historic Places in Pennsylvania|format=Searchable database|publisher=CRGIS: Cultural Resources Geographic Information System|deadlinkdate=2017-01-02}}</ref>。 ←雑多な内容だと考えたためいったんコメントアウトしました。2017/1/8 JillyHean1979追記--> |
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=== 博士号取得 === |
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文化人類学の発展期にあって数多くのフィールドワークをこなし、精力的に研究を行った。また文化人類学を利用した社会評論や一般向け著作にも熱心に取組み、文化人類学の普及には多大な貢献があった。 |
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ミードは1919年の1年間、[[デポー大学]]に学び、その後、1923年に学士号を取得することとなるバーナード・カレッジに転学した。その後、ミードはコロンビア大学において[[フランツ・ボアズ]]および[[ルース・ベネディクト]]のもとで学び、1924年に修士号を取得した<ref name="Britannica">{{cite web|url=http://kids.britannica.com/women/article-9051668|title=Encyclopædia Britannica's Guide to Women's History - 300 Women Who Changed the World - Margaret Mead|accessdate=2010-09-29|publisher=Britannica.com}}</ref><ref name="psu">{{Cite web |date= |url=http://pabook2.libraries.psu.edu/palitmap/bios/Mead__Margaret.html |title=Margaret Mead |publisher=Pennsylvania Center for the Book |accessdate=2017-01-09}}</ref>。ミードは1925年に[[サモア]]での[[フィールドワーク]]を開始した<ref>Mead 1977</ref>。1929年、コロンビア大学で博士号を取得した<ref>{{cite web|url=http://www.kirjasto.sci.fi/mmead.htm|title=Margaret Mead|publisher=Kuusankoski Public Library|archiveurl=https://greencardamom.github.io/BooksAndWriters/mmead.htm|archivedate=10 February 2015|website=Books and Writers ''(kirjasto.sci.fi)''|first=Petri|last=Liukkonen|location=Finland|dead-url=yes|accessdate=2017-01-02}}</ref><ref name="psu"/>。同年、ミードは2番目の夫であるフォーチュンとともに、[[マヌス島]]を訪れ、島の南側の海岸の村ペリにおいて、マヌスの人々についての熱心なフィールドワークを行っている<ref name="Howard"/>{{rp|117}}。 |
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=== 研究者としてのキャリア === |
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"gender"という用語はもともと身体的性を示す言葉として存在していたが、ミードは「社会的・文化的性」という意味でのジェンダー研究を行った先駆者でもある。著書の一部は[[ジェンダー]]が社会的に構築されたものであることを立証するとして[[フェミニスト]]たちから注目され、現在でも日本の社会学によって流用され続けているが、調査内容が間違いであったと指摘されている。また、ミード自身も「男女の役割が逆転した社会を発見した覚えはない」と語っている。 |
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[[ファイル:Margaret_Mead_(1901-1978)_(2).jpg|左|サムネイル|ニューヨーク科学アカデミー(1968年)でのミード]] |
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==== 大学でのキャリア ==== |
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ミードは[[ニュースクール大学]]およびコロンビア大学において教鞭を執り<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.newschool.edu/about/history/ |title=Creating an Innovative College - Our History |publisher=The New School |accessdate=2017-01-08}}</ref>、コロンビア大学では1954年から1978年にかけて助教授を務めた<ref name="psu"/>。 |
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その傍ら、ミードは1965年に[[ニューヨーク大学]]の[[都市人類学]]研究室を設立した。また、ミードは1968年に[[フォーダム大学]]のリンカーンセンターキャンパスに人類学研究室を設立し、1968年から1970年までは社会科学研究科の研究科長を務めた<ref name="fordham"/><ref name="ace">{{Cite web |author=Laura Streeter |url=http://www.culturalequity.org/alanlomax/ce_alanlomax_profile_margaret_mead.php |title=Margaret Mead |publisher=Association for Cultural Equity |accessdate=2017-01-09}}</ref>。 |
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== ニューギニアの3つの部族に関する記述 == |
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以下に『3つの原始的社会における性と気質』([[1935年]])に於ける記述の一部を記載しておく。なおこの研究成果については「観測方法が主観的である」等の理由から批判的な意見も多く真偽のほどは不明である。 |
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また、1970年には、社会学および人類学の[[ディスティングイッシュトプロフェッサー|ディスティングイッシュト・プロフェッサー]]として、{{仮リンク|ロードアイランド大学|en|University of Rhode Island}}の教授となった<ref>p. 94 in: Wheaton, J., and R. Vangermeersch, 1999. </ref>。 |
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*'''[[アラペシュ族|アラベッシュ族]]'''は、男性も女性もたいてい非攻撃的で、子どもに対して暖かく愛情を持って接する。 |
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*'''[[ムンドグモール族]]'''は、男性も女性も攻撃的で、子どもに対しても冷たく放任的である。 |
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*'''[[チャンブリ族]]'''の文化は最も珍しく、男性は服従的で消極的である。 |
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ミードは、これらのほかにも、[[エモリー大学]]、[[イェール大学]]、[[メニンガー財団|メニンガー・クリニック]]などにおいても講義を行っている<ref name="webster">{{cite web|url=http://faculty.webster.edu/woolflm/margaretmead.html|title=Margaret Mead|accessdate=2010-09-29|date=1901-12-18|publisher=Webster.edu}}</ref>。 |
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==デレク・フリーマンによる批判== |
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[[サモア]]の文化に興味を抱いて40年間に渡り研究を続けた[[ニュージーランド]]の文化人類学者である[[デレク・フリーマン]]は、その著書『マーガレット・ミードとサモア』の中で、ミードの著書『サモアの思春期』を、「根本的に間違っている」と切り捨てた。フリーマンによれば、このミードの調査は、サモアの言葉が分からないミードの数ヶ月でしかない滞在の間の「事実誤認」によるものだという。 |
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ミードは、ルース・ベネディクトの例に倣い、育児、人格、文化の問題に焦点を合わせ研究を行い<ref>''The Columbia Encyclopedia'', Fifth Edition, 1993.</ref>、また{{仮リンク|ジーン・ヒューストン|en|Jean Houston}}を含む、多くの若い人類学者および社会学者を指導した<ref name="Howard" />{{rp|370–71}}。目立つ[[ケープ]]と[[杖]]がミードのトレードマークであった<ref name="libraryofcongress" />。 |
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このフリーマンの手によるミードの批判書『マーガレット・ミードとサモア』は、ミードを好意的に評価する欧米のフェミニストからすらも「綿密に細部を検討・調査して作られた学術書」だと評価されている{{要出典|date=2010年7月}}。とはいえシャンクマンによる2009年の詳細な著書ではフリーマンの主張の多くがでっちあげだとしている<ref>Shankman, Paul (2009). The Trashing of Margaret Mead: Anatomy of an Anthropological Controversy. University of Wisconsin Press. ISBN 9780299234546.</ref>。 |
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====アメリカ自然史博物館でのキャリア ==== |
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フリーマンによるこの批判書により、当時の米国の学会に激震が起きた。すでに「性役割は社会的につくられたもの」だとするフェミニズムの主張の多くが、このミードの調査に基づいたものだったからである。しかしながら、このフリーマンによる批判があるにもかかわらず「ある部族でのミードの発見」は日本のジェンダー論者によっていつまでも使い回しにされており、「性役割は生得的なものとは限らない」という話の枕に、この事実誤認によるミードの調査結果が必ずと言ってもよいほど登場させられている。 |
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ミードは1926年、ニューヨークの[[アメリカ自然史博物館]]にアシスタント・キュレーターとして参加した。1946年にはアソシエイト・キュレーターに昇進し、1964年から1969年までは民族学のキュレーターを務め、1969年に名誉キュレーターの称号を付与された<ref name="Britannica" /><ref name="psu"/><ref name="webster"/>。 |
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==== その他学界でのキャリア ==== |
