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: エンリコ・フェルミ炉 ([[:en:Enrico Fermi Nuclear Generating Station|Enrico Fermi Nuclear Generating Station]]) はアメリカの[[デトロイト]]郊外にあった[[高速増殖炉]]試験炉である。1966年10月5日に[[炉心溶融]]を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた<ref>John Fuller "We Almost Lost Detroit" ISBN-13: 978-0345252661</ref>。
: エンリコ・フェルミ炉 ([[:en:Enrico Fermi Nuclear Generating Station|Enrico Fermi Nuclear Generating Station]]) はアメリカの[[デトロイト]]郊外にあった[[高速増殖炉]]試験炉である。1966年10月5日に[[炉心溶融]]を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた<ref>John Fuller "We Almost Lost Detroit" ISBN 978-0345252661</ref>。
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: アメリカ・[[スリーマイル島原子力発電所]]の炉心溶融事故。レベル5の事故であり、不完全な設備保全、[[人間工学]]を重視していない制御盤配置、そして中央制御室運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織として{{仮リンク|アメリカ合衆国原子力発電運転協会|en|Institute of Nuclear Power Operations|label=米国原子力発電運転協会}} (INPO) が結成された<ref>{{Cite web |url=http://www.inpo.info/AboutUs.htm |title=About Us "Our History" |publisher=Institute of Nuclear Power Operations (INPO) |accessdate=2013-02-15}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=13-01-03-10 |title=原子力発電運転協会 (INPO) (13-01-03-10) |work=ATOMICA |accessdate=2013-02-15}}</ref>。
: アメリカ・[[スリーマイル島原子力発電所]]の炉心溶融事故。レベル5の事故であり、不完全な設備保全、[[人間工学]]を重視していない制御盤配置、そして中央制御室運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織として{{仮リンク|アメリカ合衆国原子力発電運転協会|en|Institute of Nuclear Power Operations|label=米国原子力発電運転協会}} (INPO) が結成された<ref>{{Cite web |url=http://www.inpo.info/AboutUs.htm |title=About Us "Our History" |publisher=Institute of Nuclear Power Operations (INPO) |accessdate=2013-02-15}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=13-01-03-10 |title=原子力発電運転協会 (INPO) (13-01-03-10) |work=ATOMICA |accessdate=2013-02-15}}</ref>。

2016年11月15日 (火) 18:05時点における版

国際原子力事象評価尺度(INES)

原子力事故(げんしりょくじこ、: Nuclear and radiation accidents)とは原子力関連施設での放射性物質放射線に関係する事故のこと。放射性物質や強力な放射線が施設外へ漏れ出すと、人々の健康・生活や経済活動に大きな被害をもたらす。原子力関連施設内での事故であっても、放射性物質や放射線の漏出にまったく無関係な事故は原子力事故とは呼ばない。

原子力発電所などで事故が発生した場合には、国際原子力事象評価尺度 (INES) による影響度の指標が「レベル0」から「レベル7」までの8段階の数値で公表される[1]。本項目ではINESレベル4未満の事象も含めて記述するが、日本の原子力事業者はINESレベル4以上に限って「事故」と呼んでいる。[要出典]

事故と異常事象

日本の原子力関連施設では、放射性物質が環境中へ放出されて公衆の健康を害する恐れが生じた場合やそれ以上を「事故」と呼び、そのような状況に至らない施設内での不測の事態は「異常事象」と呼んで区別している[2]

原子力事故の原因と結果

炉心溶融(メルトダウン)

原子炉には核燃料集合体である燃料棒が入っている。燃料棒は核燃料を円筒状の耐熱ジルコニウム合金(ジルカロイ、融点約2,500)の容器に入れ、多数個まとめたものである。原子炉内(炉心)は非常に大きな崩壊熱を出しているため、原子炉冷却機能が失われるとジルカロイから発生した水素による水素爆発のおそれのほか、燃料棒が溶解・崩壊し、圧力容器の底に残った冷却水と反応して水蒸気爆発を起こす危険性がある[3]さらに燃料が原子炉の底を溶かし(溶融貫通=メルトスルー)炉外に漏れ出す危険や、その冷却水等または地下水脈との反応による水蒸気爆発や地下水脈への放射性物質の流出による大規模な放射能汚染、更には再臨界のおそれもある。[要出典]

