コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ジム・メッシーナ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼: 性別付け - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ロック・ギタリストのカテゴリ修正依頼 - log
56行目: 56行目:
[[Category:アメリカ合衆国の男性ロック歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国の男性ロック歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国のソングライター]]
[[Category:アメリカ合衆国のソングライター]]
[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]]
[[Category:アメリカ合衆国のロック・ギタリスト]]
[[Category:アメリカ合衆国の音響技術者]]
[[Category:アメリカ合衆国の音響技術者]]
[[Category:バッファロー・スプリングフィールドのメンバー]]
[[Category:バッファロー・スプリングフィールドのメンバー]]

2016年11月18日 (金) 08:19時点における版

ジム・メッシーナ
Jim Messina
ジム・メッシーナ
基本情報
出生名 James Melvin Messina
生誕 (1947-12-05) 1947年12月5日(77歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州メイウッド
ジャンル ソフトロックカントリーロックラテンジャズ
職業 シンガーソングライターギタリスト音楽プロデューサー
活動期間 1968年 - 現在
共同作業者 バッファロー・スプリングフィールド
ポコ
ロギンス&メッシーナ
公式サイト jimmessina.com

ジム・メッシーナJim Messina)の名で活動するジェームズ・メルヴィン・メッシーナJames Melvin Messina1947年12月5日 - カリフォルニア州メイウッド出身)はアメリカ合衆国シンガーソングライターギタリストベーシスト音楽プロデューサーバッファロー・スプリングフィールドポコロギンス&メッシーナなどで活躍した[1]

キャリア

バッファロー・スプリングフィールドの後期にプロデューサー、レコーディング・エンジニアとして参加。最終的にはベーシスト(ブルース・パーマーの後任)としてバンドに加入し、グループのラスト・アルバムの制作に参加した。

バッファロー・スプリングフィールド解散後に、リッチー・フューレイポコ結成。作詞作曲とリードギターボーカルを担当した。2枚のスタジオ・アルバムとライブアルバム1枚を残しポコを脱退。

ポコ脱退後は、コロムビア・レコードとプロデューサーとして契約。彼がポコ在籍中から懇意であったケニー・ロギンスのプロデュースを手掛けることになる(1970年の12月、当時ABCレコード所属の作詞・作曲家であったロギンスは、メッシーナの家で共にロギンスの作品をレコーディングしたことがあった)。メッシーナは、コロムビア・レコードの当時の社長や、先輩プロデューサーのクライヴ・デイヴィスに会い、当時まだ無名のロギンスのデビューに際し、バッファロー・スプリングフィールド、ポコで既に有名になっていた自分の名前を貸し、自らがアーティストとして参加することを提案した(ロギンス&メッシーナ)。

メッシーナは、バッファロー・スプリングフィールド、ポコ時代に書き貯めた曲を提供。彼は、ロギンスがカントリーロック的なアプローチの曲にも、R&Bのいずれにも対応できることを感じた。また、ロギンスのためにケニー・ロギンス・バンドを編成した。

1971年11月、ファースト・アルバム "Kenny Loggins with Jim Messina Sittin' In." をリリース。その後ロギンス&メッシーナは、バンドと共にツアー、レコーディングを行い、1976年までに2,000万枚以上のアルバムを売った。

1976年にロギンスとのデュオを解散、1979年、メッシーナは自らプロデュースした初のソロ・アルバム "Oasis" をリリース。ロックとラテン・ジャズの融合に挑んだ音楽性はユニークなものであったが、ロギンス&メッシーナとは異なるサウンドを良しとしないコロムビア・レコードと対立。これが元でメッシーナはワーナー・ブラザーズに移籍する。

1981年、ワーナーから自身2枚目のソロ・アルバム "Messina" リリース。フォーク、ロック、ラテン、軽いジャズ・タッチのナンバーまで幅広い音楽性を披露した。

1986年には、よりロック色を強めた3枚目のアルバム "One More Mile" をリリース。この作品では、若い有望なセッション・ミュージシャンを多数起用し、バッキング・ボーカルとしてエディ・レイマンやポーリーン・ウィルソンが参加した。収録曲の "The Island" ではスラックキーギターを披露、ハワイアン・ミュージックへの愛着を表現した。

1989年には、オリジナル・ラインアップでポコを再結成、リユニオン・ツアーを敢行したほか、アルバム "Legacy" をリリースした。メッシーナは4曲の作曲に参加。ギターマンドリンを演奏し、3曲でリードボーカルも担当した。

2005年にはロギンスとのデュオを再結成。大成功に終わった全米ツアーは後にライブ・アルバム、DVD "Loggins and Messina Live - Sittin' in Again, at The Santa Barbara Bowl" としてリリースされた。2009年にも再々結成し、大規模なツアーを行った。

2009年、キューバ音楽、スペイン音楽の影響を受けた "Under a Mojito Moon-Part 1" をリリース。

現在は、ソロ・アーティストとしての活動の傍ら、プロデューサー、レコーディング・エンジニアとしても活動中。また、自ら立ち上げた The Songwriters' Performance Workshop を主宰。全米の保養所、リゾート施設、ホテルなどを借り切り、作詞家、作曲家、歌手を指導している。

脚注

  1. ^ Summers, Kim; Eder, Bruce. “Biography: Jim Messina”. Allmusic. 2012年7月15日閲覧。

外部リンク