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2016年11月18日 (金) 08:06時点における版

フィル・マンザネラ
Phil Manzanera
Español: Un momento del concierto de David Gilmour en Munich (2006年7月29日).
Photo: deep_schismic
基本情報
出生名 Philip Geoffrey Targett-Adams[1]
別名 Phil Manzera[1]
生誕 (1951-01-31) 1951年1月31日(73歳)[1]
出身地 イギリスの旗英国コロンビアの旗コロンビア[1]
ロンドン生まれ[2]
ジャンル ロックジャズ・ロックプログレッシブ・ロック[3]
職業 ギタリストレコード・プロデューサー[2]
担当楽器 ギター[2]
活動期間 1971年 - 現在
レーベル EG
アイランド
ポリドール
ヴァージン
リプライズ
ワーナー・ブラザーズ
アトコ[4]
Expression Records[5]
共同作業者 ロキシー・ミュージック
公式サイト Manzanera.com

フィル・マンザネラ(Phil Manzanera、1951年1月31日[1] -)は、イギリスロックミュージシャンギタリストで、ロックバンド ロキシー・ミュージックのレギュラー・メンバーとして、またソロ活動、レコード・プロデューサーとして活動[2][3]

人物・経歴

マンザネラの母はコロンビア人、父はイギリス人で、ロンドンで生まれ、幼少・少年時代を主にキューバベネズエラで過ごし、キューバで暮らしていた6歳のときにスペイン・ギターを手にする。キューバ革命の大変動期の頃はキューバ・フォークソングを好んで演奏していた。子供時代に体験したキューバ革命の衝撃はマンザネラの音楽性に影響を与える。その後マンザネラはベネズエラで暮らしていた8歳のときにエレクトリックギターを始める。10代の頃は1960年代のロックンロールラテンアメリカリズムを融合することに夢中になっていた[2]

マンザネラがエレクトリックギターに目覚めたのはジミ・ヘンドリックスの影響である。1970年になるとジャズ・ロックバンド クワイエット・サンQuiet Sun)を結成し[3]、1971年の夏にはロキシー・ミュージックリードギタリストとして活動を始める[2]。当初はロキシー・ミュージックのオーディションでは落ちており、その才能を買われてミキシング担当として採用されていたが、合格したギタリスト(デヴィッド・オリスト)が脱退した為に、彼が正規のギタリストに昇格したと言われている。ブライアン・イーノ脱退後のロキシー・ミュージックにおいて、マンザネラのギター演奏の風合はイーノの電子音の風合を補うのに十分であった[3]

1975年には初のソロ・アルバム『ダイヤモンド・ヘッド』(Diamond Head)を発表する。このアルバムにはアンディ・マッケイブライアン・イーノジョン・ウェットンなどロキシー・ミュージック関係者が参加している[3]

1976年になると、イーノらとともに801を結成する。その後もソロ活動を続け、1978年に『K-スコープ』(K-Scope)、1982年に『プリミティブ・ギターズ』(Primitive Guitars)、1990年に『サザンクロス』(Southern Cross)を発表する[3]。また、ジョン・ウェットンとの連名のアルバム『ウェットン・マンザネラ』も発表している。

1990年代は世界中で活動する。スペインセビリアで開催された『Guitar Legends』では音楽監督を務め、またギタリストとしてボブ・ディランキース・リチャーズらと共演した[2]。1999年に発表したソロ・アルバム『ヴォセロ』(Vezero)はラテンアメリカ色の強い作品となった[3]

2001年にはロキシー・ミュージックとしてワールド・ツアーを行った[6]。2005年に発表したアルバム『50ミニッツ・レイター』(50 minute later)にはブライアン・イーノも参加している[3]。 また、この頃よりデヴィッド・ギルモアのソロ・ライヴのメンバーとなり、多くのライヴ活動に参加し、その映像も多く残っている。

ディスコグラフィー

ソロ

ダイヤモンド・ヘッドDiamond Head、1975年)[7]

  • 曲リスト
    1. Frontera
    2. Diamond Head
    3. Big Day
    4. The Flex
    5. Same Time Next Week
    6. Miss Shapiro
    7. East of Echo
    8. Lagrima
    9. Alma

ヴォセロ(Vozero、1999年)[7]

  • 曲リスト
    1. Vozero
    2. Mystic Moon
    3. Verdadero
    4. Tuesday
    5. Rayo De Bala
    6. The Art of Conversation
    7. Vida
    8. Golden Sun
    9. Mundo Con Paz
    10. Hymn
    11. La Vida Moderna

50 minutes later(2005年)[7]

  • 曲リスト
    1. Revolution
    2. Technicolor UFO
    3. That's All I Know
    4. 50 Minutos Mas Tarde
    5. Desaparecido
    6. Dusza
    7. One Step
    8. Swimming
    9. Bible Black
    10. Till the end of the line
    11. Enotonick Bible Black ("Mainstream" version) - Bonus Track

ロキシー・ミュージック

クワイエット・サン

メインストリームMainstream、1975年)[7]

  • 曲リスト
    1. Sol Caliente
    2. Trumpets with Motherhood
    3. Bargain Classics
    4. R.F.D.
    5. Mummy was an asteroid, Daddy was a small non-stick kitchen utensil
    6. Trot
    7. Rongwrong

801

801 Live(1976年)[7]


Rock Follies of '77(1977年)

エクスプローラーズ

The Explorers(1985年)[8][9]

マンザネラ & マッケイ

Crack The Whip(1988年)[10][9]


脚注

  1. ^ a b c d e en:Phil Manzanera」参照。
  2. ^ a b c d e f g The Official Roxy Music Tour 2001 Phil Manzanera Biography」より。
  3. ^ a b c d e f g h ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p38)より。
  4. ^ ロキシー・ミュージック」を参照。
  5. ^ マンザネラ自身のレーベルで、ウェブサイト www.manzanera.comによりインターネット通信販売を行っている -「The Official Roxy Music Tour 2001 Phil Manzanera Biography」より。
  6. ^ Roxy Music World Tour 2001」より。
  7. ^ a b c d e ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p39)より。
  8. ^ Discogs”. 2024年11月13日閲覧。
  9. ^ a b ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p41)より。
  10. ^ Discogs”. 2024年11月13日閲覧。

参考文献

ウェブサイト

出版物

関連文献

  • Bracewell, Michael (April 2008), Re-make/Re-model: Becoming Roxy Music, USA: Da Capo Press, ISBN 978-0306814006 

外部リンク