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1942年から1945年まで、ミードは[[全米研究評議会]]の食習慣委員会の幹事長を務めた<ref>{{Cite book |author= Carl E. Guthe |year=1943 |title=The Problem of Changing Food Habits: Report of the Committee on Food Habits 1941–1943 |publisher=Committee on Food Habits, The National Academy of Sciences |language=English |page= |doi=10.17226/9566 |chapter=History of the Committee on Food Habits |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK224356/}}</ref><ref name="psu" />。ミードは1948年に[[アメリカ芸術科学アカデミー]]の[[フェロー]]に選出された<ref name="AAAS">{{cite web|url=http://www.amacad.org/publications/BookofMembers/ChapterM.pdf|title=Book of Members, 1780–2010: Chapter M|accessdate=16 April 2011|publisher=American Academy of Arts and Sciences}}</ref>。1948年から1950年までの間は、[[ロシア人]]たちの権威に対する文化および態度を研究するため、[[アメリカ陸軍航空軍]]が資金援助を行った民間の研究機関である[[ランド研究所]]にも勤務していた<ref>{{cite book|author=Nancy Lutkehaus|title=Margaret Mead: The Making of an American Icon|url=https://books.google.com/books?id=20cZMZV0tI0C&pg=PA321&lpg=PA321&dq=%22margaret+mead%22+%22RAND+corporation%22&source=bl&ots=ZHDV-6QA4X&sig=NKq11dSbryuHBQ7WvhAqYyfOpFg&hl=en&sa=X&ei=PE2LT8q0M-nr0gHY1dSACg&ved=0CCsQ6AEwAg#v=onepage&q=%22margaret%20mead%22%20%22RAND%20corporation%22&f=false|date=2010|publisher=Princeton University Press|isbn=9780691148083}}</ref>。 |
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ミードは1960年、{{仮リンク|アメリカ人類学会|en|American Anthropological Association }}の会長を務めた<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.americananthro.org/ConnectWithAAA/Content.aspx?ItemNumber=1628 |title=AAA Past Presidents |publisher=American Anthropological Association |accessdate=2017-01-08}}</ref>。 |
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1970年代には、ミードは{{仮リンク|ニューヨーク科学アカデミー|en|New York Academy of Sciences}}の副会長を務めた<ref name="NYAS History">{{cite book|title=Knowledge, Culture, and Science in the Metropolis: The New York Academy of Sciences, 1817–1970|url=http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/nyas.1990.584.issue-1/issuetoc|publisher=The New York Academy of Sciences|last1=Baatz|first1=Simon|accessdate=12 November 2016}}</ref><ref>{{Cite web |date=2016-03-10 |url=http://www.nyas.org/AboutUs/AcademyNews.aspx?cid=bbd09d84-9c87-420f-b568-61344a5de9dd |title=Celebrating the Women of the Academy |publisher=New York Academy of Sciences |accessdate=2017-01-08}}</ref>。ミードはまた、[[アメリカ科学振興協会]]においても様々な役職を歴任し、特に1975年には代表となり、1976年には取締役会経営委員会の議長となった<ref>{{cite web|url=http://www.depts.drew.edu/wmst/corecourses/wmst111/timeline_bios/MMead.htm|title=Margaret Mead|accessdate=2017-01-0|author=Wendy Kolmar|publisher=Depts.drew.edu|deadlinkdate=2017-01-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100717060308/http://www.depts.drew.edu/wmst/corecourses/wmst111/timeline_bios/MMead.htm |archivedate=2010-07-17}}</ref>。1976年、ミードは、人間の居住に関する最初の国際連合の[[フォーラム]]である第1回[[国際連合人間居住計画|国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)]]の主要参加者として参加した。 |
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ミードは[[1978年]][[11月15日]]、[[膵癌]]で亡くなった。 |
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== 業績 == |
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=== パプアニューギニアでの研究 === |
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[[ファイル:Samoan_taupou_girl_1896.jpg|右|サムネイル|237x237ピクセル|サモアの少女(1896年)]]ミードはオセアニア地域の先住民族に関し、心理・文化の様々な面についての研究を行ってきた<ref name="Britannica" />。特にニューギニアにおいては、1925年のサモアでのフィールドワークに始まり、1928年から1929年、1931年から1933年、1936年から1939年にもフィールドワークを行っている<ref name="psu" />。 |
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==== 『Coming of Age in Samoa(邦題:サモアの思春期)』(1928年) ==== |
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===== 内容 ===== |
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ミードは、この著書において、サモアの人々の生活、教育、社会構造、パーソナリティ等について、フィールドワークに基づいた紹介を行った。この著書の前書きで、ミードの指導教授であった[[フランツ・ボアズ]]は、この著書の重要性について以下のとおり記載している。 |
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<blockquote>礼儀、謙遜、行儀良さ、明確な倫理基準に適合することは普遍的なものであるが、何が礼儀、謙虚さ、行儀良さ、明確な倫理基準を構成するのかは普遍的ではない。最も予想できない方法で、そうした基準が異なることを知ることは有益である<ref>Franz Boas, "Preface" in Margaret Mead, ''Coming of Age in Samoa''</ref>。</blockquote>ミードはサモアの人々の教育に関連して、サモアの少女たちは、怠惰だという評判が立つと結婚が難しくなること、ならびに少女たちは編み物および魚獲りを習得しなければならず、「そのほかの関心は秘密の性の冒険に向けられている」ことを紹介し、サモアにおいては結婚に際し処女性よりも勤労倫理のほうが重視されていることを暗示した。 |
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また、サモアの人々のパーソナリティに関しては、西洋の人々に比べてより素朴かつ誠実であり、性的なノイローゼの影響を受けづらいとした。性に関しては、サモアの人々はより月経などを不快に感じづらく、また一対一でない性関係についても懸念を持ちづらいとした。ミードはこれらの原因を、サモアの社会における家族の範囲がより広くなっていること、またサモアの人々は問いに対しはっきりとした答えを出すことを好まないように見受けられることに求めている。 |
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===== 批判と再批判 ===== |
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ミードの死の5年後の1983年に、ニュージーランドの人類学者である{{仮リンク|デレク・フリーマン|en|Derek Freeman}}は、『Margaret Mead and Samoa: The Making and Unmaking of an Anthropological Myth(邦題:マーガレット・ミードとサモア)』を出版し、ミードのサモア社会におけるセクシュアリティに関する主な発見に対し、異議を述べた<ref name="freemanyoutube">{{YouTube|GOCYhmnx6o8|Margaret Mead and Samoa}}</ref>。フリーマンは、サモアの文化においては、若者が性を探求することにつき多くの制限は課せられていないというミードの主張は、ミードのサモアの文化に対する誤解に基づくものだとした。ミードは機密保持のためにすべての被験者の身元を慎重に隠していたが、フリーマンはミードの調査の参加者の1人を発見してインタビューを行い、その参加者から、自分は友人とともに作り話をし、ミードを故意に誤解させたと聞き取った旨を報告した<ref>{{cite video|title=Margaret Mead and Samoa|year=1987|author=Frank Heimans|time=41:20|quote=We girls would pinch each other and tell her we were out with the boys. We were only joking but she took it seriously. As you know Samoan girls are terrific liars and love making fun of people but Margaret thought it was all true.|url=https://www.youtube.com/watch?v=GOCYhmnx6o8}}</ref>。 |
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ついで、フリーマンの著書自体も論争の的となり、人類学界からの少なからぬ反発と厳しい批判にさらされた。1983年にはアメリカ人類学会はその著書を「分かりづらく、非科学的であり、無責任で、ミスリーディングである」と批判した<ref name="johnshaw">{{cite news|title=Derek Freeman, Who Challenged Margaret Mead on Samoa, Dies at 84|date=2001-08-05|url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9806E0DD103CF936A3575BC0A9679C8B63|accessdate=2010-04-30|work=The New York Times|first=John|last=Shaw}}</ref>。フリーマンの批判は、性道徳観は多かれ少なかれ文化横断的なものであると考えていた科学者らには熱狂的に受け入れられた<ref>{{cite video|title=Margaret Mead and Samoa|year=1987|author=Frank Heimans|time=20:25|quote=Roger Fox, Professor of Anthropology, Rutgers: '[What Freeman did was to] attack the goddess... she couldn't be wrong because if she was wrong then the doctrine was wrong and the whole liberal humanitarian scheme was wrong'|url=https://www.youtube.com/watch?v=GOCYhmnx6o8}}</ref><ref>{{cite video|title=Margaret Mead and Samoa|year=1987|author=Frank Heimans|time=21:20|quote=Marc Swartz, Professor of Anthropology, University of California, San Diego: "one of the leading anthropologists came out immediately after Derek's book was out and said I haven't read the book but I know he's wrong"|url=https://www.youtube.com/watch?v=GOCYhmnx6o8}}</ref>。これに対し、フリーマンは、しばしば、ミードの研究および意見を誤って紹介しているという批判もなされた<ref>Appell(1984)、 Brady(1991)、Feinberg(1988)、Leacock(1988)、Levy(1984)、Marshall(1993)、Nardi(1984)、Patience and Smith(1986)、Paxman(1988)、 Scheper-Hughes(1984)、Shankman(1996)、Young and Juan(1985)など。</ref>。 |