実際に事故が炉心溶融までに至った例としては、1979年スリーマイル島原子力発電所事故アメリカ合衆国)、1986年チェルノブイリ原子力発電所事故ソビエト連邦、現ウクライナ)、2011年福島第一原子力発電所事故日本・現在進行中)などが挙げられる[4]

水素爆発・水蒸気爆発

原子炉格納容器や原子炉建屋に水素がたまると酸素と結合して爆発することがある。水蒸気の発生でも爆発することがある。爆発により遮蔽がなくなった原子炉より放射性物質が外部に放出される。それを防ぐために「ベント(弁を開いて気体を逃がすこと)」を行う。

冷却材喪失事故

原子炉は常に冷却する必要がある。しかし、冷却剤が配管の破断で喪失する、循環系ポンプが故障する、冷却水の取水が不足するなどした場合、炉心溶融に繋がり大事故に発展する危険性がある[注釈 1]。また、原子炉隔離時冷却系(ECCS)が必ずしも動作するとも限らない。なお、原子炉の臨界終息後も核分裂生成物の熱崩壊[注釈 2]による熱を取り去るために冷却を継続する必要がある[3][5]。ちなみに小規模な原子炉は必ずしも系統だった冷却を必要としていない[6]

人為的ミス・計器異常

計器もマニュアルも人間が作るものである以上、設計ミス、製造ミス、チェックミス、操作ミス、故障などが起こり得る。また運転員や管理者はマニュアルに沿って運転するが、それが必ずしも状況に即した適切な対応となるとも限らず、想定外の事象が起こった場合に事故を加速する動作になることがある。[独自研究?][要出典]

福島第一原子力発電所事故では、1号機において、緊急時に原子炉を冷却する場合は最初に冷却器を使わずに主蒸気逃し安全弁 (SRV) を開けて原子炉の圧力を下げて処する手順書通りに操作し、事態が悪化したとする専門家の指摘の報道[7]もあるが、事実関係はまったくこれと異なり、過去に使用履歴の無い非常用復水器 (IC) が起動されたとの報告[8]が出されている。

スリーマイル島原子力発電所事故では各種の警報が一斉に発せられた結果それらのプリントアウトが間に合わなくなり100分も遅延し[9]、非常給水弁の開け忘れ、「マニュアル通りの」主冷却剤ポンプ停止措置などが事態を深刻化させた[10]。また、1977年9月にはアメリカのコロラド州で、1980年12月にはオーストラリアシドニーで、放射性物質を運搬中の車両が交通事故を起こした[11]

臨界事故

高濃度の放射性物質が集まり核反応が連鎖的に続く状態になることを臨界という。臨界が起こると、その場所から周囲に中性子が放射される。中性子は構造物を貫きやすく、通常の防護服や防護機材さえ貫通して、長距離(数百m - 数km以上)にわたって生物の細胞を損傷する。また、中性子により普通の原子が放射性原子に変化する中性子放射化が起こる。

原子力施設の停電

原子力施設の停電が問題である。電源が失われると冷却が出来なくなり、蒸発で水が失われ重大事故(冷却材喪失事故)となり、そのままだと炉心溶融の上で水蒸気爆発または水素爆発により大量の放射性物質が外部に漏れるおそれがある。また放射性物質貯蔵システムでも崩壊熱が出続けているため、当面の間(数年以上)は冷却の必要がある。電力が失われれば状況も不明になり、制御も困難となる。原子力施設における全電源喪失をステーションブラックアウト(Station Blackout、SBO)という。

原子力施設を支える命綱には通常、

  1. 所内交流電源系 : 他の原子炉につながっている
  2. 外部電源系 : 外部から引き入れているいわゆる普通の電力
  3. 非常用ディーゼル発電機
  4. 非常用バッテリー

