「チャーリー・パットン」の版間の差分
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*「ディープ・ブルーズ」 ロバート・パーマー[[:en:Robert Palmer (writer)|(en)]]著、[[五十嵐正]]訳 [[シンコー・ミュージック]] ISBN 4-401-61648-0 |
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*「エッセンシャル・ガイド④ ブルース」[[ロジャー・セント・ピエール]]著、[[戸根由紀恵]]訳 [[キネマ旬報社]] |
*「エッセンシャル・ガイド④ ブルース」[[ロジャー・セント・ピエール]]著、[[戸根由紀恵]]訳 [[キネマ旬報社]] ISBN 4-87376-168-9 |
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==外部リンク== |
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2016年12月11日 (日) 01:25時点における版
Charley Patton | |
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生誕 | 1891 (1887, 1894) 年4月 |
出身地 | アメリカ合衆国 ミシシッピ州エドワーズ |
死没 |
1934年4月28日 サンフラワー郡インディアノラ |
ジャンル | デルタ・ブルース |
担当楽器 | ギター、ボーカル |
共同作業者 |
ウィリー・ブラウン トミー・ジョンソン ヘンリー "サン" シムズ サン・ハウス |
チャーリー・パットン(Charley (Charlie) Patton, 1891年 - 1934年)はデルタ・ブルースのギタリスト、シンガー。通称「デルタの声」。デルタ・ブルースを形作った一人であり、それを世に知らしめた第一人者。
来歴
1891年(1887年、または1894年の説あり)、ミシシッピ州ハインズ郡のエドワーズ近郊に十二人兄弟の一人として産まれる。家族は当時ジャクソンとヴィックスバーグの間にある農場で物納小作人(en)として働いていた。
1897年、家族は100マイル北のドッカリープランテーションへと移住。綿花の摘み取り等の仕事に従事した。
チャーリーは厳格な父の目を盗んではパーティーや盛り場へ出かけ、チャットマン一家(ミシシッピ・シークス)と共に演奏を繰り広げたり、その地に住んでいたギタリスト、ヘンリー・スローン(1918年、シカゴに移住)にギターを学んだりしながら、腕を上げていった。頻繁に演奏を共にしたミュージシャンとしてウィリー・ブラウン、トミー・ジョンソン、ジョー・マーティン、のちにサン・ハウスやハウリン・ウルフ、ロバート・ジョンソン、ヘンリー ”サン” シムズらがいる。
1929年6月14日、彼はインディアナ州リッチモンドに位置するゲネット・レコードのスタジオで初のレコーディングを行い、14曲を録音、その中の「ポニー・ブルース(en)」が「バンティー・ルースター・ブルース」とカップリングされてパラマウントより発売され、これは彼の代表曲の一つとなった。パラマウントではその後、グラフトンのスタジオにて二度のレコーディングが行われている。1929年冬のセッションではフィドラーのヘンリー・シムズが、30年においてはウィリー・ブラウンが四曲中二曲で参加している[1]。
それ以降、極度の飲酒と煙草、不規則な生活、それに喉を切り裂かれかけたことも重なり、ひどい体調不良へと陥っていく中、1934年1月、彼はニューヨークにて内縁の妻バーサ・リーと共に、生涯最後となるレコーディングに望んだ。その中には有名な「34ブルース」や「オー・デス」等が含まれている。
約一ヶ月後、彼はニューヨークから自宅のあったホリー・リッジ(en)へと帰り、それからしばらく経った4月28日、サンフラワー郡インディアノラ近くのプランテーションにて、心臓発作を起こして死去。死亡証明書によると死因は「僧帽弁障害[2]」。死に至るまでの数日を、彼は説教を行って過ごしたという。
逸話
- 体格の大きい父と比べ、小柄で細身だったが、彼の声はアンプなしで500ヤード先まで届くと言われた。
- 放蕩である一面、そうした自分の生活に思い悩み、何度か説教師になろうと志したことがある。
- 1930年のレコーディングにはサン・ハウスも参加したが、演奏を共にはしていない。
脚注
- ^ 「ディープ・ブルーズ」ロバート・パーマー(en)著、五十嵐正訳 シンコー・ミュージック ISBN 4-401-61648-0
- ^ 「ディープ・ブルーズ」 ロバート・パーマー(en)著、五十嵐正訳 シンコー・ミュージック ISBN 4-401-61648-0
出典
- 「ディープ・ブルーズ」 ロバート・パーマー(en)著、五十嵐正訳 シンコー・ミュージック ISBN 4-401-61648-0
- 「エッセンシャル・ガイド④ ブルース」ロジャー・セント・ピエール著、戸根由紀恵訳 キネマ旬報社 ISBN 4-87376-168-9