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サモアの文化を研究した人類学者には、フリーマンの調査結果を支持しミードの調査結果に反対する者もいた。他方、サモアの文化はミードがフィールドワークを行ってからフリーマンがフィールドワークを行うまでの数十年間の間に、[[キリスト教]]との融合により変化しているため、フリーマンの研究はミードの研究結果を無効にするものではないとする人類学者もいた<ref>{{cite video|title=Margaret Mead and Samoa|year=1987|author=Frank Heimans|time=26:125|quote=Anthropologists Richard Goodman and Tim Omera talk about their work in Samoa and how it supports Freeman's findings|url=https://www.youtube.com/watch?v=GOCYhmnx6o8}}</ref>。ほか、ミードの結論はただ1人の人物との1度だけのインタビューの信頼性に依拠するものではなく、ミードのサモアでの滞在期間中の観察とインタビューの総和を基礎とするものであるため、上記の参加者が作り話をしていたとしても、それが直ちにミードの調査への反証とはならないと主張する人類学者もいる<ref>{{cite book|title=The Trashing of Margaret Mead|publisher=The University of Wisconsin Press|page=113|last1=Shankman|first1=Paul|isbn=978-0-299-23454-6}}</ref>。 |
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1996年、マーティン・オーランス(Martin Orans)は[[アメリカ議会図書館]]において保存されているミードのメモを調査し、ミードは上記参加者に騙されていたのだというフリーマンの批判は、いくつかの理由により不正確であると指摘した。第一に、ミードはサモア人の冗談の形式とその頻度をよく理解しており、第二に、ミードが「儀式の処女」への性的な制限について行った検討は、上記参加者がフリーマンに行った説明と合致しており、第三に、ミードが上記参加者へのインタビュー以前に既にサモアのセクシュアリティに関する結論に達していたことがそのメモから明らかであるというのが理由である。しかしながら、哲学者ピーター・シンガー<ref name="petersinger">{{Cite book|last=Singer|first=Peter|title=A Darwinian Left|year=1999|publisher=Yale University Press|language=English|page=33|quote=|location=|id=|isbn=0300083238}}</ref>や[[動物学|動物学者]][[デイビッド・アッテンボロー]]<ref>{{cite web|url=http://urplay.se/Produkter/170954-Stora-tankare-Inom-psykologin|title=Big Thinkers Within Psychology. BBC Documentary|accessdate=2013-11-02|date=2013-05-04|publisher=Urplay.se|language=sw}}</ref>など、ミードは騙されていたのだと主張する学者も多く、オーランスの主張もまた論争の的となっている。なお、[[実証主義]]的なスタンスからミードの調査を評して、オーランスは、フリーマンの批判の有効性いかんによらず、ミードの研究は科学的厳密性が不十分であり、「ミードの調査は、調査が『正しいか間違っているか以前の問題だ』という激しい科学的な批判により適切に否定されうる」とこの論争を分析している<ref name="orans">{{Cite book|last=Orans|first=Martin|title=Not Even Wrong: Margaret Mead, Derek Freeman, and the Samoans|year=1996|publisher=Chandler & Sharp Pub|language=English|page=|quote=|location=|id=|isbn=0883165643}}</ref>。 |
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1999年に、フリーマンは、従前は入手していなかった資料も含めて、別の著書『The Fateful Hoaxing of Margaret Mead: A Historical Analysis of Her Samoan Research』を公表した。経験主義的な人類学者はミードの結論に同意する傾向があるが、フリーマンの意見に協調し、生得主義的なアプローチを取る、人類学者以外の学者もおり、[[ハーバード大学]]の心理学者[[スティーブン・ピンカー]]、[[生物学|生物学者]]の[[リチャード・ドーキンス]]、[[進化心理学|進化心理学者]]の[[デイビッド・バス]]、科学ライターの[[マット・リドレー]]、[[古典主義|古典主義者]]メアリー・レフコヴィッツ、[[哲学者]][[ピーター・シンガー]]が挙げられる<ref>{{cite web|url=http://www.unl.edu/rhames/courses/current/readings/Shankman-Trashing%20of%20Margaret%20Mead.pdf|title=The Trashing of Margaret Mead - How Derek Freeman Fooled us all on an Alleged Hoax|accessdate=2013-11-02|format=PDF|publisher=}}</ref><ref name="petersinger" />。[[ニューヨーク・タイムズ]]のフリーマンの死亡記事において、ジョン・ショーは、フリーマンの論文は多くの人を憤慨させはしたが、その死までには広く受け入れられるようになった、と述べた<ref name="johnshaw" />。しかしながら、人類学者のポール・シャンクマン(Paul Shankman)や{{仮リンク|アリス・ドレガー|en|Alice Dreger}}によるものをはじめ、フリーマンはミードの調査を誤解している<ref name="paulshankman">{{Cite book|last=Shankman|first=Paul|title=The Trashing of Margaret Mead: Anatomy of an Anthropological Controversy|year=2009|publisher=University of Wisconsin Press|language=English|pages=47-71|quote=|location=|id=|isbn=0299234541}}</ref>、根拠が薄弱で誤導的である<ref>{{Cite book |last=Dreger |first=Alice |year=2015 |title=Galileo's Middle Finger: Heretics, Activists, and the Search for Justice in Science |location= |publisher=Penguin Press |language=English |page= |id= |isbn=1594206082 |quote= }}</ref>、という批判もなお存在する。 |
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保守系学術団体が発行するThe Intercollegiate Reviewの1999年秋号に掲載された「今世紀で最悪の(および最高の)50の書籍」という記事では、『Coming of Age in Samoa』が今世紀最悪の50の書籍の第1位にランクインしている<ref>{{cite journal|author=Editor|year=1999|title=|url=https://home.isi.org/journal-issue/fall-1999-1|journal=Intercollegiate Review|issue=Fall|pages=3-13|publisher=Intercollegiate Studies Institute}}</ref>。[[ファイル:Margaret_Mead_NYWTS.jpg|左|サムネイル|1950年のミード]] |
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==== 『Sex and Temperament in Three Primitive Societies』(1935年) ==== |
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===== 内容 ===== |
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ミードのもう一つの影響力ある書籍は、『Sex and Temperament in Three Primitive Societies』である<ref name="Mead 2003">{{cite book|last=Mead|first=Margaret|title=Sex and Temperament in Three Primitive Societies|edition=1st Perennial|year=2003|publisher=Perennial an impr. of HarperCollins Publ.|location=New York|isbn=978-0060934958}}</ref>。ミードは、この著書において、[[パプアニューギニア]]のセピック(Sepik)盆地のチャンブリ湖(Tchambuli、現在はChambriと表記する)地域において、特段の問題なく、女性優位の社会が形成されていることを報告した。この著書は[[ウーマンリブ運動]]の大きな拠り所となった。<!--男性優位の社会とならなかったのは、[[オーストラリア]]政府が戦争を禁止した結果であった可能性がある。現代の研究によると、[[メラネシア]]全体を通じて(魔女には特別な力があると信じる者もいるが)男性優位の社会となっている{{要出典|date=March 2016}}。 ←要出典になっている部分をいったんコメントアウト。JillyHean1979 2016/1/9追記--> |
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ミードは、同じくセピックに居住する[[アラペシュ族]](Arapesh)は[[平和主義者]]であると述べたが、時折[[戦争]]に参加することについても注記している。アラペシュ族の間での土地の共有および育児における[[平等主義]]の強調についてのミードの観察、また親族間の主に平和的な関係のミードの記録は、より重層化したニューギニア文化に関し例えばアンドリュー・ストラザーン(Andrew Strathern)が記録したような「ビッグ・マン」の優位性の誇示とは大きく異なっている。これらは異なる文化のパターンである。 |
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ミードはこの著書において、3つの部族の比較研究を行い、各部族での性役割が非常に対照的であることを報告した。 |
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* 「アラペシュ族においては、男性も女性も平和的な気質であって、男性も女性も戦争を行うことはない。」 |
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* 「ムンドグモール族においては、正反対である。男性も女性も、好戦的な気質を有している。」 |
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* 「チャンブリ族はこのいずれとも異なる。男性は『着飾って』自分たちを装飾することに時間を費やすが、女性は働いており現実的な人々であるーこれは20世紀初頭のアメリカとは正反対である。」 |
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===== 批判 ===== |
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デボラ・ゲウェルツ(Deborah Gewertz)は1974年から1975年にかけてチャンブリ族を研究したが、1981年に、ミードが述べたような性役割の証拠は見つからなかったことを報告した。ゲウェルツは、チャンブリ族の男性が女性を支配し、農産物を管理し、重要な政治的決定を下していたことを、[[1850年代]]まで遡ることができる証拠があるとした。後年にも、女性が男性を支配する社会の存在、あるいは過去にそのような社会があったことの兆候について、勤勉な調査が行われているが、いずれも発見されていない<ref>{{Cite book|last=Bamberger|editor=M. Rosaldo & L. Lamphere|first=Joan|title=Women, Culture, and Society|url=https://books.google.com/books?id=vE85zkFdURQC&pg=PA263|year=1974|publisher=Stanford University Press|language=|page=|chapter=The Myth of Matriarchy: Why Men Rule in Primitive Society|quote=|location=|id=|isbn=0804708517}}</ref>。 |