の4系統がある。

原子炉保安指針では、電源喪失が起こっても送電設備や非常電源設備を修理して送電可能となることと、またその非常電源設備も直ちにかつ確実に電源供給を行える状態であることを挙げて、電源喪失が長期間にわたるケースの想定は不要だと謳っている[注釈 3]。しかし、広域かつ長時間にわたって外部電源系が停止した事例は必ずしも珍しくない[注釈・原子力施設の停電 1]

冷却パイプ

原子炉内部を冷却するパイプは、(1)細い、(2)薄い、(3)曲がっている、(4)中性子などに曝されている、(5)圧力が高い、(6)密集している、(7)ナトリウム冷却の場合は腐食性が高い(通常は徹底的に不純物を除いた水を用いる)、(8)施工不良などの悪条件が重なっている。経年変化、不純物、格子欠陥、振動、地震などの条件があると、設計寿命のかなり前に詰まったり破断したりする。定期検査によって全てのパイプを徹底検査できないため、事故の原因となり得る。挙動が複雑なので、固有振動の計算が困難で(設計時には可能だが、条件の変化が大きい。古い設計ではかなり省略して計算している)想定外のひずみや圧力の集中が起こり、ひび割れや破断が起きることがある。[要出典]

パイプの材質は万全ではない。エロージョン/コロージョン(壊食/腐食、E/C)により配管の厚みが減る内面減肉がパイプの一部に起こり(局部減肉)、穴が開いたり亀裂ができる。場所の予想は困難であり、年間数mmの速度であるので時期の予測も困難であり、検査漏れが大きな事故を招きやすい。これは炭素鋼の弱点であるが、低合金鋼で対処が困難な場合にオーステナイト系ステンレス鋼にすると応力腐食割れを起こす。この問題は火力発電所・石油化学・一般化学プラントなどと共通の未解決問題である[15]

ナトリウム事故

原子炉の熱を運び出し、タービンを回すための冷却剤として使われるのは通常、水(H2O、軽水ともいう)、重水 (D2O) であるが、液体金属ナトリウム (Na) が使用されることもある。しかし、液体ナトリウムは水分や空気に触れると爆発する性質を持ち、腐食性も高い。また、別の元素が混入すると硬化し冷却困難となる場合がある[要出典]

主な原子力事故

日本

INESレベル7の事故

福島第一原子力発電所炉心溶融・水素爆発事故

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東京電力福島第一原子力発電所で圧力容器内の水位が低下。炉心が高温になるも、非常用電源の故障で緊急炉心冷却システムも作動せず、水蒸気爆発の可能性が高まった。そのため、弁を開いて放射性物質を含んだ水蒸気を大気中に放出した。この作業により、敷地境界域で1015 μSv/hの放射線を確認。燃料棒も一部溶解。日本初となる原子力緊急事態宣言が発令され、周辺半径20kmの住民には避難指示が出された[16]


経済産業省原子力安全・保安院は12日、国際原子力事故評価尺度 (INES) の暫定値で、「局所的な影響を伴う事故」とするレベル4に当たることを明らかにした。東海村JCO核燃料加工施設臨界事故と同レベル[17]。経済産業省原子力安全・保安院は1 - 3号機の事故の深刻さを示す国際評価尺度 (INES) を、8段階のうち3番目に深刻な「レベル5」にすると発表した[18]。その後、同年4月12日、経済産業省原子力安全・保安院は国際評価尺度 (INES) の暫定評価を「レベル7」にすると発表した[19]

  • 2011年11月30日、東京電力は炉心の解析状況を発表した[要出典]
    • 1号機・・14時間の断水で、燃料は3000度に達し、68tの燃料がすべて溶けて鋼鉄製の圧力容器を抜けて格納容器下部にたまった。
    • 2号機は57%、3号機は63%の燃料が格納容器外へ落下した可能性がある。

