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* 「生誕100周年 偉大なるロシア人指揮者ムラヴィンスキー来日秘話」(『[[新潮45]]』 2003年6月号)
* 「生誕100周年 偉大なるロシア人指揮者ムラヴィンスキー来日秘話」(『[[新潮45]]』 2003年6月号)
* 「原爆の第一標的は京都だった」(『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2006年1月号)
* 「原爆の第一標的は京都だった」(『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2006年1月号)
* 「西岡昌紀(医師)インタビュー」 『m9』 Vol.2 (晋遊舎ムック) 2008/6/26 ISBN-13:978-4883807826
* 「西岡昌紀(医師)インタビュー」 『m9』 Vol.2 (晋遊舎ムック) 2008/6/26 ISBN 978-4883807826
* 「ここが変だよ[[ホルミシス]]論争」 『WiLL』2012年11月緊急増刊号
* 「ここが変だよ[[ホルミシス]]論争」 『WiLL』2012年11月緊急増刊号



2016年11月15日 (火) 19:37時点における版

西岡 昌紀(にしおか まさのり、1956年 - )は、日本の医師、文筆家。

来歴

東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校北里大学医学部卒業。元厚生省医務官。専門は神経内科脳梗塞パーキンソン病筋萎縮性側索硬化症など脳神経疾患に関する論文がある。又、日本医事新報に寄稿した「HIVは本当にエイズの原因か?」(3619号70-72頁、1993年)は、ミルコ・D・ゲルメク著、中島ひかる+中山健夫訳『エイズの歴史』(藤原書店、1993年)に、中山が訳者解説として寄稿した「エイズ解題」において、4ページに渡って紹介、検討されている(同書、441~444頁)。エイズ否認主義の説である。1990年代後半に、神経内科の領域で、厚生省研究班の班員であった時期がある。

クラシック音楽のマネージャーである父親を通して、ピアニスト スヴャトスラフ・リヒテル指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキー等との知遇を得る[1]。ムラヴィンスキーを、1973年の初来日以来身近に知る数少ない日本人の一人であり、彼の人物像に関する著作(『ムラヴィンスキー/楽屋の素顔』リベルタ出版、2003年)がある他、小説の執筆や社会評論の雑誌寄稿もしている。ネット上では、ミクシイ等で、実名で意見を発表している。医療費抑制政策に批判的な他、反原発派、地球温暖化懐疑派、親パレスチナ派で、国旗・国歌の法による義務付けには反対するなど、リベラルな発言がある一方、改憲論者、靖国神社国家護持論者、対北朝鮮強硬派でもある。TPP加盟、人権擁護法外国人参政権には反対の立場を取っている。

マルコポーロ事件

1995年文藝春秋社が発刊していた月刊誌『マルコポーロ』上で、「アウシュビッツガス室はなかった」「ユダヤ人絶滅計画は存在しなかった」とする自説を寄稿。直後、文藝春秋社は、ユダヤ系人権団体サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)とイスラエルからの抗議を受けた(記事で、「アウシュビッツの「ガス室」を捏造したと名指しされたポーランド大使館は抗議していない)。特に、SWCの抗議は、文藝春秋社全体に対する物に発展した。この結果、文藝春秋社は、著者である西岡に相談しないまま、記事の内容を撤回・謝罪した上、『マルコポーロ』を廃刊にし、編集長であった花田紀凱を解任した(マルコポーロ事件)。西岡自身に対しては同誌廃刊が発表される当日まで何ら抗議や圧力は寄せられなかった。西岡は、文藝春秋社のこの決定に抗議し、1997年には、単行本『アウシュウィッツ「ガス室」の真実・本当の悲劇は何だったのか』(日新報道、1997年)を発表し、再反論している。(ホロコースト否認参照)

このマルコポーロ事件の際には、厚生省(当時)の職員であった為、厚生省上層部から記者会見中止を求められた。それを拒否して記者会見を開いた為、厚生省上層部と険悪な関係に陥った[2]。マルコポーロ事件と同時期に起きた阪神大震災においては、マルコポーロ事件を理由に、直属の上司から、震災現場での医療ボランティア参加を許可されなかった。この経験から、元厚生省職員として、阪神大震災当時の厚生省(当時)の対応の遅れを繰り返し批判している。

