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'''飛行船'''(ひこうせん、英:airship)とは、[[空気]]より[[比重]]の小さい[[気体]]をつめた[[気嚢]]によって機体を浮揚させ、これに推進用の[[動力]]や舵をとるための尾翼などを取り付けて操縦可能にした[[航空機]]の一種である。
'''飛行船'''(ひこうせん、英:airship)とは、[[空気]]より[[比重]]の小さい[[気体]]をつめた[[気嚢]]によって機体を浮揚させ、これに推進用の[[動力]]や舵をとるための尾翼などを取り付けて操縦可能にした[[航空機#軽航空機|航空機(軽航空機)]]の一種である。


== 概要 ==
== 概要 ==
機体の大部分を占めるガス袋(気嚢)に[[水素]]もしくは[[ヘリウム]]がつめられている。通常、ガス袋は空気抵抗を低減させるため細長い形状をしており、乗務員や旅客を乗せるゴンドラや、エンジンおよびプロペラなどの推進装置が外部に取り付けられている。また、機体後部には尾翼があり、方向安定を得るとともに取り付けられた舵面を動かして機首の方向を変えられる。
機体の大部分を占めるガス袋(気嚢)に[[水素]]もしくは[[ヘリウム]]が充填されている。通常、ガス袋は空気抵抗を低減させるため細長い形状をしており、乗務員や旅客を乗せるゴンドラや、エンジンおよびプロペラなどの推進装置が外部に取り付けられている。機体後部には尾翼があり、方向安定を得るとともに取り付けられた舵面を動かして船体の方向を変える。


[[20世紀]]前半には大西洋横断航路などに就航していたが、[[1937年]]に発生した「[[LZ_129 (飛行船)|ヒンデンブルク号]]」の[[ヒンデンブルク号爆発事故|爆発事故]]を契機に[[水素]]利用の飛行船の信頼性は失墜し、航空輸送の担い手としての役割を終えた。その後、[[広告]]宣伝用や大気圏の観測用等として、不燃性の[[ヘリウム]]ガスを利用した飛行船が小規模に使われている。
[[20世紀]]前半には大西洋横断航路などで旅客運行従事していたが、[[1937年]]に発生した「[[LZ_129 (飛行船)|ヒンデンブルク号]]」の[[ヒンデンブルク号爆発事故|爆発事故]]を契機に[[水素]]利用の飛行船の信頼性は失墜し、航空輸送の担い手としての役割を終えた。その後、[[広告]]宣伝用や大気圏の観測用等として、不燃性の[[ヘリウム]]ガスを利用した飛行船が小規模に使われている。


近年では、構造上不可能とされていた完全な球体型の飛行船「[[ボール・オブ・ドリーム]]」も開発さ
以上は有飛行船であるが、最近ではラジコン飛行船の用途分野も広がり、中でも大規模プロジェクトである、地上局・[[人工衛星]]と並ぶ第三の情報通信網としての「[[成層圏プラットフォーム]]」飛行船が注目されている。地上20キロメートルの[[成層圏]]に全長300メートル以上の大型無人飛行船を停留させ、[[無線通信]]の基地局として用いるというものである。[[基地局]]として必要な電力は飛行船上面に取り付けられた[[太陽電池]]でまかなうアイデアもある。地上局に比べ広範囲をカバーでき、[[人工衛星]]に比べ遅延時間が短く運用コストが低いという利点がある。「成層圏プラットフォーム」実用化に向けた取り組みは世界各国でなされており、日本では政府による「ミレニアムプロジェクト」の一つとして、成層圏滞空飛行船を利用した通信・放送サービスが計画された。2004年には、大規模に税金が投入され、[[北海道]]の[[大樹町多目的航空公園]]で、全長60メートルの実験機(ラジコンの軟式飛行船)の飛行試験が行われた。しかしながら、参加した専門家が少ない上に、多くのプロジェクト同様資金不足に陥り中止。現在、この時に使われた格納庫と運用場が残されている。

