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2016年11月18日 (金) 07:27時点における版

リッチー・サンボラ
(Richie Sambora)
2009年 リッチー・サンボラ
基本情報
出生名 リチャード・スティーヴン・サンボラ
Richard Stephen Sambora
生誕 (1959-07-11) 1959年7月11日(65歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州
ジャンル ハードロック
ポップ・ロック
ブルースロック
職業 ギタリスト音楽プロデューサーシンガーソングライター
担当楽器 ギター
マンドリン
シタール
ウクレレ
ベース
バンジョー
ピアノ
キーボード
ドラムス

トランペット
サクソフォーン
アコーディオン
ブズーキ
メロトロン
レーベル アイランド・レコード
共同作業者 ボン・ジョヴィ
公式サイト http://www.richiesambora.com/
エリック・クラプトン
ジミ・ヘンドリクス
ジョージ・ハリスン

リッチー・サンボラ(Richie Sambora, 1959年7月11日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のミュージシャン。ロックバンドボン・ジョヴィでギターを担当していた。

人物

ポーランド系の父アダムとイタリア/ポーランド系の母ジョアン・シェニラとの間に生まれる。父方のルーツはクラクフ。ニュージャージー州ウッドブリッジの町で育つ。ギターを始めたのは14歳の時で、ジミ・ヘンドリックスの死に触発されてのことである。

ボン・ジョヴィの前身バンドであったワイルド・ワンズのライヴを見て、当時のギタリストであったデイヴ・セイボ(現スキッド・ロウ)の演奏に憤慨し、終演後楽屋に乗り込み、「こんなギタリストより俺の方が上手い」とジョンらメンバーの前で啖呵を切ったことが加入のきっかけとなった。後日正式にオーディションに参加し、デイヴの代わりにギタリストとして加入することとなった。

ソロとしては1991年、アルバム『ストレンジャー・イン・ディス・タウン』でデビュー。ボン・ジョヴィのライヴにおいてコーラスを披露していたが、ここであらためてソウルフルな歌を披露した。「Mr.Bluesman」という曲は、彼が尊敬してやまないエリック・クラプトンに憧れてギタリストを夢見る少年(リッチー本人)のことを歌っているが、エリック・クラプトン本人がその曲に感動し、ゲストミュージシャンとして参加している。

1994年、アリー・シーディシェールなどとの交際暦を経て、ヘザー・ロックリアと結婚し一女をもうけるも、マリブの自宅の近所に住む女優で、妻のヘザーの親友だったデニス・リチャーズが、彼女の夫で人気俳優チャーリー・シーンの浮気の激しさに悩んだ末に友人のリッチーに相談を持ちかけたことがきっかけで不倫関係になってしまい、その事実を知り激怒した妻のヘザーがリッチーに三行半を突きつけ2007年に離婚。その後リッチーとデニスは「全米で一番憎まれているカップル」とゴシップ誌に認定されるなど、世間から激しくバッシングを受けてしまったが1年後に破局した。

デニスとの破局後からアルコール依存症の症状が重くなり、2007年にはついにリハビリ施設に入所。2008年春に飲酒運転で逮捕されたが、そのときに酔っ払った状態で11歳の娘を自動車に同乗させていたことが問題になり、父親としての自覚が足りないということで、再び世間からバッシングを受ける羽目になった。2011年4月には再びリハビリ施設に入ることとなり、欧米で予定していたツアーへ参加できなくなる事態となった[1]。その後6月にクロアチアザグレブ公演よりツアーに合流。しかし、2013年のビコーズ・ウィー・キャンツアーの開始一月目から「家庭上の都合」を理由に再び離脱し、それ以降も不参加の状態が続いた[2]。2014年11月、ジョンがショービズ411のインタビューにて、リッチーが脱退したことを明かした[2][3]が、バンド側からの正式な発表はない。

個人的な日本との繋がりでは、1997年反町隆史のアーティストデビューシングル「Forever」に参加。同曲は、反町隆史主演ドラマ「ビーチボーイズ」の主題歌として使用され、フジテレビ系列で放映された。

ディスコグラフィー

デヴィッド・ブライアンティコ・トーレス(以上ボン・ジョヴィ)、トニー・レヴィンエリック・クラプトングレッグ・フィリンゲインズ等が参加。
ドン・ウォズビリー・プレストン等が参加。
リッチーが過去に在籍していたバンド「メッセージ」のアルバム。
リッチーが18歳の頃の未発表音源集。
約15年ぶりとなるソロ・アルバム。ロジャー・ジョセフ・マニング・ジュニア等が参加。

使用機材

80年代のギター

  • クレイマー - シグネイチャー・モデル“Jersey Star”シリーズ
  • シャーベル - カスタムモデル。(クレイマーとのエンドース契約時にはヘッドにクレイマーのロゴが貼られていた。)
  • オベーション - D768ダブルネック、1985シリーズ

90年代以降のギター

OMC41

等々多数

アンプ

出典

外部リンク