「ジョン・アンダーソン (音楽家)」の版間の差分
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2016年11月18日 (金) 07:01時点における版
ジョン・アンダーソン Jon Anderson | |
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サンパウロでのライヴ(2011年12月) | |
基本情報 | |
出生名 | John Roy Anderson |
生誕 | 1944年10月25日(80歳) |
出身地 | イングランド ランカシャー アクリントン |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック シンフォニック・ロック ポップ・ロック ニューエイジ・ミュージック |
職業 |
歌手 作詞家 作曲家 画家 ギタリスト ハープ奏者 |
担当楽器 | 歌、キーボード、パーカッション、ハープ、ギター |
活動期間 | 1968年 - 現在 |
共同作業者 |
イエス ウォリアーズ ジョン・アンド・ヴァンゲリス ABWH キング・クリムゾン |
公式サイト | Official website |
ジョン・アンダーソン(Jon Anderson, 本名John Roy Anderson, 1944年10月25日 - )はイギリスのミュージシャン、ヴォーカリスト、作詞家。プログレッシブ・ロック・バンド、イエスの元・リード・ヴォーカリストであり、中心人物であった。
来歴
イギリスのアクリントン出身。父はスコットランド系、母はアイルランド系のイギリス人だった。学校を卒業し、15歳から様々な職を転々とする。地元のサッカークラブチームであるアクリントン・スタンリーFCへ入る夢も持っていたが、165cmという小柄な体型からあきらめるしかなかった。1962年にザ・ウォーリアーズに兄のトニー・アンダーソンと共にボーカリストとして加入。1967年に解散した。その後、ハンス・クリスチャンの芸名のシンガーとしてシングル盤2枚を発表している。
1968年にメイベル・グリアーズ・トイショップに在籍していたクリス・スクワイアと出会い、意気投合した彼らはビル・ブルーフォード、ピーター・バンクス、トニー・ケイと共にイエスを結成し、1969年にデビュー・アルバム『イエス・ファースト・アルバム』を発表する。1976年には初のソロ・アルバム『サンヒローのオリアス』を発表している。
1979年にリック・ウェイクマンと共にイエスを脱退する。その後しばらくソロ活動を行うが、1983年にイエスに復帰し『ロンリー・ハート』が大ヒットを記録する。しかし、音楽性の違いから1988年にまたしてもバンドを脱退。1989年にはイエスのキャリア中に出会ったメンバーとアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ(略称:ABWH)名義でアルバム『閃光』を発表している。1990年にはABWHとイエスの合体という形で、アンダーソンはイエスに復帰した。
ギリシャ人のキーボード奏者・ヴァンゲリスとの連名で共作アルバムを数枚発表し、時々、ライヴでも共演している。
1992年には喜多郎の作品に参加し、喜多郎と共にワールド・ツアーを行なっている。
2008年に体調不良を理由にイエスでのシンガーとしての活動を、バンドおよびマネージメント・サイドから拒否され、現在はイエスでの活動を行なっていない。イエスは代理のシンガー、ベノワ・ディヴィッドを擁立して2008年以降、ライヴ活動を行ない、2012年にはジョン・デイヴィソンに交代している。
2008年にスロバキア人作曲家のピーター・マハイヂクは、ジョン・アンダーソンが歌うSadness of Flowingという曲が収録されたNamahというタイトルのアルバムを出した。2009年には、アンダーソンとマハイヂクはブラチスラヴァのTribute to Freedomコンサートにて共演し、2012年にはロンドンオリンピックの一環として、サドラーズウェルズ劇場にてジョイントコンサートを開いた。
アンダーソンは2009年以降、ソロ・シンガーとしてライヴ活動中。2010年秋にはリック・ウェイクマンとの共演の英国ツアーを「プロジェクト 360」の名義で行ない、連名のスタジオ録音アルバムとライヴ・アルバムを発表している。
2012年にはスロバキアのシンガーソングライター・Miroslav Žbirkaとライヴで共演した。
2013年にはアイスランドのバンド Todmobile とライヴで共演した。
2014年にバイオリニストのジャン=リュック・ポンティとのバンド「アンダーソン・ポンティ・バンド」を結成し、活動を開始した。同年7月に、Kickstarter での同バンドへの投資募集を発表している。
三弦ギターであるストラムスティックの奏者としても知られている。
家族
かつて、アフリカ系イギリス人であるジェニファー・ベイカーと婚姻をしており(1970年~1995年)、2人の娘、デボラ・アンダーソン、ジェイド・アンダーソン、息子のダミアン・アンダーソンもミュージシャンとして活動をしている。1997年にジェーン・ルーテンバーガーと再婚した。2009年にはアメリカの市民権を取得した。
ディスコグラフィ
イエス、ABWH
特記が無い限り全てイエスの作品。詳細はイエスの作品も参照
- イエス・ファースト・アルバム(1969年)
- 時間と言葉(1970年)
- イエス・サード・アルバム(1971年)
- こわれもの(1971年)
- 危機(1972年)
- 海洋地形学の物語(1973年)
- リレイヤー(1974年)
- 究極(1977年)
- トーマト(1978年)
- ロンリー・ハート(1983年)
- ビッグ・ジェネレイター(1987年)
- 閃光(1989年) - ABWH
- 結晶(1991年)
- トーク(1994年)
- キーズ・トゥ・アセンション(1996年)
- キーズ・トゥ・アセンション2(1997年)
- オープン・ユア・アイズ(1997年)
- ラダー(1999年)
