「ニコライ・シフェルブラット」の版間の差分
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* 『王道楽土の交響楽』岩野裕一著、[[音楽之友社]] [[ISBN 978-4276211247]] |
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* [http://sumi-saburo-ms.jp/index.php?m=wp&WID=7899 鷲見三郎メモリアルソサエティ編纂のニコライ・シフェルブラット関連資料] |
* [http://sumi-saburo-ms.jp/index.php?m=wp&WID=7899 鷲見三郎メモリアルソサエティ編纂のニコライ・シフェルブラット関連資料] |
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2016年12月11日 (日) 01:27時点における版
ニコライ・シフェルブラット(Nicolai Schifferblatt、ロシア語: Николай Шиферблат; 1887年 – 1936年10月14日)は、ロシアの指揮者、ヴァイオリン奏者。近衛秀麿とともに、新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)の指揮者を務めた。
生涯
ヴィリニュス(現在はリトアニア共和国の首都)出身。1906年、チフリス(現在はグルジアの首都トビリシ)音楽学校を卒業後、ドイツに留学。帰国後、ヴァイオリニストのレオポルト・アウアーに師事。
1925年に、日本の東京で開催された「日露交歓交響管弦楽大演奏会」にロシア側のメンバーとして参加し、首席コンサートマスターを務めた。なお、後にシフェルブラットの前任者として、新交響楽団の指揮者となるヨゼフ・ケーニヒも、次席コンサートマスターとして参加していた。
帰国後、モスクワ交響楽団の独奏者兼主席ヴァイオリニストに就任した。
1929年7月に新交響楽団(後のNHK交響楽団)の指揮者として招聘され再度来日。ヨゼフ・ケーニヒの後を継いで、1936年7月までその任を務めたが、1936年10月に喘息の発作のため東京で急逝した。
1937年3月には、新交響楽団が、後任のヨーゼフ・ローゼンシュトックの指揮でシフェルブラット追悼演奏会を行った。
出典
- 『王道楽土の交響楽』岩野裕一著、音楽之友社 ISBN 978-4276211247
- 鷲見三郎メモリアルソサエティ編纂のニコライ・シフェルブラット関連資料
脚注
関連項目
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