INESレベル4の事故

1999年9月30日 東海村JCO核燃料加工施設臨界事故[20]
日本で3番目の臨界事故で、作業員2名が死亡。

INESレベル3以下の事故

1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
日本で最初の臨界事故とされる。
戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、午前3時から、出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半、臨界が続いたとされる。
沸騰水型の原子炉で、弁操作の誤りで炉内圧力が高まり、制御棒が抜けるという本質的な弱点の事故。この情報は発電所内でも共有されず、同発電所でもその後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される。1999年志賀原発事故も防げたかも知れず、本質的な弱点なので、世界中の原子炉で起こっている可能性がある。
特に重要なのが、1991年5月31日の中部電力浜岡3号機の制御棒が同様に3本抜けた事故である。中部電力は1992年にマニュアルを改訂した。「国への報告はしなかったが、他電力へ報告した。」と主張した。
事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚、公表された。東京電力は「当時は報告義務がなかった」と主張している。
1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所3号機事故
原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した事故。レベル2。
1990年9月9日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
1991年2月9日 関西電力美浜発電所2号機事故[21]
蒸気発生器の伝熱細管の1本が破断し、55トンの一次冷却水が漏洩し、非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動した。レベル2。放出量0.6キュリー。
1991年4月4日 中部電力浜岡原子力発電所3号機事故
誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が自動停止した。レベル2。
1997年3月11日 動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故
低レベル放射性物質をアスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
1999年6月18日 北陸電力志賀原子力発電所1号機事故
定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になり、スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、マニュアルで弁操作が開閉逆だったと言うのが、臨界になる主な原因であった。レベル1 - 3。
2011年3月11日 東京電力福島第二原子力発電所事故
東日本大震災による地震・津波で原子炉の冷却機能が一時不全状態に陥った事故。
原子力安全・保安院は2011年3月18日にINESレベル3であるとの暫定評価を下した。
2013年5月23日 J-PARC放射性同位体漏洩事故
J-PARCハドロン実験施設にて、装置の誤作動により管理区域内に漏洩した放射性同位体が、排気ファンを回すという人為的な行動によって管理区域外に漏洩した事故。
原子力規制委員会は、2013年5月27日に本件をINESレベル1に相当する事象と暫定的に評価した。

その他の事故

1973年3月 関西電力美浜発電所燃料棒破損
美浜一号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、関西電力はこの事故を公表せず秘匿していた。この事故が明らかになったのは内部告発によるものである。
1974年9月1日 原子力船むつ」の放射線漏れ事故
1995年12月8日 動力炉・核燃料開発事業団高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故
2次主冷却系の温度計の鞘が折れ、ナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。この事故により、もんじゅは15年近く経った2010年4月まで停止を余儀なくされた。
1998年2月22日 東京電力福島第一原子力発電所
第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
2004年8月9日 関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故
2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
2007年7月16日 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故
同日発生した新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし、微量の放射性物質の漏洩が検出された。この地震により発生した火災は柏崎刈羽原子力発電所1箇所のみであるとされる。
震災後の高波によって敷地内が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。
全ての被害の詳細は2007年10月現在もなお調査中である。この事故により柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。
2007年11月13日、経済産業省原子力安全・保安院はこの事故をレベル0-と評価した。
2010年6月17日 東京電力福島第一原子力発電所2号炉緊急自動停止
制御板補修工事のミスがあったが、常用系電源と非常用電源(常用系から供給されている)から外部電源に切り替わらず、冷却系ファンの停止をまねき、自動停止(トリップ)した。電源停止により水位が2m低下した。燃料棒露出まで40cm(単純計算で6分)であった。30分後に非常用ディーゼル発電機2台が動作し、原子炉隔離時冷却系[注釈 4]が動作し、水位は回復した[23]

カナダ

1952年12月12日 チョーク・リバー研究所事故
1947年にカナダオンタリオ州(オタワの北西150km)に建設された出力4.2万KWの実験用原子炉NRXの事故である。操作ミスで制御棒が引き抜かれ、1万キュリーまたは370テラベクレルの放射能を有する放射性物質が外部に漏れた[24]後年、国際原子力事象評価尺度レベル5と判定された。[要出典]その後1993年まで稼働していた[24]

