「ボブ・ボーグル」の版間の差分
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2016年11月18日 (金) 08:01時点における版
ボブ・ボーグル | |
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出生名 | Robert Lenard Bogle |
生誕 | 1934年1月16日 |
出身地 | アメリカ合衆国 オクラホマ州ワグナー |
死没 | 2009年6月14日(75歳没) |
ジャンル |
インストゥルメンタル ロック |
職業 |
ベーシスト ギタリスト |
担当楽器 |
エレクトリックベース コーラス |
共同作業者 | ザ・ベンチャーズ |
著名使用楽器 | |
本文参照 |
ロバート・レナード・「ボブ」ボーグル (Robert Lenard Bogle, 1934年1月16日 - 2009年6月14日) は、アメリカ合衆国のベーシスト。ザ・ベンチャーズ結成時からのオリジナルメンバーである。
略歴
1934年1月16日、オクラホマ州ワグナー出身。ザ・ベンチャーズ結成時のオリジナルメンバーである。当初はリードギターを担当していた。ある建設会社に勤務していた頃にたまたまドン・ウイルソンと出会い、音楽の話で盛り上がっていつしか2人でギターを演奏するようになり、1959年ベンチャーズの歴史が幕を開ける。やがてベンチャーズが2人のユニットからドラムにホーウィー・ジョンソン、ベースにノーキー・エドワーズを迎え、バンドとして歩み始める。程なくノーキーがリードギターに、ボブがベースに交代し、ホーウィー・ジョンソンが交通事故に見舞われ止む無く脱退、メル・テイラーに交代するが、それ以降の輝かしい歴史はロックの歴史の一ページとなった。1993年には日本人女性と結婚し、愛用のギターには夫人のプリクラが貼られていたことも。長年患っていた腰痛の悪化によってツアーからは引退した状態(現在はボブ・スポルディングが参加している。その後もレコーディングには参加していた)になっていたが、2009年6月14日、非ホジキンリンパ腫のため死去、同時に余命10年と宣告されながら12年間闘病していたことが明らかになった[1]。
音楽性
元々ギタリストであったこともあり、彼の奏でるベースラインは独特の物である。ノーキー・エドワーズがベースを弾いていた"Walk Don't Run"の原曲では普通のウォーキングベースであるが、ボブの演奏はむしろ「リードベース」とも言える豪快でメロディアスなフレーズが次々飛び出す。特にライブではその傾向が一層強くなり、ルート音だけではない経過音を盛り込んだランニングベースや、ベースで「テケテケテケ・・・」を弾いたり、チョーキングを加えるなどのアドリブを加えることで、豪快かつドライブ感満点のフレーズを引き出す。晩年はチョーキングを絡めた速弾きのベースソロを"Wipe Out"で加えるなど、単に「ベース」の領域に留まることの無いユニークさを見せていた。彼曰く「他のベーシストをあまり聴かなかったしコピーもしなかった。本当に自己流」と語るように、後述のエピソードの通り必要に迫られてベースを担当するようになったために生まれた結果であり、それが彼ならではのベースの演奏スタイルとなっている。
リードギターを数曲で披露するが、こちらは極めてオーソドックスなプレイスタイルとなっている。フェンダー・ジャズマスターのトレモロアームを握った状態で弾くのが特徴である。そのため微妙な音程の揺らぎが生じるのだが、それが却って彼ならではの味となっている。またライブでは"Caravan"のドラムソロで見せる、ドラマーがベースの弦を叩いて鳴らす「スティック・オン・ベース」が見せ場となっている。ドラムとベースの二人の呼吸が合わないと成立しないテクニックである。ドラムソロだけではつまらないから、もっとエキサイティングにしたい、とメル・テイラーとアイデアを出し合った末に出来たものだと生前のインタビューで語っている。
使用機材
- フェンダー・ジャズマスター
- フェンダー・ジャズベース
- フェンダージャパン・ボブ・ボーグルモデル・ジャズベース
- フェンダー・プレシジョンベース
- モズライト・ベンチャーズモデル
- カール・ヘフナー・ヴァイオリンベース
- アリア・ベンチャーズモデル
- ブギーボディーズ製プレシジョンベースタイプ
- ピーヴィー・ベースアンプ
- フェンダー・ベースマン
- アンペグ・ベースアンプ
他
エピソード
- ギターやベースの改造や修理は大抵自分で行ってしまうという。村下孝蔵は生前、ボブが真鍮のブロックから削りだしたジャズマスター用のブリッジサドルを贈られた。村下孝蔵本人曰く「勿体無くて使えない」とのこと。
- ロサンゼルスの老舗ライブハウス"House Of Blues"で、ナンシー・シナトラやジョニー・リヴァースが飛び入りでゲスト参加したライブを行ったときのこと、たまたまグラミー賞のプレゼンターとしてロス入りしていたエアロスミスのメンバー全員が訪れ、ライブ後楽屋に表敬訪問した際、ベースのトム・ハミルトンがボブの所に来て、「ボブさん、ベースを教えて下さい!」と言って来たという。ライブでボブが弾いていた幾つかのフレーズを教えて欲しいと熱心に聴いてきたという。その後もエアロスミスとはライブに招待するなどの交流が続いている。
- 村下孝蔵が他界した際、日本ツアー中のスケジュールを割いて通夜に列席した。
- ベースを演奏したのは何とベンチャーズのステージだったと語っていた。リハーサルの時にノーキー・エドワーズから「次のステージでリードギターをやるからベースを弾いてくれないか?」と頼まれ、渋々弾いたところ、リードギターよりも自由に弾くことが出来、殊の外上手く行ったため、ギタリストとしてのスタイルを既に確立していたノーキーとポジションチェンジしたということである。「これが意外と上手く行って、ベースを弾くのが楽しくなった。ベースは自分に自由を与えてくれた」と述懐している。その後もレコーディングやライブではリードギターを披露していた。[2]
- 過去のパンフレットなどのプロフィールにはオレゴン州ポートランド出身と誤って記載されているケースが多いが、ポートランドは彼が幼少期に転居した地であり、正式な出身地はオクラホマ州ワグナーである。彼自身インタビューでオクラホマ出身であることを明言している。
出典
- ^ “ボブ・ボーグル氏死去 ベンチャーズのメンバー”. CNN.co.jp. (2009年6月17日) 2009年6月19日閲覧。
- ^ シンコーミュージックムック「エレキギターブック・ザ・ベンチャーズ50周年記念号」の再録インタビューより