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2016年11月18日 (金) 07:03時点における版
デニー・レイン Denny Laine | |
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1976年、ウイングスのライブにて | |
基本情報 | |
出生名 | Brian Frederick Arthur Hines |
別名 | Denny Laine |
生誕 | 1944年10月29日(80歳) |
出身地 | イングランド、ウェスト・ミッドランズ、バーミンガム |
ジャンル | ロック、ブルース・ロック、R&B、ポップス |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ギター、ボーカル、ベースギター、ピアノ、キーボード、ハーモニカ、フルート |
活動期間 | 1957年 - 現在 |
レーベル | デッカ、ウィザード、リプライズ、EMI、アリスタほか |
共同作業者 | ポール・マッカートニー、ウイングス、ムーディー・ブルース、ジンジャー・ベイカーほか |
公式サイト | www.dennylaine.com |
デニー・レイン (Denny Laine) の芸名で知られるブライアン・フレデリック・アーサー・ハインズ(Brian Frederick Arthur Hines、1944年10月29日 - )は、イギリス、バーミンガム出身のミュージシャン。
ボーカルの他、ギター、ベース、ハーモニカ、キーボードと様々な楽器をこなすマルチプレイヤーであり、作詞作曲も手がける。
ムーディー・ブルース(The Moody Blues)のオリジナル・ギタリスト兼シンガーであり、特にポール・マッカートニー率いるウイングス(Wings)では、結成当時からの活躍が有名。
経歴
初期〜ムーディー・ブルース
バーミンガムのヤードリー・グラマー・スクール在学中に、ジプシー・スウィングの伝説的プレイヤージャンゴ・ラインハルトの影響を受けてギターを手にする。
12歳の時に初ステージを踏み、後にエレクトリック・ライト・オーケストラでプレイするベヴ・ベヴァンとともにデニー&ザ・ディプロマッツを結成し、プロとしてのキャリアをスタートする。
1964年、マイク・ピンダーとともにディプロマッツを脱退し、ムーディー・ブルースを結成。ヒット曲「ゴー・ナウ」(Go Now)など多くの曲でリードを取るが、徐々にシンフォニック・ロック的なサウンドを志向し始めたグループとの音楽性の違いから、1966年に脱退。
ムーディー・ブルース脱退後、後のエレクトリック・ライト・オーケストラに似たストリングス・セクションを持つエレクトリック・ストリング・バンドを結成、ギターとボーカルを担当した。彼らはデラム・レコードから2枚のシングル(「セイ・ユー・ドント・マインド」(Say You Don't Mind)、「トゥー・マッチ・イン・ラヴ」(Too Much In Love))をリリースし、ジミ・ヘンドリックス、プロコル・ハルムらとロンドンのサヴィル・シアターのステージにも立った。しかし、知名度はそれほど上がらず、エレクトリック・ストリング・バンドは解散。
1970年にはジンジャー・ベイカーのバンド、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースに加入するがこれも短命に終わった。
ウイングス
1971年、旧知の仲だったポール・マッカートニーに誘われ、ウイングスを結成。ギター、ボーカル(ライブではベース、キーボードもプレイしている)を担当する。
作曲も担当し、イギリスで大ヒットを記録したシングル「夢の旅人」(Mull of Kintyre) は彼とポールの共作。また、アルバム『ロンドン・タウン』(London Town)では、フォークソング調の作風を得意とする彼の個性が遺憾なく発揮された。
ウイングスはリードギター、ドラムスは流動的であったが、ポール、ポールの妻のリンダ・マッカートニー、レインの3人は中核メンバーとして不動であり、レインは1981年のウイングス解散まで、ポールの名パートナーとしてバンドを支えた。
ウイングス以降
ウイングス解散後も、1986年にバーミンガム小児病院を支援するためのチャリティ・ライブ「ハートビート・チャリティ・コンサート」を開催するなど、精力的に活動。
ビートルフェストで元ウイングスのメンバーと部分的な再結成ギグを行ったり、ウイングスのトリビュート作品にも登場したほか、最近では2010年5月、ノースラスベガスのカナリー・カジノ・アンド・ホテルで行われたゴードン・ウォーラー・トリビュート・コンサートにも参加した。現在は、自叙伝を執筆中。
私生活
最初の妻ジョ・ジョ(死別)との間に1男1女を授かったほか、婚外子が3人いる。