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男性と女性についてのミードの研究は、ウーマンリブ運動のルーツとなったにもかかわらず、{{仮リンク|ベティ・フリーダン|en|Betty Friedan}}によって、女性を幼児化することに寄与しているという根拠により、批判されている<ref name="friedan">{{cite book|last=Friedan|first=Betty|title=The Feminine Mystique|year=1963|publisher=W. W. Norton & Company|chapter=The Functional Freeze, The Feminine Protest, and Margaret Mead|authorlink=Betty Friedan|isbn=0393322572}}</ref>。 |
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=== 他の研究分野 === |
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==== 人種と知能 ==== |
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1926年には、[[人種]]および[[知能]]についての多くの議論があった。ミードは、知能に関する人種的優位性の議論を支持する実験的な心理学の研究についての方法論には、実質的な欠陥があると考えた。著書『The Methodology of Racial Testing: Its Significance for Sociology』において、ミードは、人種間の知能の差異に関するテストには3つの問題があることを示している。第一に、ある被験者の[[知能検査]]スコアをミードが「人種混合(racial admixture)」と呼ぶもの、すなわち[[黒人]]や[[インド人]]の血をどれだけその者が有しているかと有効に関連付けられるかには懸念があり、このような情報が[[知能指数]]を解釈する際に適切か否かについても懸念が存在する。第二に、知能検査スコアは、環境([[家族|家族構成]]、社会的・経済的地位、言語に触れている程度など)に強く影響され、そうした社会的地位の影響を測るのは難しい。第三に、言語の壁が時に最も大きな問題となる。 |
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同様に、[[スティーヴン・ジェイ・グールド]]も、著書『The Mismeasure of Man(邦題:人間の測りまちがい)』において、知能に本当に人種間の相違があるのかを測るにあたり、知能検査において3つの主な問題があることを指摘している<ref>{{cite journal|last=Mead|first=Margaret|date=March 1926|title=The Methodology of Racial Testing: Its Significance for Sociology|url=|journal=American Journal of Sociology|volume=31|issue=5|pages=657-667|publisher=|accessdate=|doi=}}</ref><ref>{{cite book|last=Gould|first=Stephen J.|title=The Mismeasure of Man|year=1981|publisher=W. W. Norton & Company}}</ref>。 |
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==== ユダヤ系移民に関する調査 ==== |
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ミードは、{{仮リンク|米国ユダヤ人協会|en|American Jewish Committee}}がヨーロッパのユダヤ人の村である[[シュテットル]]を研究する計画で、研究者らがニューヨーク市に居住している[[ユダヤ人|ユダヤ系]][[移民]]に対し大規模な聞き取り調査を行うというものを支援するよう説得したことにより、高く評価されている。研究結果についての書籍は、数十年に渡って広く引用され、子供たちを強く愛するが息が詰まるほどにも支配し、子供たちのために苦労をすると明言することを通じて子供たちに[[罪悪感]]を植え付けるという、ユダヤ人の母親の[[ステレオタイプ]]を作り上げたといわれている<ref>{{Cite web|url=http://www.slate.com/articles/life/family/2007/06/never_mind_ill_just_sit_here_in_the_dark.html|title=Never Mind, I'll Just Sit Here in the Dark|accessdate=2017-01-03|author=Emily Bazelon|date=2007-06-13|publisher=Slate}}</ref>。 |
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==== 「スポック博士の育児書」への貢献 ==== |
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ミードのかかりつけの小児科医は[[ベンジャミン・スポック]]であった<ref name="libraryofcongress" />。スポックが後に著した育児に関する書物は、ミードがスポックと共有した、[[民族学|民族学的]]なフィールド観察から得られたミード自身の実践や信念の一部(特に、スケジュールよりも子供の要求に対応した[[授乳]])を取り込んでいた<ref>Moore 2004: 105.</ref>。 |
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==== 画像シンボル言語の開発 ==== |
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1960年代半ば、ミードは通信理論家ルドルフ・モドリーと協力を行い、共同でGYLPHS, inc.という組織を設立した。GYLPHS, inc.の目的は、いかに原始的な文化であろうと、どの文化のメンバーであっても理解できるような、普遍的な画像シンボル言語を作成することであった<ref>{{Cite journal|last=Bresnahan|first=Keith|year=2011|title="An Unused Esperanto": Internationalism and Pictographic Design, 1930-70|journal=Design and Culture|volume=3|issue=1}}</ref>。 |
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ミードは、[[:en:Folkways Records]]により公表された2枚の[[アルバム]]に登場する。最初のものは1959年にリリースされた『An Interview With Margaret Mead』であり、[[倫理]]と人類学の問題について探求する内容となっている。1971年には、著名な女性によるトークの[[コンピレーションアルバム|コンピレーション・アルバム]]である『But the Women Rose, Vol.2: Voices of Women in American History』にミードも収録された<ref>{{Cite web|url=http://www.folkways.si.edu/but-the-women-rose-vol-2-voices-of-women-in-american-history/documentary/album/smithsonian|title=But the Women Rose, Vol.2: Voices of Women in American History|accessdate=2017-01-03|publisher=Smithsonian Folkways}}</ref>。 |
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ミードは「記号論」という単語を複数形で用いた人物であると考えられている<ref>{{cite book|editor=Thomas A. Sebeok|title=Approaches to Semiotics|year=1964|editor2=Alfred S. Hayes|editor3=Mary Catherine Bateson}}</ref>。 |
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←上記2パラグラフは雑多な内容と考えたのでコメントアウトしています。JillyHean1979 2016/1/9追記--> |
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== 私生活 == |
== 私生活 == |
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=== 恋愛・結婚など === |
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師であったベネディクトとは[[同性愛]]との関係にあったとの推測(下記のヒラリー・ラプスリーの著書)が存在するが、事実として確定されているわけではない。また[[グレゴリー・ベイトソン]]とは公私にわたるパートナーであった。ベイトソンとの娘の[[メアリー・キャサリン・ベイトソン]]も文化人類学者。 |
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サモアに出発する前に、ミードは、指導教授であったルース・ベネディクトの親友であった、[[言語学|言語学者]]の[[エドワード・サピア]]と短い[[恋愛]]関係にあった。 しかし、結婚と[[性役割|女性の役割]]についてのサピアの保守的な考えは、ミードにとっては受け入れがたいものであり、ミードはフィールドワークを行うためサモアへと去ってしまったため、2人は破局した<ref>{{cite book|last=Darnell|first=Regna|title=Edward Sapir: linguist, anthropologist, humanist|year=1989|publisher=University of California Press|page=187|location=Berkeley|isbn=978-0-520-06678-6}}</ref>。 |
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ミードは3回結婚した。ミードの最初の夫(1923年 - 1928年)は、当時[[神学生]]であり後に人類学者となった[[アメリカ人]]{{日本語版にない記事リンク|ルーサー・クレスマン|en|Luther Cressman}}であった。ミードは著書『Blackberry Winter』において、2人の結びつきを否定的に「私の学生結婚」と述べており、この表現に対しクレスマンは激しく反論を行った。ミードの二番目の夫(1928年 - 1935年)は、[[ケンブリッジ大学]]の卒業生であり、人類学者仲間であった[[ニュージーランド人]]の{{日本語版にない記事リンク|レオ・フォーチュン|en|Reo Fortune}}であった。 ミードの3番目の、最も長く続いた結婚(1936年 - 1950年)は[[イギリス]]の人類学者、[[グレゴリー・ベイトソン]]とのものであった。ミードはベイトソンの間に娘[[メアリー・キャサリン・ベイトソン]]をもうけ、メアリーもまた人類学者となっている<ref name="psu"/>。 |
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ミードは、グレゴリー・ベイトソンが最愛の夫であることをためらいなく認めている。ミードは、ベイトソンが亡くなった際に非常に落胆し、どこに行くにも、病院の死の床であっても、ベッドサイドにベイトソンの写真を立て続けた<ref name="Howard"/>{{rp|428}}。 |
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[[ファイル:Margaret_Mead_(1972).jpg|サムネイル|1972年のマーガレット・ミード]] |
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ミードはまた、指導教授の1人であるルース・ベネディクトと非常に密接な関係を持っていた。二人は同性愛関係にあったのではないかとする指摘もある<ref>{{Cite book |和書 |author=ヒラリー・ラプスリー |translator=伊藤悟 |year=2002 |title=マーガレット・ミードとルース・ベネディクト―ふたりの恋愛が育んだ文化人類学 |publisher=明石書店 |page= |id= |isbn=4750316083 |quote= }}</ref>。メアリー・キャサリン・ベイトソンは、その両親についての回顧録である『With a Daughter's Eye(邦題:娘の眼から―マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンの私的メモワール)』において、ベネディクトとミードの関係は一部性的なものであったと示唆している<ref name="MCBateson">Bateson 1984; Lapsley 1999.</ref>{{Rp|117–118}}。ミードは、自らが[[レズビアン]]または[[両性愛|バイセクシュアル]]であると公に位置付けることは決してなかった。しかしミードは著書において、個人の[[性的指向]]は人生を通じ変化すると考えられることを示唆している<ref name="MCBateson"/>。 |
