「ジョー・ペリー」の版間の差分
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録) m Bot: </br> → <br /> ∵Tag with incorrect syntax: Check Wikipedia #2 |
|||
81行目: | 81行目: | ||
{{DEFAULTSORT:へりい しよう}} |
{{DEFAULTSORT:へりい しよう}} |
||
[[Category:エアロスミスのメンバー]] |
[[Category:エアロスミスのメンバー]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]] |
[[Category:アメリカ合衆国のロック・ギタリスト]] |
||
[[Category:リードギタリスト]] |
[[Category:リードギタリスト]] |
||
[[Category:マサチューセッツ州エセックス郡出身の人物]] |
[[Category:マサチューセッツ州エセックス郡出身の人物]] |
2016年11月18日 (金) 07:09時点における版
ジョー・ペリー | |
---|---|
基本情報 | |
出生名 | アンソニー・ジョセフ・ペリー |
生誕 |
1950年9月10日(74歳) アメリカ合衆国マサチューセッツ州ローレンス |
ジャンル |
ブルース ブルースロック ハードロック ヘヴィメタル |
職業 |
ミュージシャン ソングライター |
担当楽器 |
ギター ヴォーカル ベース キーボード ハーディ・ガーディ ドブロ・ギター 6弦ベース ウクレレ スライド・ギター |
活動期間 | 1971年 - |
共同作業者 | エアロスミス |
著名使用楽器 | |
ギブソン・レスポール ギブソン・ES-335 フェンダー・ストラトキャスター |
ジョー・ペリー(Joe Perry、1950年9月10日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。ロックバンド「エアロスミス」のギタリスト。本名は、アンソニー・ジョゼフ・ペリー(Anthoney Joseph Perry)。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第48位、2011年の更新版では第84位。
来歴
アメリカ・ボストン郊外出身。少年時代、最初に手にした楽器はウクレレだった。
1971年に、エアロスミスのメンバーとしてデビュー。フロントマンのスティーヴン・タイラーと共にソングライティングを担当。このコンビは、「トキシック・ツインズ(The Toxic Twins)」と呼ばれる。地道な活動によりバンドは徐々に人気を獲得していき、1970年代半ばに大ブレイク、キッスやレッド・ツェッペリンと肩を並べるほどにまで成長した。また、アルバム『ロックス』(1976年)以降、一部の楽曲でリード・ボーカルを取るようになった。エアロスミスの活動と並行して、個人としてはキッスのジーン・シモンズのソロ・アルバム『ジーン・シモンズ』(1978年)にゲスト参加した。
1980年、スティーヴン・タイラーとの確執などを原因に、エアロスミスを脱退。「ジョー・ペリー・プロジェクト」を結成し、1983年までに3枚のアルバムを発表。だが、エアロスミスほどの成功は得られなかった。この間エアロスミスも、相次ぐメンバー脱退や交通事故によるスティーヴンの入院、アルバムの興行的不振など、暗礁に乗り上げていた。しかし時間の経過に伴い、スティーヴンとも和解。1984年に、同じく脱退したオリジナル・メンバーのブラッド・ウィットフォードと共に、エアロスミスに復帰。1989年、アリス・クーパーのアルバム『トラッシュ』の収録曲「ハウス・オブ・ファイアー」にゲスト参加。1997年、スティーヴ・ヴァイが発案したクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス』に、ギター・インストゥルメンタルによる「ブルー・クリスマス」を提供。
2004年にエアロスミスは無期限活動休止を宣言。この期間を利用してジョーは、かなり昔から温存していた数々の曲のレコーディングに取り掛かり、2005年5月、今度は「ジョー・ペリー」名義でのソロアルバムを発表した。また、同年8月にリリースされたレス・ポール&フレンズのアルバム『レス・ポール・トリビュート』にフィーチャリング・ゲストの一人として参加。