旧ソビエト連邦・ロシア

1957年9月29日 ウラル核惨事
ソビエト連邦ウラル地方に建設された「チェリャビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故。プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故である。原子力における冷却不能が(廃棄物であっても)爆発大事故につながった事故である。当初この事故は極秘とされていたが、西側亡命した科学者であるジョレス・A・メドベージェフが1976年に英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に論文を掲載したことで知られるようになった。国際原子力事象評価尺度でレベル6の大事故であり、現在も放射能汚染は続いている。
1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故
ソビエト連邦下のウクライナ共和国チェルノブイリ原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出されたレベル7の大事故。原因は諸説あるが、発電実験中、出力が急上昇して起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけである。しかし、2005年に発表された世界保健機関 (WHO) 等の複数組織による国際共同調査結果では、この事故による直接的な死者は最終的に9,000人と評価された。2000年4月26日に行われた14周年追悼式典では事故処理に従事した作業員85万人のうち、5万5,000人が死亡したと発表されている。この事故を契機に国際的な原子力情報交換の重要性が認識され、世界原子力発電事業者協会英語版 (WANO) が結成された。
1993年4月6日 トムスク-7での事故
ロシア連邦トムスク州の都市セヴェルスクに旧ソ連時代からあるトムスク-7再処理コンビナートにおいて、硝酸での清掃時にタンクが爆発する事故。爆発によって放射性ガスの雲が放出された。国際原子力事象評価尺度レベル4の事故[25]

イギリス

1957年10月10日 ウィンズケール原子炉火災事故
世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は誰も避難しなかった。数十人がその後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。現在でも危険な状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。水素爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された。

アメリカ合衆国

1959年7月13日 サンタスザーナ野外実験所燃料棒溶融事故
カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外約50kmのシミバレーにあったナトリウム冷却原子炉の燃料棒が溶融した。1500-6500キュリーヨウ素131と1300キュリーのセシウム137が環境中に放出されたとされる。1960年に閉鎖されその後解体された。1979年に学生が偶然資料を発見し公表するまで極秘であり、2011年8月現在エネルギー省のサイトに一切情報がない。
1996年にプルトニウム239コバルト60、2011年にセシウムがそれぞれ規制値の数倍から数百倍検出された。
1961年1月3日 SL-1事故
事故後、撤去されるSL-1の原子炉容器
SL-1 (Stationary Low-Power Reactor Number One) はアメリカアイダホフォールズにあった海軍の軍事用の試験炉である。運転出力は軍事基地のための暖房用の熱エネルギーとして400 kW、電気出力として200 kWの合計600 kWであり、設計出力は3 MWであった。当事者が死亡してしまったため事故の原因ははっきりとは分かっていないが、制御棒を運転員が誤って引き抜き、原子炉の暴走が起きたと考えられている。10センチまでしか引き出してはいけない制御棒が50センチも引き出されていたが、この制御棒は引き出すときにハウジングに引っかかることが事件前の映像からもわかっており、運転員が力まかせに引っ張ったものと考えられている。その結果大量の水蒸気が瞬時に発生し炉内が高圧になって炉が破壊された。この暴走により、13トンの原子炉容器が3メートル近く飛び上がった。事故で放出されたエネルギーは約50 MJに相当し、炉内にあった約100万キュリーの核分裂生成物のうち約1パーセントが放出されたと考えられている。なお原子炉は暴走したものの、その後減速材である軽水が失われたため自然に停止したと考えられている。また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、炉の出力が小さかったためとも考えられる。[要検証][要出典]
1966年10月5日 エンリコ・フェルミ1号炉
エンリコ・フェルミ炉 (Enrico Fermi Nuclear Generating Station) はアメリカのデトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉である。1966年10月5日に炉心溶融を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた[26]
1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故。レベル5の事故であり、不完全な設備保全、人間工学を重視していない制御盤配置、そして中央制御室運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織として米国原子力発電運転協会英語版 (INPO) が結成された[27][28]

