コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「米良治彦」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼: 性別付け - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ロック・ギタリストのカテゴリ修正依頼 - log
141行目: 141行目:
{{デフォルトソート:めら はるひこ}}
{{デフォルトソート:めら はるひこ}}
[[Category:日本のロック・ミュージシャン]]
[[Category:日本のロック・ミュージシャン]]
[[Category:日本のギタリスト]]
[[Category:日本のロック・ギタリスト]]
[[Category:日本の男性シンガーソングライター]]
[[Category:日本の男性シンガーソングライター]]
[[Category:日本の男性ロック歌手]]
[[Category:日本の男性ロック歌手]]

2016年11月18日 (金) 08:42時点における版

米良治彦
出生名 米良治彦
別名 JERRY MERA
生誕 (1956-07-23) 1956年7月23日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 神奈川県川崎市
学歴 東京都立小山台高等学校中退
ジャンル ロック
ハードロック
ブルースロック
職業 ミュージシャン
作曲家
ギタリスト
シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 ギター
ヴォーカル
活動期間 1970年 -
レーベル VAP Inc.
Beginners
groundbreaker

米良 治彦(めら はるひこ、1956年7月23日 - )は、神奈川県川崎市出身のミュージシャンギタリストシンガーソングライター
血液型O型。ミュージシャンとしての活動時には、JERRY MERA(ジェリー・メラ)の名義で主に活動する。

来歴・人物

母方の生家、宮崎県で出生。父親の仕事の関係上、転勤が多かった為、幼少期を大阪府吹田市宮崎市東京都で過ごしながら、5歳でクラシックギターを覚え、8歳の時に初めてエレキギターに触れる。

10歳の時に初めてジミ・ヘンドリックスの楽曲を聴いて、ロックミュージックに目覚める事となり、それに伴って自分自身で作詞・作曲を開始する。
14歳の時、自身の組んでいたバンドでとあるコンテストに出場した際に渋谷ジァン・ジァン当時の事務所からのスカウトがきっかけで、渋谷ジァン・ジァンや新宿ルイードなどのライブハウスへの出演が増える事となった。

同時期より、ギタリストとしてライブでのサポート活動や、スタジオミュージシャンの仕事も開始する。
15歳で米軍キャンプ等での演奏(日本国内、沖縄及び東南アジア各所)を経験した後に、九州全土でライブハウスの専属バンド、いわゆるハコバンのメンバーとして演奏。
金尾義郎やセンチメンタル・シティ・ロマンスアラン・メリルをはじめとした多くのアーティストとの交流が始まったのはこの頃からである。

19歳の時に単身渡米。その後、一時帰国した後に21歳で再渡米。
テキサス州で現地のロックバンドに加入後、L.Aを初め全米のクラブ等で年間300本以上のステージをこなしていった。

日本に帰国後、チャーリー永谷&キャノンボールにギタリストとして加入。バンド加入から1年半を過ぎた頃、熊本で不慮の交通事故によりミュージシャン生命の危機に見舞われるが、約2年に及ぶ懸命のリハビリにより回復。

この頃、当時高校生だった永井利光川添智久らと宮崎県で知り合い、後に彼らと共にSKY BOYSというバンドを結成する。
その後、永井や海老原真二(喜多郎森口博子他サポート)らとFACE THE FACEというバンドで活動した後に、中村俊彦(浜崎あゆみサポート)らとGet Crazyというバンドを立ち上げて、約7年もの期間にわたり、精力的なライブ活動を行っていった。

その間もパール兄弟松尾清憲をはじめ、様々なアーティストのライブにてギタリストとしてセッションやサポート活動を並行して行っている。

1995年にはテレビアニメマクロス7』劇中に登場するバンド、Fire Bomberの楽曲にギタリストとして参加[1]

1997年7月VAP Inc.よりソロアーティストとしてメジャーデビュー。1stシングル「Life goes on」をリリースする[2]
それと並行してToo muchというバンドを山田達也と新たに結成、レンジー・クロスビー、丸山史朗(FLYING KIDS)らがそこに加わり、同バンドでのライブに重点を置いた活動を展開していった。

2002年7月、新たに結成したバンド、globaLUV名義での1stアルバム「sad guitar」を自主レーベルBeginnersよりリリース。
同作品は米良自身が一人でドラム以外の全楽器の演奏及びマスタリングまで全て手掛けたアルバムである。会場限定発売にも関わらず、リリースから約半年で2000枚完売となっている。ライブ時についてはベーシストに当山恵美(ex.rosy)、ドラマーに出原卓(ex.PRESENCE、ex.HURRY SCUARY)が参加している。同作のレコーディング時のドラマーは上述の山田達也が務めている。

2006年UNEに参加。
2011年には左腕の神経障害に見舞われるも、リハビリに取り組み、機能回復を遂げる。
現在はソロ名義で、東京近郊にてオープンマイク形式のステージを中心に活動している[3][4]
2015年よりgroundbreakerというレーベルに所属。同年8月、ソロ名義にて1stアルバム「FACE THE FACE」をリリース[5][6][7]。同作には、Fiddleに岸本一遙、Banjoに渡辺三郎、Pedal Steelに尾崎孝をはじめとした多数のミュージシャンがゲスト参加している。

ディスコグラフィー

シングル

Life goes on [1997年7月2日 / VPDC-20713]
  1. Life goes on
  2. Angel's cry
  3. Life goes on (インストゥルメンタル)


アルバム

FACE THE FACE [2015年8月26日 / GDBR-0001]
  1. URBAN NIGHT
  2. Start all over
  3. 孤独なHide a Way
  4. 心の絆
  5. Step by Step
  6. Innocent eye's -偽りの瞳-
  7. I'll be there
  8. Little miss maybe
  9. ヨウリョウヨク生キヨウ
  10. 無気力Generation
  11. Shame on You
  12. 孤独なHide a Way (DEMO)


globaLUV名義

sad guitar [2002年7月23日 / BGNR-0207]
  1. 花よ
  2. sad guitar
  3. 家に帰らない人々
  4. 善と悪の化身
  5. 俺も君も傷つけあって生きてる
  6. 心の忘れ物
  7. Trouble Maker
  8. Global Love (Live Version)
  9. Keep Your Smile (Live Version)
  10. 君と僕が愛を築いたら (Live Version)
  11. ロボットノススメ (Live Version)
  12. 僕らの涙はいつか (Bonus Track)


参加作品

マクロス7 LIVE FIRE!! / Fire Bomber [1995年8月23日 / VICL-2158]
1995年5月21日日本青年館でのLIVEを収録。ギターで参加。
  1. 突撃ラブハート
  2. REMEMBER 16
  3. MY FRIENDS
  4. SWEET FANTASY
  5. PLANET DANCE
  6. LIGHT THE LIGHT

出演

FM

関連項目

脚注

外部リンク