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ミードは、人類学者{{仮リンク|ローダ・メトロー|en|Rhoda Bubendey Métraux}}と個人的かつ専門的な協力を行い晩年を過ごし、1955年から1978年に亡くなるまでメトローと同居していた。2006年には、2人の間の手紙が公表されている<ref>Caffey and Francis 2006.</ref>。 |
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=== 親族 === |
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ミードの成人した妹は二人とも、著名な男性と結婚した。アーティストかつ教師であったエリザベス・ミード(1909年 - 1983年)は、[[漫画家]][[ウィリアム・スタイグ]]と結婚しており、プリシラ・ミード(1911年 - 1959年)は[[レオ・ロステン]]と結婚している<ref>{{cite book|last=Banner|first=Lois W.|title=Intertwined Lives: Margaret Mead, Ruth Benedict, and Their Circle|url=https://books.google.com/books?id=QegaBoxPOrsC&pg=PA88&lpg=PA88&dq=leo+rosten+william+steig&source=bl&ots=EYD118S9o2&sig=raYzr5XbBa33-47I8--TLqt6uZ8&hl=en&sa=X&ei=TtY1VM7KNpKcyASCkoDoDQ&ved=0CD4Q6AEwBQ#v=onepage&q=leo%20rosten%20william%20steig&f=false|year=2010|publisher=Knopf Doubleday Publishing Group|isbn=9780307773401}}</ref>。ミードには弟リチャードもおり、リチャードは後に教授となった。ミードは、ジェレミー・スタイグの伯母でもある<ref>{{cite book|title=Understanding Early Adolescent Self and Identity: Applications and Interventions|url=https://books.google.com/books?id=6d4N9PLu2JIC&pg=PA131&lpg=PA131&dq=Mary+Catherine+Bateson+jeremy+steig&source=bl&ots=8A9XRr3azZ&sig=CId5moznsCdgpvNsbHrb3gITt0A&hl=en&sa=X&ei=Hs41VPX5C42yyATl4oDgDw&ved=0CCMQ6AEwAQ#v=onepage&q=Mary%20Catherine%20Bateson%20jeremy%20steig&f=false|year=2002|publisher=SUNY Press|last1=Brinthaupt|last2=Lipka|first1=Thomas M.|first2=Richard P.|isbn=9780791453346}}</ref>。 |
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=== 信仰 === |
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[[宗教]]に関し様々な見解をもつ家族のもとに生まれ、ミードは、自らが形の上では知っていた信仰である[[キリスト教]]について、その信仰の表現を示してくれるような宗教を模索した<ref name="Mead">{{harvnb|Mead|1972|pp=76–77}}</ref>。そして、ミードは[[米国聖公会]]の儀式が、自らが模索していた宗教の表現に合致すると考えた<ref name="Mead" />。[[聖公会]]の信徒として、ミードは、1979年版[[聖公会祈祷書|米国聖公会祈祷書]]の作成に多大な寄与を行った<ref name="Howard" />{{rp|347–348}}。 |
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==死後== |
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[[1979年]][[1月19日]]、[[アメリカ合衆国大統領]][[ジミー・カーター]]は、ミードの死後、[[大統領自由勲章]]をミードに授与したと発表した。[[アメリカ合衆国国際連合大使]]{{仮リンク|アンドリュー・ヤング|en|Andrew Young}}は、アメリカ自然史博物館が支援した、ミードの功績を称えるための特別プログラムにおいて、ミードの娘であるメアリー・キャサリン・ベイトソンに賞を授与した。カーターの表彰の辞は以下のような内容である<ref name="medal">{{cite web|url=http://www.presidency.ucsb.edu/ws/index.php?pid=32524|title=Jimmy Carter: Presidential Medal of Freedom Announcement of Award to Margaret Mead|date=January 19, 1979|publisher=The American Presidency Project|accessdate=2009-10-20}}</ref>。 |
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{{quote|「マーガレット・ミードは文明を学ぶ者でもあり、また文明の模範でもあった。何百万人もの人々に、ミードは、様々な文化のパターンの中にも、それらに内在する人間の単一性が示されているという、文化人類学の中心的な識見をもたらした。ミードは規律を習得するだけではなく、それを乗り越えた。果敢であり、独立し、平易な言い方を用い、恐れを知らない人物として、ミードは若者の模範であり、誰もが彼女から学ぶことのできる教師であり続ける。」}} |
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1979年、{{仮リンク|スーパーシスターズ|en|Supersisters}}の[[トレーディングカード]]セットが製造販売されたが、うち1枚はミードの名前および写真を記載したものであった<ref>{{cite web|last=Wulf |first=Steve |url=http://espn.go.com/espnw/news-commentary/article/12535055/original-roster |title=Supersisters: Original Roster |publisher=Espn.go.com |date=2015-03-23 |accessdate=2015-06-04}}</ref>。 |
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[[アメリカ合衆国郵便公社|アメリカ合衆国郵便公社(USPS)]]は、1998年5月28日、[[:en:Celebrate the Century]]切手シートシリーズの一部として、ミードを描いた32セント切手を発行した<ref>{{Cite web |date=1999-07-19 |url=http://www.educationworld.com/a_lesson/lesson128.shtml |title=Celebrate the Century: Search the Web for U.S. History of the 1920s |publisher=Education World |accessdate=2017-01-09}}</ref>。 |
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[[ニッケルバック]]の2006年の[[ミュージック・ビデオ]]『If Everyone Cared』の最後に、ミードの言葉「献身的な人々による小さな集団が世界を変えられるということを疑わないでください。実際に、そうした集団だけが世界を変えてきたのです(Never doubt that a small group of committed people can change the world. Indeed, it is the only thing that ever has.)」が引用されている<ref>{{cite video |people=Nickelback |date=2006-12-22 |title=If Everyone Cared [OFFICIAL VIDEO] |url=https://www.youtube.com/watch?v=-IUSZyjiYuY |language=English |publisher=Roadrunner Records |time=03:51 }}</ref>。 |
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<!--この言葉は、[[テレビドラマ]]『[[ザ・ホワイトハウス|West Wing(邦題:ザ・ホワイトハウス)]]』の第4シーズンの第15話でも引用されている{{citation needed|date=February 2014}}。←英語版で要出典のためいったんコメントアウト。JillyHean1979 2016/1/9追記--> |
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{{仮リンク|リリー・キング|en|Lily King}}の2014年の小説『Euphoria』は、第二次世界大戦以前のニューギニアにおける、ミードならびにその人類学者仲間のレオ・フォーチュンおよびグレゴリー・ベートソンとの恋愛・結婚関係についてのフィクションである。この小説はカーカス賞(Kirkus Prize)を受賞し、ニューヨークタイムズ・ブックレビューで「今年最高の10冊の本」の1つに選出された<ref>{{Cite news |title=‘Euphoria,’ by Lily King |newspaper=New York Times |date=2014-06-06 |author=Emily Eakin |url=https://www.nytimes.com/2014/06/08/books/review/euphoria-by-lily-king.html |accessdate=2017-01-09}}</ref>。 |
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[[金星]]最大の[[クレーター]]「ミード」([[:en:Mead (crater)|en]])の名称は、ミードの名前に由来する<ref>{{Cite web |date= |url=https://pds.jpl.nasa.gov/planets/captions/venus/mead.htm |title=WTP: Venus: Largest Crater |publisher=NASA |accessdate=2017-01-09}}</ref>。また、アメリカには、[[イリノイ州]]{{仮リンク|エルクグローブヴィレッジ|en|Elk Grove Village, Illinois}}の[[中学校]]<ref>{{cite web|url=http://mead.sd54.org/ |title=Margaret Mead Junior High School |publisher=Mead.sd54.org |accessdate=2013-11-02}}</ref>、[[ワシントン州]][[サマミッシュ (ワシントン州)|サマミッシュ]]の[[小学校]]<ref>{{cite web|url=http://www.lwsd.org/school/mead/Pages/default.aspx |title=Margaret Mead Elementary (Washington) |publisher=Lwsd.org |date=2010-08-16 |accessdate=2010-09-29}}</ref>、[[ニューヨーク州]][[ブルックリン]]の{{仮リンク|シープスヘッドベイ|en|Sheepshead Bay, Brooklyn}}の小学校<ref>{{cite web|url=http://schools.nyc.gov/SchoolPortals/21/K209/default.htm |title=P.S. 209 Margaret Mead |publisher=Schools.nyc.gov |date=2009-04-19 |accessdate=2010-09-29}}</ref>と、ミードにあやかって命名された学校が複数存在する。<!--1982年の映画『[[:en:Summer Lovers]]』において{{仮リンク|ヴァレリー・クィネッセン|en|Valérie Quennessen}}が演じた人類学者は、「嫉妬は、あなたがその人をどれだけ愛しているかではなく、あなたがどれだけ不安かを示すものです(Jealousy doesn't show how much you love someone, but how insecure you are.)」という言葉をミードの言葉だとしている。 ←この言葉がミードのものか出典が確認できないためいったんコメントアウト。JillyHean1979 2016/1/9追記--> |
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==著書== |
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=== 単著 === |
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*''Coming of Age in Samoa''(1928年)<ref>{{cite book|author=Margaret Mead; with an introduction by Mary Pipher |lastauthoramp=yes |title=Coming of Age in Samoa: a psychological study of primitive youth for western civilisation|year=2004|publisher=Perennial Classics|location=New York|isbn=978-0688050337|edition=1st Perennial Classics,<!--, [9. Dr.].-->}}</ref> |