これとは別に、違法電波の発信源を特定する活動に飛行船を活用する実験が現在首都圏で行われており、実用化に向けて準備が進められている。

近年では、構造上不可能とされていた完全な球体型の飛行船も開発され、「[[ボール・オブ・ドリーム]]」という名で知らている


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[ファイル:Zeplin orta.jpg|250px|thumb|[[伊土戦争]]にてリビアを爆撃する[[イタリア王国]]陸軍航空隊(世界初の航空爆撃)]]
[[ファイル:Zeplin orta.jpg|thumb|[[伊土戦争]]にてリビアを爆撃する[[イタリア王国]]陸軍航空隊(世界初の航空爆撃)]]
{{See also|航空に関する年表}}
{{See also|航空に関する年表}}
* [[1852年]][[9月23日]] - [[フランス]]の[[アンリ・ジファール]]によって[[蒸気機関]]をつけた飛行船の試験飛行が成功。出力3[[馬力]]、時速8キロメートル。
* [[1852年]][[9月23日]] - [[フランス]]の[[アンリ・ジファール]]によって[[蒸気機関]]をつけた飛行船の試験飛行が成功。出力3[[馬力]]、時速8キロメートル。
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* [[1897年]]には[[アシュケナジム|ユダヤ系オーストリア人]]の[[ダーフィット・シュヴァルツ]]によって、硬式飛行船が試作された。ツェッペリンはシュヴァルツの家族から特許を購入する。
* [[1897年]]には[[アシュケナジム|ユダヤ系オーストリア人]]の[[ダーフィット・シュヴァルツ]]によって、硬式飛行船が試作された。ツェッペリンはシュヴァルツの家族から特許を購入する。


[[画像:First Zeppelin ascent.jpg|thumb|250px|right|ツェッペリンの飛行船 (1900)]]
[[ファイル:First Zeppelin ascent.jpg|thumb|ツェッペリンの飛行船 (1900)]]