思想的変遷

2008年のインタビュー発言によれば、元々は非常に左翼的な思想の持ち主で、「週刊金曜日の読者の様な左翼」[2]であったと言う。それが、広瀬隆の著作を読む過程で、その近現代史への見直しに影響を受け、第二次世界大戦についての見方を改めたと言う。(広瀬は『危険な話』や『億万長者はハリウッドを殺す』などで、ナチスが台頭する背景にアメリカの銀行の意向があったことなどを論じている。)また広河隆一らのパレスチナ・イスラエルに関する著書などから、ナチとシオニストが協力関係にあったことなどを知り、言われている近現代史の内容に疑問を持つに至ったと言う。そのような疑問を持つ中で、1989年ニューズウィーク日本版が、アメリカの左翼系歴史家アーノ・メイヤーが、アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは実は病死者であったと論じていることを批判的に報じた記事を読み、「ホロコースト」の内容に疑問を持ったと、述べている。

ホロコースト見直し

西岡自身は基本的に『マルコポーロ』に掲載した自説を撤回していない。1997年に出版された自著『アウシュウィッツ「ガス室」の真実・本当の悲劇は何だったのか』の中で、「マルコポーロ」の記事には部分的に誤りもあったことを認めた上で、

  1. ナチスドイツがユダヤ人を差別迫害したことは明白である。
  2. しかし、そのドイツと言えど、彼らが、ユダヤ人をただユダヤ人であると言うだけの理由で「絶滅」しようとまでしたとする戦後の主張には証拠が欠けている。
  3. 特に、そのような「絶滅計画」の手段として用いられたとされる処刑用ガス室が存在した証拠は全く無い。
  4. 収容所でユダヤ人が大量死した悲劇の真の理由は発疹チフスをはじめとする病死である。
  5. それを連合国は、ガス室による殺害の結果であったかのように宣伝した。

といった主張を維持している。

主な著作

医学雑誌記事

著書

  • 『アウシュウィッツ「ガス室」の真実・本当の悲劇は何だったのか』(日新報道、1997年)
  • 『ムラヴィンスキー/楽屋の素顔』(リベルタ出版、2003年)
  • 『教科書が教えない小林よしのり』(共著)(ロフトブックス、1997年)
  • 『どうちがうの?-新しい歴史教科書vsいままでの歴史教科書(夏目BOOKLET)』(共著)(夏目書房編集部、2001年)
  • 『放射線を医学する—ここがヘンだよ「ホルミシス理論」』(リベルタ出版、2014年)

雑誌記事

  • 「戦後世界史最大のタブー『ナチ・ガス室』はなかった」(『マルコポーロ』 1995年2月号)
  • 「『ガス室はなかった』記事執筆の真意/『もともとの関心はメディアの情報操作だった』」(『』1995年4月号)(談話記事)
  • 「私を取材していった人たちについて」(『ず・ぼん : 図書館とメディアの本』2 新泉社、1995年)
  • 「生誕100周年 偉大なるロシア人指揮者ムラヴィンスキー来日秘話」(『新潮45』 2003年6月号)
  • 「原爆の第一標的は京都だった」(『WiLL』2006年1月号)
  • 「西岡昌紀(医師)インタビュー」 『m9』 Vol.2 (晋遊舎ムック) 2008/6/26 ISBN 978-4883807826
  • 「ここが変だよホルミシス論争」 『WiLL』2012年11月緊急増刊号

雑誌対談

  • 西岡昌紀・橋爪大三郎「『ナチ「ガス室」はなかった』の論理を検証する」(『ず・ぼん : 図書館とメディアの本』2 新泉社、1995年)

脚注

  1. ^ 『ムラヴィンスキー―楽屋の素顔』著者紹介
  2. ^ a b 「西岡昌紀(医師)インタビュー」 『m9』 Vol.2 (晋遊舎ムック) 2008/6/26

関連項目

外部リンク