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*''Growing Up In New Guinea''(1930年)<ref>{{cite book|last=Mead|first=Margaret|title=Growing Up in New Guinea: a comparative study of primitive education|year=2001|publisher=HarperCollins|location=New York|isbn=978-0688178116|edition=1st Perennial Classics}}</ref> |
|||
*''The Changing Culture of an Indian Tribe''(1932年)<ref>{{cite book |title=The changing culture of an Indian tribe |url=http://www.worldcat.org/oclc/847822 |accessdate=8 March 2015}}</ref> |
|||
*''Sex and Temperament in Three Primitive Societies''(1935年)<ref name="Mead 2003" /> |
|||
*''And Keep Your Powder Dry: An Anthropologist Looks at America''(1942年) |
|||
*''Male and Female''(1949年)<ref>{{cite book|last=Mead|first=Margaret|title=Male and Female|year=2001|publisher=Perennial|location=New York|isbn=978-0060934965|edition=1st Perennial}}</ref> |
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*''New Lives for Old: Cultural Transformation in Manus, 1928–1953'' (1956年) |
|||
*''People and Places''(1959年、若者向け書籍) |
|||
*''Continuities in Cultural Evolution''(1964年) |
|||
*''Culture and Commitment''(1970年) |
|||
*''The Mountain Arapesh: Stream of events in Alitoa''(1971年) |
|||
*''Blackberry Winter: My Earlier Years''(1972年、自伝)<ref>{{cite book|last=Lutkehaus|first=Margaret Mead; with a new introduction by Nancy|title=Blackberry Winter: my earlier years|year=1995|publisher=Kodansha International|location=New York|isbn=978-1568360690}}</ref> |
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=== 編集・共著 === |
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*''Cultural Patterns and Technical Change''(編集、1953年) |
|||
*''Primitive Heritage: An Anthropological Anthology''({{仮リンク|ニコラス・カラス|en|Nicholas Calas}}との共同編集、1953年) |
|||
*''An Anthropologist at Work''(編集、1959年、1966年再版、[[ルース・ベネディクト]]の章) |
|||
*''The Study of Culture At A Distance''({{仮リンク|ローダ・メトロー|en|Rhoda Bubendey Métraux}}との共同編集、1953年) |
|||
*''Themes in French Culture''(ローダ・メトローとの共著、1954年) |
|||
*''The Wagon and the Star: A Study of American Community Initiative''(Muriel Whitbeck Brownとの共著、1966年) |
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*''A Rap on Race''(James Baldwinとの共著、1971年) |
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*''A Way of Seeing''(ローダ・メトローとの共著、1975年) |
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==関連項目== |
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{{portal|Systems science|Biography|LGBT}} |
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*『サモアの思春期』 |
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*[[:en:Tim Asch]] |
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*『マヌアの社会組織』 |
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*[[グレゴリー・ベイトソン]] |
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*『3つの未開社会における性と気質』 |
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*[[:en:Ray Birdwhistell]] |
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*『男性と女性』 |
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*[[:en:Macy Conferences]] |
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*『人類学者の研究生活』 |
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*[[:en:Elsie Clews Parsons]] |
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*『女として人類学者として マーガレット・ミード自伝』(平凡社, 1975年) |
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*[[:en:Visual anthropology]] |
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*『フィールドからの手紙』 |
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*[[:en:Zora Neale Hurston]] |
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*[[:en:75½ Bedford St]] |
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==脚注== |
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{{Reflist|2}} |
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*ヒラリー・ラプスリー著『マーガレット・ミードとルース・ベネディクト―ふたりの[[恋愛]]が育んだ[[文化人類学]]』[[明石書店]] (2002/07) ISBN 4750316083 |
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==参考文献== |
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===英語文献=== |
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===日本語文献=== |
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*{{Cite book |和書 |author=ヒラリー・ラプスリー |translator=伊藤悟 |year=2002 |title=マーガレット・ミードとルース・ベネディクト―ふたりの恋愛が育んだ文化人類学 |publisher=明石書店 |page= |id= |isbn=4750316083 |quote= }} |
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==外部リンク== |
==外部リンク== |
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{{Wikiquotelang|en|Margaret Mead}} |
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*[http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/020728mead.html マーガレット・ミード]{{リンク切れ|date=2014年5月}} |
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{{Wikisourceauthor|Margaret Mead}} |
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*[http://www4.hp-ez.com/hp/eon/page40/73 ミードの幻想サモア編] |
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* {{YouTube|GOCYhmnx6o8|Margaret Mead and Samoa}}. ミードの研究に関するフリーマンらの論争についてのドキュメンタリー映像で、ミードの調査参加者へのインタビューも含まれている。 |
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*[http://www4.hp-ez.com/hp/eon/page40/74 ミードの幻想ニューギニア編] |
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*[http://www.interculturalstudies.org The Institute for Intercultural Studies] ミードにより設立された民族学研究機関のウェブサイト。ミードの調査に関する資料についても掲載されている。 |
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*[http://www.loc.gov/exhibits/mead/ Library of Congress, Margaret Mead: Human Nature and the Power of Culture] アメリカ議会図書館のミードに関連するウェブサイト。 |
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*{{worldcat id|id=lccn-n78-93416}} |
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*[http://www.nasonline.org/publications/biographical-memoirs/memoir-pdfs/mead-margaret.pdf National Academy of Sciences Biographical Memoir] 米国科学アカデミーが作成したミードの略歴。 |
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*[http://www.loc.gov/rr/rarebook/coll/059.html The Dell Paperback Collection] ミードの著作の初版。アメリカ議会図書館に保存されている。 |
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2017年1月26日 (木) 17:48時点における版
マーガレット・ミード | |
---|---|
1950年のマーガレット・ミード | |
生誕 |
1901年12月16日 アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア |
死没 |
1978年11月15日 (76歳没) アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク |
教育 |
|