* [[1891年]]の[[ドイツ]]では、[[フェルディナント・フォン・ツェッペリン]]伯爵が退役後に独力で硬式飛行船の開発に乗り出し、1900年には飛行に成功。[[1909年]]にはドイツ海軍に飛行船を納入し、[[1911年]]にはドイツ国内民間航路(ヴィルヘルムスハーフェン - [[ベルリン]])を開設した。ツェッペリン伯爵の成功により[[ツェッペリン]]は飛行船の代名詞となった。
* [[1891年]]の[[ドイツ]]では、[[フェルディナント・フォン・ツェッペリン]]伯爵が退役後に独力で硬式飛行船の開発に乗り出し、1900年には飛行に成功。[[1909年]]にはドイツ海軍に飛行船を納入し、[[1911年]]にはドイツ国内民間航路(ヴィルヘルムスハーフェン - [[ベルリン]])を開設した。ツェッペリン伯爵の成功により[[ツェッペリン]]は飛行船の代名詞となった。
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* [[1911年]][[9月20日]]に、[[山田猪三郎]]が開発した山田式飛行船が東京上空一周飛行に成功した。
* [[1911年]][[9月20日]]に、[[山田猪三郎]]が開発した山田式飛行船が東京上空一周飛行に成功した。
* [[第一次世界大戦]]においては、ドイツ軍により[[軍用飛行船]]が用いられ、[[ロンドン]]空襲などを行った。
* [[第一次世界大戦]]においては、ドイツ軍により[[軍用飛行船]]が用いられ、[[ロンドン]]空襲などを行った。
* 第一次大戦後、ツェッペリン伯爵の跡を継いだ[[エッケナー]]は、ツェッペリン飛行船を使った長距離・国際的な[[民間航路]]の開設に乗り出した。
* 第一次世界大戦後、ツェッペリン伯爵の跡を継いだ[[エッケナー]]は、ツェッペリン飛行船を使った長距離・国際的な[[民間航路]]の開設に乗り出した。
** [[1924年]]に大陸縦断航路([[ストックホルム]] - [[ベルリン]] - [[ローマ]] - [[カイロ]] - [[ケープタウン]])を開設。
** [[1924年]]に大陸縦断航路([[ストックホルム]] - [[ベルリン]] - [[ローマ]] - [[カイロ]] - [[ケープタウン]])を開設。
** [[1925年]]に太平洋横断航路([[上海市|上海]] - [[霞ヶ浦]] - [[サンフランシスコ]])開設
** [[1925年]]に太平洋横断航路([[上海市|上海]] - [[霞ヶ浦]] - [[サンフランシスコ]])開設
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* [[1937年]]に大西洋横断航路に就航していたドイツの[[LZ 129 (飛行船)|ヒンデンブルク号]]が、アメリカ合衆国[[ニュージャージー州]]の[[レイクハースト (ニュージャージー州)|レイクハースト]]空港に着陸する際に、原因不明の出火事故を起こし爆発炎上。この事故の後、[[航空機]]([[固定翼機]])の発達もあり、民生用飛行船は使われなくなっていった(→[[ヒンデンブルク号爆発事故]])。
* [[1937年]]に大西洋横断航路に就航していたドイツの[[LZ 129 (飛行船)|ヒンデンブルク号]]が、アメリカ合衆国[[ニュージャージー州]]の[[レイクハースト (ニュージャージー州)|レイクハースト]]空港に着陸する際に、原因不明の出火事故を起こし爆発炎上。この事故の後、[[航空機]]([[固定翼機]])の発達もあり、民生用飛行船は使われなくなっていった(→[[ヒンデンブルク号爆発事故]])。
* [[第二次世界大戦]]中のアメリカ海軍は偵察・対潜哨戒用の[[K級軟式飛行船]]の運用を活発化、終戦時には160機以上の飛行船を運用していた。
* [[第二次世界大戦]]中のアメリカ海軍は偵察・対潜哨戒用の[[K級軟式飛行船]]の運用を活発化、終戦時には160機以上の飛行船を運用していた。
* [[1959年]] [[冷戦]]が激化。[[北極海]]方面から[[戦略爆撃機]]の侵入を危惧たアメリカ海軍が、大型飛行船を4基製造し、輪番制で警戒に当たらせた。だがこうした飛行船は[[1960年代]]中頃には[[早期警戒機]]の登場や地上レーダー網の構築により運用は解消され、[[民生用]]に払い下げられた。民生用に転用された飛行船の多くは広告用途などに広く用いられ、知名度の向上や安全性へのアピールに貢献しとされ、次世代の飛行船構想に繋がったと考えられる
* アメリカ海軍は第二次世界大戦後も飛行船部隊を維持した。[[冷戦時代]]、飛行船の滞空能力を活かし、レーダーを搭載することで[[北極海]]方面から[[戦略爆撃機]]に対する警戒網一助とした。だがこうした早期警戒飛行船は[[1960年代]]中頃には[[早期警戒機]]の登場や地上レーダー網の構築により退役した。[[民生用]]に払い下げられた飛行船の多くは広告用途などに広く用いられた。


=== ヒンデンブルク号爆発事故 ===
=== ヒンデンブルク号爆発事故 ===
[[画像:Hindenburg burning.jpg|thumb|250px|ヒンデンブルク号爆発の瞬間]]
[[ファイル:Hindenburg burning.jpg|thumb|ヒンデンブルク号爆発の瞬間]]

{{Main|ヒンデンブルク号爆発事故}}
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当時、[[ヘリウム]]は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でしか生産されておらず、アメリカが[[ナチス・ドイツ]]へのヘリウムの供給を拒否したため、爆発の危険を冒しながらも[[水素]]ガスを利用していた。そのため、この事故は水素ガスによるものと推測され、水素ガスを使用する飛行船の安全性に対する信用は失墜し、以後水素による飛行船が使われなくなる原因となった。
当時、[[ヘリウム]]は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でしか生産されておらず、アメリカが[[ナチス・ドイツ]]へのヘリウムの供給を拒否したため、爆発の危険を冒しながらも[[水素]]ガスを利用していた。そのため、この事故は水素ガスによるものと推測され、水素ガスを使用する飛行船の安全性に対する信用は失墜し、以後水素による飛行船が使われなくなる原因となった。

