「ピーター・グリーン (ミュージシャン)」の版間の差分
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2016年11月18日 (金) 07:58時点における版
ピーター・グリーン | |
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2009年の写真 | |
基本情報 | |
出生名 | Peter Allen Greenbaum |
生誕 | 1946年10月29日 |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | ブルースロック、ブルース |
職業 | ギタリスト、歌手 |
担当楽器 | ギター、ボーカル、ハーモニカ |
活動期間 | 1966年- |
レーベル |
エピック・レコード リプリーズ・レコード PVKレコード クレオール・レコード |
共同作業者 |
ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ フリートウッド・マック ピーター・グリーン・スプリンター・グループ |
ピーター・グリーン(Peter Green、1946年10月29日 - )は、イギリスのギタリスト。ブルースロックの分野で活動し、フリートウッド・マックの創設メンバーとして知られる。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」の2003年では38位[1]、2011年の改訂版では第58位に選出された。
来歴
10歳の頃からギターに興味を持ち、その後ハンク・マーヴィン、マディ・ウォーターズ、B.B.キング等に影響を受ける。
ピーター・バーデンス(後にキャメルを結成)のバンドであるTHE PETER B'Sで、後の盟友ミック・フリートウッドと出会う。そして、1966年には、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズにエリック・クラプトンの後任として加入する。クラプトンの後釜[2]として期待以上の反応に答えて、グリーンは名声を得る。フレディ・キングの「The Stumble」のカバーを収録した1967年のアルバム『ハード・ロード』をリリース、同年グループを脱退する。
1967年にリーダー・グループ、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックを結成、グリーンは演奏と作曲面でも中心的存在を担った。1968年にマイク・ヴァーノンのブルー・サムとレコーディング契約、CBSからファースト・アルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』を発表する。同年発表のシングル曲「ブラック・マジック・ウーマン」は、後にサンタナのアルバム『天の守護神』(1970年)でカヴァーされた。1968年8月発表のセカンド・アルバム『ミスター・ワンダフル』には、後にゲイリー・ムーアやエアロスミスがカヴァーした「ストップ・メッシン・ラウンド」収録。1969年にはシングルEPとしてリリースした「アルバトロス」が全英1位のヒットとなる(2008年にはギター・アンビエント・ミュージックとして再評価されている)。また1970年のシングルEP「グリーン・マナリシ」は、後にジューダス・プリースト『殺人機械』(1978年)でカヴァーされた。
1970年にドラッグの誤使用がもとでフリートウッド・マックを脱退せざるを得なくなり、同年、全曲即興的なインストルメンタルであるソロ・アルバム「The End of the Game」をリリースをして暫くシーンの一線から退くことになる。この頃に愛用していたギブソン・レスポールをゲイリー・ムーアに無料同然の値段で譲り渡した[3]。1970年代の大半をLSDの後遺症で統合失調症や幻覚が原因で活動を停滞させるが、1970年代後半にPVK Recordsとレコーディング契約、1978年にはミック・フリートウッドのソロ・アルバム「The Visitor」の客演をきっかけにしてギタリストのスノウィー・ホワイトのサポートを受けてソロ活動を再開、アルバムをリリースする。1990年代からゲイリー・ムーアやピート・ブラウンらによるピーター・グリーンの楽曲の再評価を受けて本格的な演奏の復帰期間に入る。
1990年代に、ギタリストのナイジェル・ワトソン、コージー・パウエルやニール・マーレイ等と共にピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成し、1997年に初のアルバムを発表。パウエルの交通事故死とマーレイの脱退によりバンドはメンバー・チェンジをせざるを得なくなるが、1999年にはグリーンにとって初となる日本公演も行い、充実したグループにより2004年まで活動を継続した。暫く音沙汰がなかったものの、2008年にはギターヒーロー3 レジェンド オブ ロックの発表の席にゲイリー・ムーアとともに参加。その後、2009年から2010年にかけてピーター・グリーン・アンド・フレンズとして、イギリス、ドイツおよびオーストラリア・ツアーを行った。
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
()内の邦題は国内盤LPリリース時
- The End of the Game ( "エンド・オブ・ザ・ゲーム")(1970年)
- In the Skies ( "虚空のギター")(1979年)
- Little Dreamer ( "夢幻のギター")(1980年)
- Whatcha Gonna Do? ( "自由へのギター・ロード")(1981年)
- White Sky ( "無垢のギター")(1982年)
- Kolors ( "彩りのギター")(1983年)
- A Case for the Blues(1987年)
- Blues for Dhyana(1998年)
- Two Greens Make a Blues(1998年)- ミック・グリーンとの連名
ピーター・グリーン・スプリンター・グループ
- Peter Green Splinter Group(1997年)
- The Robert Johnson Songbook(1998年)
- Soho Session(1998年)
- Destiny Road(1999年)
- Hot Foot Powder(2000年)
- Time Traders(2001年)
- Blues Don't Change(2001年)
- Reaching The Cold 100(2003年)
脚注
- ^ The 100 Greatest Guitarists of All Time: Rolling Stone
- ^ 後にピーター・グリーンの後任として、ミック・テイラーが加入した
- ^ Gary Moore - Peter Green