フランス

1963年10月フランスのサン=ローラン=デ=ゾー原子力発電所で燃料溶融事故
1999年12月27日、ジロンド川に面するボルドー近くのルブレイエ原子力発電所で、大嵐のため洪水が発生し、外部電源系が全部停止し、1,2号機の全電源喪失が起こった。1,2号機は蒸気発生器により炉心冷却ができ、またESWSも復旧した。幸い4号機が30日未明に復旧しこの事態は収まった[29]。この教訓は知られていたが、JNESの2007年の指摘に対し国内原発での安全策は講じられなかった[30][注釈 5]
2008年7月7日、トリカスタン原子力発電所事故
7日の夜から8日にかけて、フランス・アヴィニョン北部ボレーヌ市に接するトリカスタン原子力発電所において、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中、 タンクからウラン溶液約3万リットルが溢れ出し、職員100人余が被曝し、付近の河川に74 kgのウラニウムが流れ出した。原発は一時閉鎖され、水道水の使用や河川への立ち入りが禁止されるなどした[32][33]

スイス

1969年1月21日
スイスのボー州リュサン(Lucens)の研究用ガス冷却地下原子炉での冷却材喪失事故で、炉心燃料が一部溶融、放射性物質が洞窟内に漏れた[34]

ブラジル

1987年9月、ゴイアニア被曝事故
ブラジルのゴイアニア市で発生した放射能汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源が盗難に遭い、地元のスクラップ業者によって解体された事で内部のセシウム137が露出。放射性物質の危険性を認識できず蛍光物質が暗闇で光るという特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で、貧民街を中心に汚染が広がった。同年の12月までに250人が被曝し、4人が急性放射線障害で死亡した。翌年の3月までに汚染がひどかった家屋7軒が解体され、周辺の土壌交換などが行われた。

主な軍事原子力事故

原子力潜水艦などの事故(原潜事故)について、概説する。なお、旧ソ連やアメリカをはじめ、各国とも原子力の軍事利用に関する事故の情報は軍事機密とされ、事故の詳細は公表されないことが多い。[独自研究?]

原子力潜水艦

旧ソ連・ロシア

級の名前はNATOが命名。本当の名前は当時最高機密事項だったので、旧ソ連海軍であってもNATO名で記載する。深さは沈没した潜水艦のいる場所の深さである[注釈 6]

アメリカ合衆国

  • 1963年4月10日 米パーミット級原潜スレッシャー」、大西洋ニューイングランド沖2,500 mにて沈没した。原子炉緊急停止。1962年6月の衝突事故と海面下の内部波の関与が疑われる。129名が死亡した。後の潜水調査で、残骸からコバルト60が検出されている。

航空機事故

原子力事故を主題としたフィクション作品

※事故が物語上の1エピソードとして扱われる作品も含まれている。

  • プロメテウス・クライシス (The Prometheus Crisis) - トーマス・N.スコーシア英語版フランク・M.ロビンソン英語版による1975年のアメリカの小説。巨大原子力発電所が事故を起こしロサンゼルスを死の灰が襲う[36]
  • チャイナ・シンドローム - 1979年公開のアメリカ映画
  • チェーン・リアクション - 1980年公開のオーストラリア映画
  • ゴルゴ13 第213話「2万5千年の荒野」 - 日本のシリーズ漫画の、1984年に発表された当エピソードでは、南カリフォルニアで操業を開始した原子力発電所にメルトダウンの危機が迫る。ゴルゴ13は貯まった水蒸気を逃がすために原子炉内のパイプを狙撃する[37]
  • みえない雲 - 1987年発表のドイツのヤングアダルト向け小説。2006年には映画化された
  • 一九九九年地球壊滅 - 1988年発表の桐山靖雄による日本の小説。世界4ヵ国にある5ヵ所の原子力発電所が爆破され、世界中に死の灰が広がる[38]
  • 第五惑星アスカ - 1989年発表の日本のライトノベル
  • 『赤冨士』、『鬼哭』- 1990年公開の日本、アメリカ合作映画 黒澤明監督の夢を基にしたオムニバス映画。『赤富士』では原子力事故で富士山が噴火する様子を、続く『鬼哭』では放射能汚染で人が鬼になって生きる世界を描いている。
  • 罵詈雑言(バリゾーゴン)- 1996年発表の渡辺文樹監督による自主映画。福島県のある原子力発電所で起こった重大トラブルにからんで自殺、殺人事件が起こる。事件を知った主人公が村人から話を聞いて回る間に、村への大規模な原子力発電所の誘致の動きが進む[39]
  • ザ・ホワイトハウス シーズン7第12話「Duck and Cover」 - アメリカのテレビドラマシリーズの、2006年1月に放送(日本では2009年に放送。和題は『メルトダウンの危機』)された当エピソードにおいて、カリフォルニアの原子力発電所で事故が発生する。
  • COPPELION - 2008年より連載が続いている日本の漫画
  • 臨界幻想2011 - 1981年から82年にかけて『臨界幻想』の題で上演され、『臨界幻想2011』に改作後2012年から再演されている日本の舞台演劇
  • 希望の国 - 2012年公開の日本映画
  • 朝日のあたる家 - 2013年公開の日本映画