しかし、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の元研究者[[アディスン・ベイン]]は独自の調査・研究により、この事故は水素ガス爆発ではなく、ヒンデンブルク号の機体に使われていた布に[[酸化鉄]]と[[酸化アルミニウム]]をふくんだ塗料が使われており、これが折からの[[雷]]による[[帯電]]・[[放電]]によって火がつき[[テルミット反応]]が起きたのではないか、という説を提唱している。

理由はいくつかあるが、主として
* 当時の目撃証言や写真から、炎の色がオレンジ色だったこと(水素が燃えるときは無色)
* 当時の気象条件として[[積乱雲|雷雲]]が発生していたこと

なお、ツェッペリン社は、実験から事故原因は外皮にあると結論づけており、外皮を改良している。


== 種類 ==
== 種類 ==
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; 全金属製飛行船
; 全金属製飛行船
: [[第二次世界大戦]]前、[[アメリカ海軍]]が全長44.5メートルの全[[金属]]製飛行船(ZMC型)を造ったが、当時は[[ジュラルミン]]の薄板を300万本の[[リベット]]で接合するなどの苦労があり、主力飛行船型には採用されなかった。しかし現在の素材や接合技術を用いれば、こうした構造もまた十分再検討に値すると考えられる<ref>「航空用語辞典」Airshipの項目より([[鳳文書林出版]]。同名の本があるので注意。)。および外部リンク参照。</ref>。
: [[第二次世界大戦]]前、[[アメリカ海軍]]が全長44.5メートルの全[[金属]]製飛行船(ZMC型)を造ったが、当時は[[ジュラルミン]]の薄板を300万本の[[リベット]]で接合するなどの苦労があり、主力飛行船型には採用されなかった。しかし現在の素材や接合技術を用いれば、こうした構造もまた十分再検討に値すると考えられる<ref>「航空用語辞典」Airshipの項目より([[鳳文書林出版]]。同名の本があるので注意。)。および外部リンク参照。</ref>。

== 高高度プラットフォーム ==
制御の飛行船の用途として、地上局・[[人工衛星]]と並ぶ第三の情報通信網としての「[[成層圏プラットフォーム]]」飛行船が注目されている。地上20キロメートルの[[成層圏]]に全長300メートル以上の大型無人飛行船を停留させ、[[無線通信]]の基地局として用いるというものである。[[基地局]]として必要な電力は飛行船上面に取り付けられた[[太陽電池]]でまかなうアイデアもある。地上局に比べ広範囲をカバーでき、[[人工衛星]]に比べ遅延時間が短く運用コストが低いという利点がある。

「成層圏プラットフォーム」実用化に向けた取り組みは世界各国でなされており、日本では政府による「ミレニアムプロジェクト」の一つとして、成層圏滞空飛行船を利用した通信・放送サービスが計画された。2004年には大規模に税金が投入され、[[北海道]]の[[大樹町多目的航空公園]]で全長60メートルの実験機(ラジコンの軟式飛行船)の飛行試験が行われたが、資金難から中止された。


