「デイヴ・スチュワート (ギタリスト)」の版間の差分
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2016年11月18日 (金) 07:32時点における版
デイヴ・スチュワート David A. Stewart | |
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1987年6月 | |
基本情報 | |
出生名 | David Allan Stewart |
生誕 | 1952年9月9日(72歳) |
出身地 | イングランド・サンダーランド |
ジャンル | ポップ・ロック |
職業 | シンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル、ギター |
活動期間 | 1971年 - |
レーベル | Anxious Records, The Artist Network, Weapons of Mass Entertainment |
共同作業者 | ユーリズミックス、Platinum Weird、The Tourists |
公式サイト | http://www.davestewart.com |
デイヴ・スチュワート(Dave Stewart 、David Allan Stewart 、1952年9月9日 - )はイギリスのミュージシャン、ギタリスト、音楽プロデューサー。ユーリズミックスのメンバー。
略歴
12歳の時に、膝の骨折事故を起こし長期入院したことがきっかけでギターを始める。[1]
1960年代の後半には地元に来たロック・ミュージシャンのコンサートに足繁く通い、ブレイクする以前だったジミ・ヘンドリックスのギグを観たり、ティラノザウルス・レックス時代のマーク・ボランと楽屋でのセッションも経験した[1]。15歳の時にはフォーク・ロックバンドのツアーにローディーとしてついて行ってしまったというエピソードもある。[1]
後に友人と共にハリソン&スチュワートというデュオを結成し、地元のインディーズレーベル、マルチレコードからシングル『Deep December』をリリース。自身初のレコードとなった。1971年にはハリソン&スチュワートに新たなメンバーを加え、ロングダンサーというフォーク・ロックのバンドを結成。1972年にはエルトン・ジョンのロケット・レコード・レーベルと契約し2枚のアルバムをリリースするも、バンドは売れずヨーロッパ中をツアーする日々を送る。
1973年から1974年にはPlatinum Weirdというバンドで活動。ミック・ジャガーのバースデーパーティーでのデビューギグの機会を得て、前述のロケット・レコード・レーベルとの契約も果たす。しかしデビュープロジェクトが順調に進む最中でボーカリストが突如失踪。バンドは解散してしまい、このことへのショックから以後荒んだ生活を送る。
やがてドラッグ摂取と交通事故で肺を痛め、ロンドンの病院に担ぎ込まれる。ここで同郷サンダーランド出身のピート・クームスと出会い意気投合[1]。1976年にはピートと訪れたレストランにてアニー・レノックスと出会い、3人でザ・キャッチを結成する[1]。程なくしてアニーと恋仲に発展し、同棲生活を始めている。
ザ・キャッチは後にバンドメンバーを揃え、1979年にはザ・ツーリスツへと改名。メジャーデビューを果たしヒット曲も生まれたが、1980年12月にツアー先のオーストラリアにてピートと対立を起こしバンドが分裂[1]。レノックスと共にユーリズミックスを結成。この時に創作活動の為、レノックスとの男女関係を解消した。
1984年のワールドツアー終了後にはロンドン郊外クラウチ・エンドにある古い教会を買い取り、チャーチと名付けたスタジオに改装した。
1987年に、当時バナナラマのメンバーだったシヴォーン・ファーイと結婚。馴れ初めは1983年にリリースしたユーリズミックスの『フーズ・ザット・ガール?』のPVにシヴォーンがゲスト出演したことがきっかけ。彼女との間に二人の子供を儲けるが、1996年に離婚した。 2001年にはオランダ人の写真家と再婚し、二人の娘を儲けている。
ユーリズミックスでの成功後はラモーンズ、フィアガール・シャーキー、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、ジョン・ボン・ジョヴィ、t.A.T.u.、スティーヴィー・ニックスなど他アーティストのプロデュースや映画音楽の制作なども手がけている。またダリル・ホール、ミック・ジャガー、ボブ・ディラン、リンゴ・スター、ブライアン・フェリー、キャンディ・ダルファー、マルコム・マクラーレン、ケイティ・ペリーをはじめ、様々なアーティストとのコラボレーションも行っている。
2004年にはサンタナ、ジュエル、ノー・ダウトのグウェン・ステファニー、ブリトニー・スピアーズなどへの楽曲提供で知られる女性アーティスト、カーラ・ディオガルディとPlatinum Weirdを結成。これは前述した同名バンドの新生版であり、当時の音源をリアレンジしたアルバム『Make Believe』もリリースしている(国内版はリリースされていない)。
2011年9月、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、ジョス・ストーン、ダミアン・マーリー、A.R.ラフマーンの5人から成るスーパーグループ「スーパーヘヴィ」を結成した。バンド結成の発端は、デイヴがジャマイカの自宅にミックを招いたことから。その時の会話から新しい音楽のアイデアが芽生え、以後18ヶ月に及ぶ断続的なレコーディング作業が秘密裏に行われ、デビューに至ったという[2]。ミックとデイヴは映画『殺したい女』の主題歌「Ruthless People」やミックのソロアルバム『プリミティヴ・クール』でのコラボレーションなど、以前から交流があった。
ディスコグラフィ
- 1990年 『DAVE STEWART AND THE SPIRITUAL COWBOYS』 ※DAVE STEWART AND THE SPIRITUAL COWBOYS 名義
- 1991年 『Honest』 ※DAVE STEWART AND THE SPIRITUAL COWBOYS 名義
- 1995年 『Greetings from the Gutter』
- 1998年 『Sly-Fi』 ※インターネット上での発表
- 2008年 『The Dave Stewart Songbook Vol. 1』
- 2008年 『Let's Do It Again』