「サベナ・ベルギー航空」の版間の差分
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*賀集 章『消えたエアライン―陰の航空会社物語』(2003年 [[山海堂 (出版社)|山海堂]] ISBN 978-4381104878) p.26-30 |
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2016年11月29日 (火) 00:21時点における版
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設立 | 1923年 | |||
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ハブ空港 | ブリュッセル国際空港 | |||
マイレージサービス | Qualiflyer | |||
航空連合 | クオリフライヤー(非現存) | |||
保有機材数 | 84機(倒産時) | |||
就航地 | 99都市(倒産時) | |||
本拠地 | ベルギー ブリュッセル | |||
代表者 | Christophe Müller(倒産時のCEO) |
サベナ・ベルギー航空 (Sabena , フランス語:Société Autonyme Belge d'Exploitation de la Navigation Aérienne) は、2001年まで存在したベルギーの航空会社。
概要
古い歴史を持つ同国のフラッグ・キャリアだった。「サベナ(SABENA)」という言葉は、フランス語の"Société Autonyme Belge d'Exploitation de la Navigation Aérienne"(直訳すると「ベルギー航空航法サービス会社」)の各単語の頭文字を取ったものである。機体は白地に青が基本で、垂直尾翼に"S"を象ったマークが付けられていた。
歴史
1923年に、ベルギー本国とベルギーの植民地だったベルギー領コンゴとを結ぶ国営航空会社として設立。ただし、実際にブリュッセルとコンゴの間の運航を始めたのは1935年である。
第二次世界大戦でベルギーがドイツに占領されたために壊滅的な打撃を受けるが、戦後には復活。首都ブリュッセルを中心に路線網を拡げ、ヨーロッパ、アフリカのみならず、ニューヨーク、中東、アジアや極東にも進出した。
日本へはアジア極東路線として、1969年から羽田空港(東京国際空港)に就航を開始して、就航当初の1971年頃はブリュッセル-東京(羽田)間を、ブリュッセル-アテネ-テヘラン-バンコク-東京の中東アジア路線と、ブリュッセル-アテネ-ボンベイ-バンコク-マニラ-東京のアジア路線、以上2通りのヨーロッパ南廻り線、及び、ブリュッセル-アンカレッジ-東京の北極上空を通過する北極路線の3通りで、週3往復ボーイング707型機を用いて運航していたことがある。翌年の1972年にはテヘランを経由する中東・アジア路線が運航停止になり、その後、ヨーロッパ南廻り線は全て廃止されて、北極廻り線のみを週3便DC10コンビによって運航するようになり、1978年の成田空港開設後は成田に乗り入れ、1990年代半ばからは全日本空輸とのコードシェア便となった。
ブリュッセル-成田間では機内サービスとして、日本人乗客向けに日本人客室乗務員を乗務させていた。ならびに、ブリュッセルの空港では、主に日本人乗客のために搭乗手続きや案内業務を行う、日本人の空港地上職員を採用していた。
ベルギーは小国ゆえ国内線がほとんどなく国際線に頼りがちであった。その上経営効率が悪かったために黒字を計上したのはわずか1年だけという状態で、慢性的な高コスト体質による赤字が続いた。そのような経営環境だったため、1990年代に入り規制緩和で格安航空会社との競争が激化すると、経営状態はますます悪化した。欧州委員会は、政府による自国航空会社の手厚い保護を認めないという姿勢を打ち出したため、それまでベルギー政府の庇護を受けていたサベナは転換を迫られた。
このため、1990年代前半には隣国フランスのエール・フランスと提携するが、当時のエール・フランスも経営状況は厳しく、この提携は長続きしなかった。1990年代後半には新たにスイス航空と資本提携を結び、「クオリフライヤー」と呼ばれる航空連合を形成した。しかし、1990年代末にはスイス航空の業績も悪化、2001年9月のアメリカ同時多発テロの影響によってスイス航空は経営危機に陥り、サベナを支援することが出来なくなってしまった。最終的にはライアンエアーがブリュッセルに拠点を構えたことによる競争激化によりサベナは経営破綻し、2001年の10月末をもって成田線から撤退[注釈 1]、同年11月7日には全ての運航を停止した。翌年にはスイス航空もサベナと共倒れになる形で倒産し、クオリフライヤーグループも消滅した。
その後、サベナの機材や路線の一部などを新規に設立されたSNブリュッセル航空が引き継ぎ、尾翼のマークもそのままに使用されたが、2007年にヴァージングループのヴァージン・エキスプレスと合併しブリュッセル航空となった。この際に尾翼のマークはドットで「b」をあしらったものに変更され、サベナの名残はブリュッセル航空の2レターコード(SN)に残るのみとなっている。
使用された主な機材
ボーイング製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は29だった。
- DC-4
- DC-6
- DC-7
- ボーイング707
- ボーイング727
- ボーイング737
- シュド・カラベル
- ボーイング747
- DC-10
- MD-11
- エアバスA310
- エアバスA320シリーズ
- エアバスA330
- エアバスA340
- フォッカーF27
- フォッカーF28
- ATR 72
- BAC 1-11
- BAe 146
脚注
参考文献
- 賀集 章『消えたエアライン―陰の航空会社物語』(2003年 山海堂 ISBN 978-4381104878) p.26-30
関連項目
注釈
- ^ これによって日本からベルギーへの直行便はなくなったが、撤退から14年後の2015年10月25日より、全日本空輸(ANA)が東京・成田~ブリュッセルを再開させた(成田=ブリュッセル線の開設について ~ 2015年ウィンターダイヤから、欧州へのアクセスがさらに便利になります! ~(ANA NEWS 2015年6月1日 2015年7月27日閲覧))。日本とベルギーを繋ぐ定期国際線はサベナが消滅して以来長らく存在しなかったが、2015年後半よりANAの運航によって成田国際空港からブリュッセルへの直行便が復活した。ブリュッセルには欧州連合(EU)本部の他、日本の自衛隊もオブザーバー資格を持ち、同じ西側諸国として事実上の軍事同盟関係にあるNATOの中心施設も立地する為、サベナが2001年に運航を停止して以来、東京からブリュッセルへの直行路線開設を望む意見は多かった。[要出典]