職業 | 文化人類学者 |
配偶者 |
|
子供 | メアリー・キャサリン・ベイトソン (1939年生) |
受賞 | 1970年 カリンガ賞 |
マーガレット・ミード(Margaret Mead、1901年12月16日 - 1978年11月15日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれの文化人類学者である[1]。コロンビア大学でミードを指導したルース・ベネディクトとともに20世紀米国を代表する文化人類学者と評価されている。
ミードはニューヨーク市のバーナード・カレッジで学士号を、コロンビア大学で修士号および博士号を、それぞれ取得している。ミードは、文化人類学の発展期にあって数多くのフィールドワークをこなし、精力的に研究を行った。また文化人類学を利用した社会評論や一般向け著作にも熱心に取組み、文化人類学の普及に多大な貢献を行った。南太平洋および東南アジアの伝統文化においての、性に関する態度を詳述したミードの報告は、1960年代の性の革命に影響を与えたとされており、ミードは、尊敬されまたしばしば論争の対象ともなる学者であった[2][3]。
経歴
誕生および幼少期
マーガレット・ミードは、5人きょうだいのうちの長子として、フィラデルフィアで生まれたが、近くのペンシルベニア州ドイルズタウンで育った。 父エドワード・シャーウッド・ミードは、ペンシルベニア大学ウォートン・スクールのファイナンスの教授であり、母エミリー(ネー・フォッグ)・ミード[4]は、イタリア系移民の研究を行う社会学者であった[5]。ミードの妹キャサリン(1906年 - 1907年)は9ヶ月で亡くなった。キャサリンの死は、名付け親であったミードの心を傷つける出来事であり、長年、ミードが空想にふけるときは、失われた妹のことを考えるのが常であった[6]。ミード一家は頻繁に転居していたため、ミードが11歳でペンシルベニア州ラハスカのバッキンガム・フレンズ・スクールに入れられるまで、ミードの早期教育は祖母によって行われていた[7]。
博士号取得
ミードは1919年の1年間、デポー大学に学び、その後、1923年に学士号を取得することとなるバーナード・カレッジに転学した。その後、ミードはコロンビア大学においてフランツ・ボアズおよびルース・ベネディクトのもとで学び、1924年に修士号を取得した[8][9]。ミードは1925年にサモアでのフィールドワークを開始した[10]。1929年、コロンビア大学で博士号を取得した[11][9]。同年、ミードは2番目の夫であるフォーチュンとともに、マヌス島を訪れ、島の南側の海岸の村ペリにおいて、マヌスの人々についての熱心なフィールドワークを行っている[6]:117。
研究者としてのキャリア
大学でのキャリア
ミードはニュースクール大学およびコロンビア大学において教鞭を執り[12]、コロンビア大学では1954年から1978年にかけて助教授を務めた[9]。
その傍ら、ミードは1965年にニューヨーク大学の都市人類学研究室を設立した。また、ミードは1968年にフォーダム大学のリンカーンセンターキャンパスに人類学研究室を設立し、1968年から1970年までは社会科学研究科の研究科長を務めた[2][13]。
また、1970年には、社会学および人類学のディスティングイッシュト・プロフェッサーとして、ロードアイランド大学の教授となった[14]。
ミードは、これらのほかにも、エモリー大学、イェール大学、メニンガー・クリニックなどにおいても講義を行っている[15]。
ミードは、ルース・ベネディクトの例に倣い、育児、人格、文化の問題に焦点を合わせ研究を行い[16]、またジーン・ヒューストンを含む、多くの若い人類学者および社会学者を指導した[6]:370–71。目立つケープと杖がミードのトレードマークであった[1]。
アメリカ自然史博物館でのキャリア
ミードは1926年、ニューヨークのアメリカ自然史博物館にアシスタント・キュレーターとして参加した。1946年にはアソシエイト・キュレーターに昇進し、1964年から1969年までは民族学のキュレーターを務め、1969年に名誉キュレーターの称号を付与された[8][9][15]。
その他学界でのキャリア
1942年から1945年まで、ミードは全米研究評議会の食習慣委員会の幹事長を務めた[17][9]。ミードは1948年にアメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選出された[18]。1948年から1950年までの間は、ロシア人たちの権威に対する文化および態度を研究するため、アメリカ陸軍航空軍が資金援助を行った民間の研究機関であるランド研究所にも勤務していた[19]。
ミードは1960年、アメリカ人類学会の会長を務めた[20]。
1970年代には、ミードはニューヨーク科学アカデミーの副会長を務めた[21][22]。ミードはまた、アメリカ科学振興協会においても様々な役職を歴任し、特に1975年には代表となり、1976年には取締役会経営委員会の議長となった[23]。1976年、ミードは、人間の居住に関する最初の国際連合のフォーラムである第1回国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)の主要参加者として参加した。
業績
パプアニューギニアでの研究
ミードはオセアニア地域の先住民族に関し、心理・文化の様々な面についての研究を行ってきた[8]。特にニューギニアにおいては、1925年のサモアでのフィールドワークに始まり、1928年から1929年、1931年から1933年、1936年から1939年にもフィールドワークを行っている[9]。
『Coming of Age in Samoa(邦題:サモアの思春期)』(1928年)
内容
ミードは、この著書において、サモアの人々の生活、教育、社会構造、パーソナリティ等について、フィールドワークに基づいた紹介を行った。この著書の前書きで、ミードの指導教授であったフランツ・ボアズは、この著書の重要性について以下のとおり記載している。
礼儀、謙遜、行儀良さ、明確な倫理基準に適合することは普遍的なものであるが、何が礼儀、謙虚さ、行儀良さ、明確な倫理基準を構成するのかは普遍的ではない。最も予想できない方法で、そうした基準が異なることを知ることは有益である[24]。
ミードはサモアの人々の教育に関連して、サモアの少女たちは、怠惰だという評判が立つと結婚が難しくなること、ならびに少女たちは編み物および魚獲りを習得しなければならず、「そのほかの関心は秘密の性の冒険に向けられている」ことを紹介し、サモアにおいては結婚に際し処女性よりも勤労倫理のほうが重視されていることを暗示した。
また、サモアの人々のパーソナリティに関しては、西洋の人々に比べてより素朴かつ誠実であり、性的なノイローゼの影響を受けづらいとした。性に関しては、サモアの人々はより月経などを不快に感じづらく、また一対一でない性関係についても懸念を持ちづらいとした。ミードはこれらの原因を、サモアの社会における家族の範囲がより広くなっていること、またサモアの人々は問いに対しはっきりとした答えを出すことを好まないように見受けられることに求めている。
批判と再批判
ミードの死の5年後の1983年に、ニュージーランドの人類学者であるデレク・フリーマンは、『Margaret Mead and Samoa: The Making and Unmaking of an Anthropological Myth(邦題:マーガレット・ミードとサモア)』を出版し、ミードのサモア社会におけるセクシュアリティに関する主な発見に対し、異議を述べた[25]。フリーマンは、サモアの文化においては、若者が性を探求することにつき多くの制限は課せられていないというミードの主張は、ミードのサモアの文化に対する誤解に基づくものだとした。ミードは機密保持のためにすべての被験者の身元を慎重に隠していたが、フリーマンはミードの調査の参加者の1人を発見してインタビューを行い、その参加者から、自分は友人とともに作り話をし、ミードを故意に誤解させたと聞き取った旨を報告した[26]。
ついで、フリーマンの著書自体も論争の的となり、人類学界からの少なからぬ反発と厳しい批判にさらされた。1983年にはアメリカ人類学会はその著書を「分かりづらく、非科学的であり、無責任で、ミスリーディングである」と批判した[27]。フリーマンの批判は、性道徳観は多かれ少なかれ文化横断的なものであると考えていた科学者らには熱狂的に受け入れられた[28][29]。これに対し、フリーマンは、しばしば、ミードの研究および意見を誤って紹介しているという批判もなされた[30]。
サモアの文化を研究した人類学者には、フリーマンの調査結果を支持しミードの調査結果に反対する者もいた。他方、サモアの文化はミードがフィールドワークを行ってからフリーマンがフィールドワークを行うまでの数十年間の間に、キリスト教との融合により変化しているため、フリーマンの研究はミードの研究結果を無効にするものではないとする人類学者もいた[31]。ほか、ミードの結論はただ1人の人物との1度だけのインタビューの信頼性に依拠するものではなく、ミードのサモアでの滞在期間中の観察とインタビューの総和を基礎とするものであるため、上記の参加者が作り話をしていたとしても、それが直ちにミードの調査への反証とはならないと主張する人類学者もいる[32]。
1996年、マーティン・オーランス(Martin Orans)はアメリカ議会図書館において保存されているミードのメモを調査し、ミードは上記参加者に騙されていたのだというフリーマンの批判は、いくつかの理由により不正確であると指摘した。第一に、ミードはサモア人の冗談の形式とその頻度をよく理解しており、第二に、ミードが「儀式の処女」への性的な制限について行った検討は、上記参加者がフリーマンに行った説明と合致しており、第三に、ミードが上記参加者へのインタビュー以前に既にサモアのセクシュアリティに関する結論に達していたことがそのメモから明らかであるというのが理由である。しかしながら、哲学者ピーター・シンガー[33]や動物学者デイビッド・アッテンボロー[34]など、ミードは騙されていたのだと主張する学者も多く、オーランスの主張もまた論争の的となっている。なお、実証主義的なスタンスからミードの調査を評して、オーランスは、フリーマンの批判の有効性いかんによらず、ミードの研究は科学的厳密性が不十分であり、「ミードの調査は、調査が『正しいか間違っているか以前の問題だ』という激しい科学的な批判により適切に否定されうる」とこの論争を分析している[35]。
1999年に、フリーマンは、従前は入手していなかった資料も含めて、別の著書『The Fateful Hoaxing of Margaret Mead: A Historical Analysis of Her Samoan Research』を公表した。経験主義的な人類学者はミードの結論に同意する傾向があるが、フリーマンの意見に協調し、生得主義的なアプローチを取る、人類学者以外の学者もおり、ハーバード大学の心理学者スティーブン・ピンカー、生物学者のリチャード・ドーキンス、進化心理学者のデイビッド・バス、科学ライターのマット・リドレー、古典主義者メアリー・レフコヴィッツ、哲学者ピーター・シンガーが挙げられる[36][33]。ニューヨーク・タイムズのフリーマンの死亡記事において、ジョン・ショーは、フリーマンの論文は多くの人を憤慨させはしたが、その死までには広く受け入れられるようになった、と述べた[27]。しかしながら、人類学者のポール・シャンクマン(Paul Shankman)やアリス・ドレガーによるものをはじめ、フリーマンはミードの調査を誤解している[37]、根拠が薄弱で誤導的である[38]、という批判もなお存在する。
保守系学術団体が発行するThe Intercollegiate Reviewの1999年秋号に掲載された「今世紀で最悪の(および最高の)50の書籍」という記事では、『Coming of Age in Samoa』が今世紀最悪の50の書籍の第1位にランクインしている[39]。
『Sex and Temperament in Three Primitive Societies』(1935年)
内容
ミードのもう一つの影響力ある書籍は、『Sex and Temperament in Three Primitive Societies』である[40]。ミードは、この著書において、パプアニューギニアのセピック(Sepik)盆地のチャンブリ湖(Tchambuli、現在はChambriと表記する)地域において、特段の問題なく、女性優位の社会が形成されていることを報告した。この著書はウーマンリブ運動の大きな拠り所となった。
ミードは、同じくセピックに居住するアラペシュ族(Arapesh)は平和主義者であると述べたが、時折戦争に参加することについても注記している。アラペシュ族の間での土地の共有および育児における平等主義の強調についてのミードの観察、また親族間の主に平和的な関係のミードの記録は、より重層化したニューギニア文化に関し例えばアンドリュー・ストラザーン(Andrew Strathern)が記録したような「ビッグ・マン」の優位性の誇示とは大きく異なっている。これらは異なる文化のパターンである。
ミードはこの著書において、3つの部族の比較研究を行い、各部族での性役割が非常に対照的であることを報告した。
- 「アラペシュ族においては、男性も女性も平和的な気質であって、男性も女性も戦争を行うことはない。」
- 「ムンドグモール族においては、正反対である。男性も女性も、好戦的な気質を有している。」
- 「チャンブリ族はこのいずれとも異なる。男性は『着飾って』自分たちを装飾することに時間を費やすが、女性は働いており現実的な人々であるーこれは20世紀初頭のアメリカとは正反対である。」
批判
デボラ・ゲウェルツ(Deborah Gewertz)は1974年から1975年にかけてチャンブリ族を研究したが、1981年に、ミードが述べたような性役割の証拠は見つからなかったことを報告した。ゲウェルツは、チャンブリ族の男性が女性を支配し、農産物を管理し、重要な政治的決定を下していたことを、1850年代まで遡ることができる証拠があるとした。後年にも、女性が男性を支配する社会の存在、あるいは過去にそのような社会があったことの兆候について、勤勉な調査が行われているが、いずれも発見されていない[41]。
男性と女性についてのミードの研究は、ウーマンリブ運動のルーツとなったにもかかわらず、ベティ・フリーダンによって、女性を幼児化することに寄与しているという根拠により、批判されている[42]。
他の研究分野
人種と知能
