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2016年11月18日 (金) 07:45時点における版
オリー・ハルソール Ollie Halsall | |
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オリー・ハルソール(ハイド・パークにて。1974年) | |
基本情報 | |
出生名 |
ピーター・ジョン・ハルソール Peter John Halsall |
別名 | オリー |
生誕 |
1949年3月14日 イングランド サウスポート |
死没 |
1992年5月29日(43歳没) スペイン マドリッド |
ジャンル |
ロック ポップス |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 |
ギター ヴォーカル ビブラフォン |
活動期間 | 1966年 - 1992年 |
レーベル |
ヴァージン・レコード エピック・レコード |
共同作業者 |
タイムボックス パトゥ テンペスト ラトルズ ボクサー ケヴィン・エアーズ ヴィヴィアン・スタンシャル シネマズポップ |
公式サイト | olliehalsall.co.uk |
ピーター・ジョン・オリー・ハルソール(Peter John "Ollie” Halsall, 1949年3月14日 - 1992年5月29日)はギタリスト。パトゥ、ボクサー、ケヴィン・エアーズとのコラボレーションなどでよく知られている。彼がオリーという名で知られているのは、彼の名字から「h」を省略した発音の特例的な表現から来ている。ハルソールは左利きのギタリストだった。
マージーサイド・メトロポリタン・ボロー・オブ・セフトン(Metropolitan Borough of Sefton)のサウスポート(Southport)出身。
活動
1966年10月、オリー・ハルソールはポップロック・バンドのタイムボックス(ベースのクライヴ・グリフィスと、キーボードの魔術師、クリス・ホルムズが在籍していた)でビブラフォンを演奏するためにロンドンに来た。ハルソールはそこでギタリストとして参加することになり、ヴォーカルにマイク・パトゥが、ドラマーに"提督"ジョン・ハルシーが据えられた。
1970年、ホルムズ脱退を受けて、タイムボックスは新たなバンド、パトゥに発展した。ハルソールのギターをフィーチャーしたプログレッシヴ・ジャズロックの調和を彼らは演奏した。
1973年、ハルソールはジョン・ハイズマンのテンペストに加入するためバンドを離れた。一年と経たずにテンペストを脱退し、膨大なセッションワークをこなしたが、その中にはケヴィン・エアーズとのセッションも含まれており、これがきっかけとなってエアーズのバンド、ソポリフィクスのギタリストとしてのパーマネントなポジションを得た。この頃、ミック・テイラーが脱退したローリング・ストーンズから後任としての可能性を考慮されたといわれている。
1975年、パトゥは三つの慈善コンサートのために再結成されステージを踏む。ハルソールとマイク・パトゥの再会は、1975年、新バンドのボクサーへ発展した。ボクサーは、ヴァージンレコードとの契約半ば、1979年にマイク・パトゥが亡くなったこともあり、その本当のポテンシャルを発揮できなかったとされている。彼らはデビューアルバムである『ビロウ・ザ・ベルト』と、議論を巻き起こしたそのジャケットデザインで知られている。
皮肉なことに、彼は決してちゃんとクレジットされていなかったのだが、おそらくハルソールの録音としてもっともよく知られているのは、1978年リリースのアルバム、『ザ・ラトルズ』におけるものだろう。アルバムではたくさんの楽器を演奏し、リード・ボーカルやバック・ボーカルも担当している。特筆すべき曲としては「ダブルバック・アレイ」「ウィズ・ア・ガール・ライク・ユー」「ゲット・アップ・アンド・ゴー」がある。ハルソールの立ち位置は、ラトルズのフィルムでエリック・アイドルが演じるポール・マッカートニーのパロディキャラ、"ダーク・マクィックリー"の歌声と、楽曲のギター演奏だった。映像の中でハルソールは、ラトルズ・デビュー以前のハンブルクで迷子になる5人目の初期メンバー、レポという役どころで写真のみ出演している。
1976年、ハルソールはケヴィン・エアーズのバンドに再加入。エアーズとの関係は16年にわたり続くことになった。エアーズと時間を過ごすため、彼はスペインのマヨルカ島北部の町・デヤによく滞在し、多くのスペインのアーティストと演奏したりプロデュースをするために本土のマドリードに通った。80年代、女性ボーカリストのZanna Gregmarと一緒に、プロデューサーのJulian Ruizが企画したスペインのシンセポップバンド、シネマズポップに参加した。
ロバート・フリップのプロデュースによるソロ・アルバムを完成させていたが、いまだリリースはされていない。
1992年5月29日、スペインのマドリード、アマルグラ13番通りにて、ドラッグによる心臓発作で亡くなった。
遺産
ハルソールは、アルヴィン・リー、ビル・ネルソン、アラン・ホールズワース、チープトリックのギタリスト、リック・ニールセンによる影響があると評された。 XTCのアンディ・パートリッジは、彼が影響されたトップ3のうちの1人としてハルソールを挙げている。「彼はギターをアルバート・アイラーやジョン・コルトレーンのように、また、流体ピアノの演奏者のように聞こえさせたんだ」と言っている。
日本公演
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
- Ollie & The Blue Traffs (未発表 1972年)
- ケイヴス - Caves (1979年)
- アボッツ・ラングレー - Abbot's Langley (1980年)
アルバム with マイク・パトゥ
- ベッギン - Beggin (タイムボックス 1967-69年)
- パトゥ - Patto (パトゥ 1970年)
- ホールド・ユア・ファイア - Hold Your Fire (パトゥ 1971年)
- ロール・エム、スモーク・エム - Roll Em, Smoke Em, Put Another Line Out (パトゥ 1972年)
- Monkey's Bum (パトゥ 1973年)
- ビロウ・ザ・ベルト - Below the Belt (ボクサー 1975年)
- ブラッドレッティング - Bloodletting (ボクサー 1979年)
- Warts and All (パトゥ recorded live 1971 2000年)
アルバム with ケヴィン・エアーズ
- 夢博士の告白 - The Confessions of Dr. Dream and Other Stories (1974年)
- 悪魔の申し子たち〜その歴史的集会より - June 1, 1974 (1974年)
- スウィート・デシーヴァー - Sweet Deceiver (1975年)
- きょうはマニャーナで - Yes We Have No Mañanas (So Get Your Mañanas Today) (1976年)
- レインボウ・テイクアウェイ - Rainbow Takeaway (1978年)
- ザッツ・ホワット・ユー・ゲット・ベイブ - That's What You Get Babe (1980年)
- ダイアモンド・ジャック・アンド・ザ・クイーン・オブ・ペイン - Diamond Jack and the Queen of Pain (1983年)
- ディア・ヴュ - Deia...Vu (1984年)
- アズ・クローズ・アズ・ユー・シンク - As Close As You Think (1986年)
- フォーリング・アップ - Falling Up (1988年)
- スティル・ライフ・ウィズ・ギター - Still Life with Guitar (1992年)
アルバム with シネマズポップ
- Cinemaspop (1983年)
- A Clockwork Orange (La Naranja Mecánica) (1984年)
その他のアルバム
- 眩暈 - Living in Fear (テンペスト 1973年)
- ザ・ラトルズ - The Rutles (ラトルズ 1978年)
- アーキオロジー - Archaeology (ラトルズ 1996年)
- Under the Blossom (テンペスト 2007年)