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*[[悲しきヒットマン]] 徳間書店 1988年 ISBN 978-4198928582 |
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*チャカ - その愛、その死 巨大ヤクザ組織・抗争に生きる人々 徳間書店 1990年 ISBN |
*チャカ - その愛、その死 巨大ヤクザ組織・抗争に生きる人々 徳間書店 1990年 ISBN 978-4191342958 |
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*悪徳弁護士 飛鳥新社 1994年 ISBN |
*悪徳弁護士 飛鳥新社 1994年 ISBN 978-4870311602 |
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*はぐれ弁護士「生贄」の記 システムファイブ 2002年 ISBN |
*はぐれ弁護士「生贄」の記 システムファイブ 2002年 ISBN 978-4915689178 |
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== 脚注 == |
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2016年11月15日 (火) 18:48時点における版
山之内 幸夫(やまのうち ゆきお、1946年 - )は、日本の元弁護士。大阪弁護士会所属。山口組の顧問弁護士だったことで知られる。
人物
1946年、香川県小豆島に生まれる。2歳のころより、大阪方面で、幼少時代を過ごす。大阪府立成城工業高等学校出身。
1970年、早稲田大学法学部を卒業する。1972年、司法試験に合格する。司法修習を終え、1975年、大阪弁護士会に登録する[1]。
刑事弁護を担ううち、1976年より暴力団関係者の弁護が多くなる。1984年、山口組の顧問弁護士に就任する[1][2] 。1987年、大阪弁護士会より、「暴力団の顧問は弁護士の品位を害する」という理由で、懲戒処分を受ける[1]。1988年、徳間書店より、著作『悲しきヒットマン』を出し、翌年、東映にて、映画化される。
1991年2月、恐喝罪で逮捕される[3]。1995年3月23日にて、大阪地方裁判所は無罪判決を下すが、検察側は控訴する[3]。1997年2月25日、大阪高等裁判所で控訴棄却となり、同年3月13日無罪が確定する[3]。この際、150人の弁護団が結成される。その後、一時相場師として生計を立てようとするが、相場の下落で失敗。
その後も、著作活動をしつつ、弁護士活動を続ける[2]。
2013年9月9日に大阪府摂津市で依頼人の男に事業をめぐって紛争中だった会社の倉庫の扉を開けるために壁を壊すようにそそのかし、壁を破壊させた建造物損壊教唆罪で2014年4月に在宅起訴された。2015年1月に大阪地裁は懲役10月執行猶予2年の有罪判決を下し、2015年11月19日に最高裁で確定した。この判決により弁護士資格を失った。
その他
- オウム真理教を弁護した横山昭二弁護士を「大阪弁護士会2000人のうち2001番目の弁護士だ」などと発言し、横山から名誉を毀損したとして、民事訴訟を起こされ1審では勝訴したが、2審では敗訴し、30万円の損害賠償請求が命じられた。
主な著作
- 悲しきヒットマン 徳間書店 1988年 ISBN 978-4198928582
- チャカ - その愛、その死 巨大ヤクザ組織・抗争に生きる人々 徳間書店 1990年 ISBN 978-4191342958
- 悪徳弁護士 飛鳥新社 1994年 ISBN 978-4870311602
- はぐれ弁護士「生贄」の記 システムファイブ 2002年 ISBN 978-4915689178
脚注
- ^ a b c 暴力団に今、何が? 山口組元顧問弁護士が語る - 大阪日日新聞
- ^ a b 山之内幸夫弁護士 - 弁護士・法律事務所データベース
- ^ a b c はぐれ弁護士「生贄」の記 - Amazon.co.jp