1926年には、人種および知能についての多くの議論があった。ミードは、知能に関する人種的優位性の議論を支持する実験的な心理学の研究についての方法論には、実質的な欠陥があると考えた。著書『The Methodology of Racial Testing: Its Significance for Sociology』において、ミードは、人種間の知能の差異に関するテストには3つの問題があることを示している。第一に、ある被験者の知能検査スコアをミードが「人種混合(racial admixture)」と呼ぶもの、すなわち黒人やインド人の血をどれだけその者が有しているかと有効に関連付けられるかには懸念があり、このような情報が知能指数を解釈する際に適切か否かについても懸念が存在する。第二に、知能検査スコアは、環境(家族構成、社会的・経済的地位、言語に触れている程度など)に強く影響され、そうした社会的地位の影響を測るのは難しい。第三に、言語の壁が時に最も大きな問題となる。
同様に、スティーヴン・ジェイ・グールドも、著書『The Mismeasure of Man(邦題:人間の測りまちがい)』において、知能に本当に人種間の相違があるのかを測るにあたり、知能検査において3つの主な問題があることを指摘している[43][44]。
ユダヤ系移民に関する調査
ミードは、米国ユダヤ人協会がヨーロッパのユダヤ人の村であるシュテットルを研究する計画で、研究者らがニューヨーク市に居住しているユダヤ系移民に対し大規模な聞き取り調査を行うというものを支援するよう説得したことにより、高く評価されている。研究結果についての書籍は、数十年に渡って広く引用され、子供たちを強く愛するが息が詰まるほどにも支配し、子供たちのために苦労をすると明言することを通じて子供たちに罪悪感を植え付けるという、ユダヤ人の母親のステレオタイプを作り上げたといわれている[45]。
「スポック博士の育児書」への貢献
ミードのかかりつけの小児科医はベンジャミン・スポックであった[1]。スポックが後に著した育児に関する書物は、ミードがスポックと共有した、民族学的なフィールド観察から得られたミード自身の実践や信念の一部(特に、スケジュールよりも子供の要求に対応した授乳)を取り込んでいた[46]。
画像シンボル言語の開発
1960年代半ば、ミードは通信理論家ルドルフ・モドリーと協力を行い、共同でGYLPHS, inc.という組織を設立した。GYLPHS, inc.の目的は、いかに原始的な文化であろうと、どの文化のメンバーであっても理解できるような、普遍的な画像シンボル言語を作成することであった[47]。
私生活
恋愛・結婚など
サモアに出発する前に、ミードは、指導教授であったルース・ベネディクトの親友であった、言語学者のエドワード・サピアと短い恋愛関係にあった。 しかし、結婚と女性の役割についてのサピアの保守的な考えは、ミードにとっては受け入れがたいものであり、ミードはフィールドワークを行うためサモアへと去ってしまったため、2人は破局した[48]。
ミードは3回結婚した。ミードの最初の夫(1923年 - 1928年)は、当時神学生であり後に人類学者となったアメリカ人ルーサー・クレスマン(英語: Luther Cressman)であった。ミードは著書『Blackberry Winter』において、2人の結びつきを否定的に「私の学生結婚」と述べており、この表現に対しクレスマンは激しく反論を行った。ミードの二番目の夫(1928年 - 1935年)は、ケンブリッジ大学の卒業生であり、人類学者仲間であったニュージーランド人のレオ・フォーチュン(英語: Reo Fortune)であった。 ミードの3番目の、最も長く続いた結婚(1936年 - 1950年)はイギリスの人類学者、グレゴリー・ベイトソンとのものであった。ミードはベイトソンの間に娘メアリー・キャサリン・ベイトソンをもうけ、メアリーもまた人類学者となっている[9]。
ミードは、グレゴリー・ベイトソンが最愛の夫であることをためらいなく認めている。ミードは、ベイトソンが亡くなった際に非常に落胆し、どこに行くにも、病院の死の床であっても、ベッドサイドにベイトソンの写真を立て続けた[6]:428。
ミードはまた、指導教授の1人であるルース・ベネディクトと非常に密接な関係を持っていた。二人は同性愛関係にあったのではないかとする指摘もある[49]。メアリー・キャサリン・ベイトソンは、その両親についての回顧録である『With a Daughter's Eye(邦題:娘の眼から―マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンの私的メモワール)』において、ベネディクトとミードの関係は一部性的なものであったと示唆している[50]:117–118。ミードは、自らがレズビアンまたはバイセクシュアルであると公に位置付けることは決してなかった。しかしミードは著書において、個人の性的指向は人生を通じ変化すると考えられることを示唆している[50]。
ミードは、人類学者ローダ・メトローと個人的かつ専門的な協力を行い晩年を過ごし、1955年から1978年に亡くなるまでメトローと同居していた。2006年には、2人の間の手紙が公表されている[51]。
親族
ミードの成人した妹は二人とも、著名な男性と結婚した。アーティストかつ教師であったエリザベス・ミード(1909年 - 1983年)は、漫画家ウィリアム・スタイグと結婚しており、プリシラ・ミード(1911年 - 1959年)はレオ・ロステンと結婚している[52]。ミードには弟リチャードもおり、リチャードは後に教授となった。ミードは、ジェレミー・スタイグの伯母でもある[53]。
信仰
宗教に関し様々な見解をもつ家族のもとに生まれ、ミードは、自らが形の上では知っていた信仰であるキリスト教について、その信仰の表現を示してくれるような宗教を模索した[54]。そして、ミードは米国聖公会の儀式が、自らが模索していた宗教の表現に合致すると考えた[54]。聖公会の信徒として、ミードは、1979年版米国聖公会祈祷書の作成に多大な寄与を行った[6]:347–348。
死後
1979年1月19日、アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターは、ミードの死後、大統領自由勲章をミードに授与したと発表した。アメリカ合衆国国際連合大使アンドリュー・ヤングは、アメリカ自然史博物館が支援した、ミードの功績を称えるための特別プログラムにおいて、ミードの娘であるメアリー・キャサリン・ベイトソンに賞を授与した。カーターの表彰の辞は以下のような内容である[55]。
「マーガレット・ミードは文明を学ぶ者でもあり、また文明の模範でもあった。何百万人もの人々に、ミードは、様々な文化のパターンの中にも、それらに内在する人間の単一性が示されているという、文化人類学の中心的な識見をもたらした。ミードは規律を習得するだけではなく、それを乗り越えた。果敢であり、独立し、平易な言い方を用い、恐れを知らない人物として、ミードは若者の模範であり、誰もが彼女から学ぶことのできる教師であり続ける。」
1979年、スーパーシスターズのトレーディングカードセットが製造販売されたが、うち1枚はミードの名前および写真を記載したものであった[56]。
アメリカ合衆国郵便公社(USPS)は、1998年5月28日、en:Celebrate the Century切手シートシリーズの一部として、ミードを描いた32セント切手を発行した[57]。
ニッケルバックの2006年のミュージック・ビデオ『If Everyone Cared』の最後に、ミードの言葉「献身的な人々による小さな集団が世界を変えられるということを疑わないでください。実際に、そうした集団だけが世界を変えてきたのです(Never doubt that a small group of committed people can change the world. Indeed, it is the only thing that ever has.)」が引用されている[58]。
リリー・キングの2014年の小説『Euphoria』は、第二次世界大戦以前のニューギニアにおける、ミードならびにその人類学者仲間のレオ・フォーチュンおよびグレゴリー・ベートソンとの恋愛・結婚関係についてのフィクションである。この小説はカーカス賞(Kirkus Prize)を受賞し、ニューヨークタイムズ・ブックレビューで「今年最高の10冊の本」の1つに選出された[59]。
金星最大のクレーター「ミード」(en)の名称は、ミードの名前に由来する[60]。また、アメリカには、イリノイ州エルクグローブヴィレッジの中学校[61]、ワシントン州サマミッシュの小学校[62]、ニューヨーク州ブルックリンのシープスヘッドベイの小学校[63]と、ミードにあやかって命名された学校が複数存在する。
著書
単著
- Coming of Age in Samoa(1928年)[64]
- Growing Up In New Guinea(1930年)[65]
- The Changing Culture of an Indian Tribe(1932年)[66]
- Sex and Temperament in Three Primitive Societies(1935年)[40]
- And Keep Your Powder Dry: An Anthropologist Looks at America(1942年)
- Male and Female(1949年)[67]
- New Lives for Old: Cultural Transformation in Manus, 1928–1953 (1956年)
- People and Places(1959年、若者向け書籍)
- Continuities in Cultural Evolution(1964年)
- Culture and Commitment(1970年)
- The Mountain Arapesh: Stream of events in Alitoa(1971年)
- Blackberry Winter: My Earlier Years(1972年、自伝)[68]
編集・共著
- Cultural Patterns and Technical Change(編集、1953年)
- Primitive Heritage: An Anthropological Anthology(ニコラス・カラスとの共同編集、1953年)
- An Anthropologist at Work(編集、1959年、1966年再版、ルース・ベネディクトの章)
- The Study of Culture At A Distance(ローダ・メトローとの共同編集、1953年)
- Themes in French Culture(ローダ・メトローとの共著、1954年)
- The Wagon and the Star: A Study of American Community Initiative(Muriel Whitbeck Brownとの共著、1966年)
- A Rap on Race(James Baldwinとの共著、1971年)
- A Way of Seeing(ローダ・メトローとの共著、1975年)
関連項目
- en:Tim Asch
- グレゴリー・ベイトソン
- en:Ray Birdwhistell
- en:Macy Conferences
- en:Elsie Clews Parsons
- en:Visual anthropology
- en:Zora Neale Hurston
- en:75½ Bedford St
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- Stassinos, Elizabeth (1998). “Response to Visweswaren, 'Race and the culture of anthropology'”. American Anthropologist 100 (4): 981–983. doi:10.1525/aa.1998.100.4.981.
- Stassinos, Elizabeth (2009). “An Early Case of Personality: Ruth Benedict's Autobiographical Fragment and the Case of the Biblical "Boaz"”. Histories of Anthropology Annual 5: 28–51. doi:10.1353/haa.0.0063. ISSN 1557-637X.
- Virginia, Mary E. (2003年). “DISCovering U.S. History”. Gale Research. 2017年1月5日閲覧。
- Young, R.E.; S. Juan. (1985). “Freeman's Margaret Mead Myth: The Ideological Virginity of Anthropologists”. Australian and New Zealand Journal of Sociology 21 (1): 64–81. doi:10.1177/144078338502100104.
日本語文献
- デレク・フリーマン 著、木村洋二 訳『マーガレット・ミードとサモア』みすず書房、1995年。ISBN 4622036460。
- ヒラリー・ラプスリー 著、伊藤悟 訳『マーガレット・ミードとルース・ベネディクト―ふたりの恋愛が育んだ文化人類学』明石書店、2002年。ISBN 4750316083。
外部リンク
- Margaret Mead and Samoa - YouTube. ミードの研究に関するフリーマンらの論争についてのドキュメンタリー映像で、ミードの調査参加者へのインタビューも含まれている。
- The Institute for Intercultural Studies ミードにより設立された民族学研究機関のウェブサイト。ミードの調査に関する資料についても掲載されている。
- Library of Congress, Margaret Mead: Human Nature and the Power of Culture アメリカ議会図書館のミードに関連するウェブサイト。
- 図書館にあるマーガレット・ミードに関係する蔵書一覧 - WorldCatカタログ
- National Academy of Sciences Biographical Memoir 米国科学アカデミーが作成したミードの略歴。
- The Dell Paperback Collection ミードの著作の初版。アメリカ議会図書館に保存されている。