== 日本国内での飛行船を用いた広告 ==
== 日本国内での飛行船を用いた広告 ==
[[Image:Fuji_Blimp.jpg|thumb|300px|right|飛行船を用いた[[富士フイルム]]広告]]
[[ファイル:Fuji_Blimp.jpg|thumb|飛行船を用いた[[富士フイルム]]広告]]
[[画像:Airship nissen smile.jpg|thumb|300px|right|ニッセン「スマイル号」]]
[[ファイル:Airship nissen smile.jpg|thumb|ニッセン「スマイル号」]]
[[画像:N614LG.JPG|thumb|300px|right|メットライフアリコ「スヌーピーJ号」]]
[[ファイル:N614LG.JPG|thumb|メットライフアリコ「スヌーピーJ号」]]
* [[キドカラー (飛行船)|キドカラー号]]
* [[キドカラー (飛行船)|キドカラー号]]
** [[1968年]]に[[日立製作所]]が飛行船でPRした[[カラーテレビ]]の商標[[キドカラー]]による。愛称は「ポンパ号」ともいわれた。
** [[1968年]]に[[日立製作所]]が飛行船でPRした[[カラーテレビ]]の商標[[キドカラー]]による。愛称は「ポンパ号」ともいわれた。

2016年12月4日 (日) 10:04時点における版

ツェッペリンNT飛行船
USSロサンゼルス号
1924-1932年頃のニューヨーク市南マンハッタン上空

飛行船(ひこうせん、英:airship)とは、空気より比重の小さい気体をつめた気嚢によって機体を浮揚させ、これに推進用の動力や舵をとるための尾翼などを取り付けて操縦可能にした航空機(軽航空機)の一種である。

概要

機体の大部分を占めるガス袋(気嚢)に水素もしくはヘリウムが充填されている。通常、ガス袋は空気抵抗を低減させるため細長い形状をしており、乗務員や旅客を乗せるゴンドラや、エンジンおよびプロペラなどの推進装置が外部に取り付けられている。機体後部には尾翼があり、方向安定を得るとともに取り付けられた舵面を動かして船体の方向を変える。

20世紀前半には大西洋横断航路などで旅客運行に従事していたが、1937年に発生した「ヒンデンブルク号」の爆発事故を契機に水素利用の飛行船の信頼性は失墜し、航空輸送の担い手としての役割を終えた。その後、広告宣伝用や大気圏の観測用等として、不燃性のヘリウムガスを利用した飛行船が小規模に使われている。

近年では、構造上不可能とされていた完全な球体型の飛行船「ボール・オブ・ドリーム」も開発された。

歴史

伊土戦争にてリビアを爆撃するイタリア王国陸軍航空隊(世界初の航空爆撃)
ツェッペリンの飛行船 (1900)

ヒンデンブルク号爆発事故

ヒンデンブルク号爆発の瞬間

当時、ヘリウムアメリカでしか生産されておらず、アメリカがナチス・ドイツへのヘリウムの供給を拒否したため、爆発の危険を冒しながらも水素ガスを利用していた。そのため、この事故は水素ガスによるものと推測され、水素ガスを使用する飛行船の安全性に対する信用は失墜し、以後水素による飛行船が使われなくなる原因となった。