2007年、エアロスミスが活動再開、全米ツアーを敢行した。 2009年に、後のエアロスミスのアルバム『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』の制作が中断された時に、2作目のソロ・アルバム『ハヴ・ギター・ウィル・トラベル』をリリースし、翌2010年まで「ジョー・ペリー・プロジェクト」名義でツアーを行った。
2016年7月10日、ジョニー・デップやアリス・クーパーらと組んでいるグループ「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」のコンサート中に倒れ、地元の病院に搬送された[1]。当初は心停止で倒れた[1]と報道されたが、アリスによると、ジョーは心停止ではなく脱水症と疲労が原因で倒れたという[2]。その後回復し、7月22日のハリウッド・ヴァンパイアーズのライブにて復帰[3]。
シグネイチャー・レスポール
シグネイチャー・モデル制作の際、ジョーはギブソンの担当者に、軽いギターであることを求めた。それは、ジョーがそれまで使用してきたレスポールが大抵重かったため、最適な重さを求めていたからである。
その他
- ボストン・レッドソックスのファンである。
- キッスのステージに唯一、正式メンバー以外の人間で立ったことがある。
- 愛妻家であり、B.B.キングのシグネイチャー・モデルである、ギブソンの「ルシール」に、ビリー夫人の姿をエアブラシで精密なペイントが施されており、ヘッドには"Billie"と記されている。しかし当初、ビリー夫人は恥ずかしがり、ライブのスクリーンに自分の顔が映るのが我慢ならず、楽屋に閉じこもっていたというが、今は慣れた模様。
- ツアーにはブラッド・ウィットフォード同様、多数のギターを持ち出している。高価なヴィンテージギターから手工ギターまで、音色やチューニングの違いなども含めて、20本近くのギターをスタンバイさせており、ギターキッズからは羨望の眼差しを送られている。
- 右利きのスタイルでギターを弾いているが、左利き用のストラトキャスターに逆に弦を張ったものを使用することがあり、ジミ・ヘンドリックスなどが同様の方法を用いている(ただしジミは、右利き用を左で弾く)。ただし、本人は「弦を逆に張った時の音が好きだ」と語っている他、「アームのテンションやピックアップの配置、弦のテンションが全然違う」「単にジミ・ヘンドリックスを真似たわけではない」とインタビューで答えている。
- ジェフ・ベックを敬愛しており、彼のシグネイチャー・ギターを数本所持している。元々エアロスミスは、ヤードバーズのようなブリティッシュ・ロックに強い影響を受けており、ジョーのギター・プレイにもジェフの影響が多く見られる。ベックがアルバム『ワイアード』を発表した頃、エアロスミスのライヴにてアンコールで突如ベックが登場し、共演を果たすが、その際ジョーは感極まって涙を流し、その場に立ち尽くしたという。後にジョーは、次のように語っている。
「あれは今までのオレの人生で最高の瞬間だったな。考えても見ろよ、ずっとアイドルとして憧れていたジェフ・ベックと同じステージに立って演奏しているんだぜ」
ディスコグラフィ
ジョー・ペリー・プロジェクト名義
- 熱く語れ! (Let the Music Do the Talking)1980年
- 忘れじのロックン・ロール (I've Got the Rock'n'Rolls Again)1981年
- いつまでも熱く (Once a Rocker, Always a Rocker)1983年
ジョー・ペリー名義
- ジョー・ペリー (Joe Perry)2005年
- ハヴ・ギター、ウィル・トラヴェル (Have Guitar, Will Travel) 2009年
関連項目
脚注
- ^ a b “エアロスミスのJ・ペリー、公演中に心停止で倒れる”. 日刊スポーツ. (2016年7月11日) 2016年7月11日閲覧。
- ^ “アリス・クーパー、ジョー・ペリーが倒れた理由を語る”. BARKS. (2016年8月16日) 2016年8月17日閲覧。
- ^ “ジョー・ペリー、ツアーに復帰”. BARKS. (2016年7月24日) 2016年8月17日閲覧。