- マグニフィケイション(2001年)
ソロ・アルバム
- サンヒローのオリアス - Olias of Sunhillow (1976年)
- 七つの詩 - Song of Seven (1980年)
- アニメーション - Animation(1982年)
- スリー・シップス - 3 Ships (1985年)
- イン・ザ・シティ・オブ・エンジェルス - In The City of Angels (1988年)
- The Best of South America (1994年)
- デセオ - Deseo (1994年)
- チェンジ・ウィー・マスト - Change We Must (1994年)
- 天使の抱擁 - Angels Embrace (1995年)
- The Deseo Remixes (1995年)
- トルティック - Toltec (1996年)
- Lost Tapes of Opio (1996年)
- 誓いの指輪 - The Promise Ring (1997年)
- 聖なる地球の詩 - Earth Mother Earth (1997年)
- モア・ユー・ノウ - The More You Know (1998年)
- Live from La La Land (2006年)
- Watching The Flags That Fly (2006年)
- Live In Sheffield 1980 (2006年)
- Survival & Other Stories (2010年)
※イエスでデビューする以前の1968年に、アンダーソンはハンス・クリスチャンという芸名のソロ・シンガーとして2種のシングル盤を発売している。(「Never My Love / All Of The Time」および「Autobiography Of A Mississippi Hobo / Sonata Of Love」)
The Warriors
- You Came Along b/w Don't Make Me Blue (1964)
- Bolton Club 65 (1965)
コラボレーション
- ショート・ストーリーズ - Short Stories (1979年)
- フレンズ・オブ・ミスター・カイロ - The Friends of Mr. Cairo (1981年)
- プライヴェイト・コレクション - Private Collection (1983年)
- ベスト・オブ・ジョン・アンド・ヴァンゲリス - The Best of Jon & Vangelis (ベスト盤 1984年)
- ページ・オブ・ライフ - Page of Life (Arista盤 1991年)
- Wisdom Chain (CDシングル 1991年)
- Chronicles (ベスト盤 1994年)
- Page of Life (OmTown盤 1998年)
- レイディ・オブ・ドリームス - Dreams (1992年 別ジャケット、内容の違う盤あり)
ジョン・アンダーソン・アンド・リック・ウェイクマン名義
- The Living Tree (2010年)
- The Living Tree in Concert Part One (2012年)
参加作品
- キング・クリムゾン: リザード - Lizard (1970年)
- Johnny Harris: All To Bring You Morning (1971年)
- ヴァンゲリス: 天国と地獄 - Heaven and Hell (1975年)
- アラン・ホワイト: ラムシャックルド - Ramshackled (1976年)
- リック・ウェイクマン: 1984 - 1984 (1981年)
- マイク・オールドフィールド: Crises (1983年)
- ジョルジオ・モロダー: Music From The Film "Metropolis" (1984年)
- ジョン・ポール・ジョーンズ: Music From The Film "Scream For Help" (1985年)
- タンジェリン・ドリーム: Music From The Film "Legend" (1986年)
- Stanislav Syrewicz: Music From The Film "Biggies Adventures In Time" (1986年)
- Gowan: Great Dirty World (1987年)
- TOTO: ザ・セブンス・ワン〜第7の剣〜 - The Seventh One (1988年)
- Jonathan Elias: Requiem For The Americas (1989年)
- Charlie Bisharat: Along The Amazon (1993年)
- ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 : Symphonic Music of Yes (1993年)
- Steve Bailey: Evolution (1993年)
- Ayman: Dancing with My Soul (1994年)
- ミルトン・ナシメント: Angelus (1994年)
- Cielo y Tierra: Heaven And Earth (1996年)
- 4Him: Streams (1999年)
- スティーヴ・ハウ: Portraits Of Bob Dylan (1999年)
- Bela Fleck & the Flecktones: Outbound (2000年)
- Eduardo Marquez del Signore: Captivated (2000年)
- Alan Simon: Excalibur 2 - L'anneau des Celtes (2007年)
- ドリーム・シアター: システマティック・ケイオス - Systematic Chaos (2007年)
- Peter Machajdik[1]: ペテル・マハイジック: Namah[2] (2008年)