種類

軟式飛行船
浮揚のためのガスを詰めた気嚢と船体が同一で、ガスの圧力で船体の形を維持する形式。重量やコストの面で有利であり、現代の飛行船はほとんどがこのタイプである。しかし、ガスの放出によって圧力が弱まると船体を維持できなくなる。突風などによって船体が変形するとコントロールを失ってしまう。また、一旦気嚢に穴が開くとガスの漏出が全体に影響するなどの欠点もある。また、船体の剛性が確保できなくなるため大型化に適しない。
硬式飛行船
アルミなどの軽金属や木材などで頑丈な枠組みを作ってそれに外皮を貼り、複数の気嚢をその内部に収納する形式。金属製の枠組みにより船体の重量が増加する欠点があるが、船体の強度が高くなるため大型化、高速飛行が可能。
特にツェッペリン伯爵製作による一連の飛行船が有名であり、「ツェッペリン」は硬式飛行船の代名詞となった。しかし、船体が頑丈といっても強風や荒天に耐え切れるほどではなく、悪天候による「難破」事故も多発している。また航空機の進歩により大型飛行船の存在意義自体が消滅したため、現代では生産・運用はされていない。
半硬式飛行船
ゴンドラを吊り下げる部分など一部分にのみ金属等による骨格を用いた軟式飛行船や、骨格がたとえば3本(機首から尾部まで骨格は通じている)と第一次大戦時の飛行船と比べて明らかにそれが少ないツェッペリンNTがこのタイプである。また、イタリアの飛行船『イタリア号[1] のように、気嚢の下半分のみに放射状の枠を持ったものもあった。これも半硬式飛行船と呼ばれていた。
現在、ツェッペリンNTが『半硬式』と呼ばれるように、ただ単に構造上において気嚢の半分だけが枠組みを持っているわけではないことに注意が必要である。
半硬式の利点として、硬式よりも骨格が少なく軽量化できるにもかかわらず、硬式飛行船と同様に大型化が可能である事、硬式同様に枠組みにエンジン船室を取り付けられるので設計に柔軟性があり制約が少ない事がある。たとえばエンジンと船室を離れた場所に設置できるので、船室内の環境が快適である利点がある。
全金属製飛行船
第二次世界大戦前、アメリカ海軍が全長44.5メートルの全金属製飛行船(ZMC型)を造ったが、当時はジュラルミンの薄板を300万本のリベットで接合するなどの苦労があり、主力飛行船型には採用されなかった。しかし現在の素材や接合技術を用いれば、こうした構造もまた十分再検討に値すると考えられる[2]

高高度プラットフォーム

無人制御の飛行船の用途として、地上局・人工衛星と並ぶ第三の情報通信網としての「成層圏プラットフォーム」飛行船が注目されている。地上20キロメートルの成層圏に全長300メートル以上の大型無人飛行船を停留させ、無線通信の基地局として用いるというものである。基地局として必要な電力は飛行船上面に取り付けられた太陽電池でまかなうアイデアもある。地上局に比べ広範囲をカバーでき、人工衛星に比べ遅延時間が短く運用コストが低いという利点がある。

「成層圏プラットフォーム」実用化に向けた取り組みは世界各国でなされており、日本では政府による「ミレニアムプロジェクト」の一つとして、成層圏滞空飛行船を利用した通信・放送サービスが計画された。2004年には大規模に税金が投入され、北海道大樹町多目的航空公園で全長60メートルの実験機(ラジコンの軟式飛行船)の飛行試験が行われたが、資金難から中止された。

日本国内での飛行船を用いた広告

飛行船を用いた富士フイルム広告
ニッセン「スマイル号」
メットライフアリコ「スヌーピーJ号」

飛行船が登場する作品など

小説
映画・ドラマ
アニメ・漫画
ゲーム

脚注

  1. ^ 1928年建造。全長80メートル。小学館「国際版少年少女世界伝記全集第23巻-〈ワシントン/ツェッペリン〉」P125、1982年9/10刊行
  2. ^ 「航空用語辞典」Airshipの項目より(鳳文書林出版。同名の本があるので注意。)。および外部リンク参照。
  3. ^ ピーナッツ関連情報|SNOOPY.co.jp :スヌーピー公式サイト
  4. ^ スヌーピーが大活躍 |MetLife Alico
  5. ^ 最近、飛行船を見ましたか?(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース
  6. ^ その後日本支社は2012年に日本法人「メットライフアリコ生命保険株式会社」として独立、また同社も2014年に「メットライフ生命保険株式会社」(通称:メットライフ生命)に改名。

参考文献

  • マイケル・マクドナルド『悲劇の飛行船 ヒンデンブルク号の最後』平凡社、1973年
  • 柘植久慶『ツェッペリン飛行船』、中央公論社、1998年、ISBN 4-12-002744-9
  • 天沼春樹『夢みる飛行船 イカロスからツェッペリンまで』時事通信社、2000年、ISBN 4-7887-0074-3
  • ヘニング・ボエティウス『ヒンデンブルク炎上』(フィクション)天沼春樹 訳、新潮社、2004年、ISBN 4-10-215021-8

関連項目

外部リンク