脚注

注釈

  1. ^ 危険性については諸説あるが、ラスムッセン報告(Rasmussen Reports、WASH-1400、NUREG-75/014, "Reactor Safety Study, An Assessment of Accident Risks in U.S. Commercial Nuclear Power Plants."、1975年)では100万kW級の原子炉1基あたり100万年に1回以下としている。[要検証]
  2. ^ 高木仁三郎 (1981)によれば、原子炉出力の2割に達する。
  3. ^ 発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針:原子力安全委員会決定”. 文部科学省 (1990年(平成2年)8月30日). 2015年10月10日閲覧。 “指針27.長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。非常用交流電源設備の信頼度が、系統構成又は運用(常に稼働状態にしておくことなど)により、十分高い場合においては、設計上全交流動力電源喪失を想定しなくてもよい。
  4. ^ 原子炉蒸気を駆動源とする。緊急時炉心冷却装置(ECCS)とは異なる[22]
  5. ^ 2001年02月03日にも南カリフォルニアのオノフレ原子力発電所でも電源系統の火災により電源喪失を経験している[31]
  6. ^ 情報源により異なるので、注意されたい。
  7. ^ 2002年ハリソン・フォード主演・総指揮で『K-19』として映画化された。

注釈 原子力施設の停電

  1. ^

出典

  1. ^ 原子力安全規制 原子炉の故障・トラブル等の評価尺度”. 原子力百科事典 ATOMICA. 一般財団法人高度情報科学技術研究機構. 2011年3月28日閲覧。
  2. ^ 村主進 1997 [要ページ番号]
  3. ^ a b 高木仁三郎 1981, 「第2章 原子力発電 - 原子力発電所の大事故」.
  4. ^ 桜井淳 1992, p. 25,162炉心溶融の概念、冷却剤損失、冷却水由来の水蒸気爆発について。
  5. ^ 桜井淳 1992, pp. 23–25, 40, 149.
  6. ^ 桜井淳 1992, p. 40.
  7. ^ “非常冷却装置、後回しに 東電手順書に疑問点 福島第一”. 朝日新聞. (2012年5月1日). http://www.asahi.com/special/10005/TKY201204300557.html 2012年5月15日閲覧。 
  8. ^ 福島第一原子力発電所被災直後の対応状況について” (PDF). 東京電力 (2011年12月2日). 2013年8月29日閲覧。
  9. ^ 高木仁三郎 1981, 「第2章 原子力発電 - コンピュータの落とし穴」.
  10. ^ 高木仁三郎 1981, 「第2章 原子力発電 - 人間の誤り」.
  11. ^ 高木仁三郎 1981, 「第2章 原子力発電 - サイクルの橋渡し=核物質輸送」.
  12. ^ 石川県内で発生した送電線(能登幹線)の鉄塔倒壊について” (PDF). News Release. 北陸電力 (2005年4月2日). 2015年1月18日閲覧。
  13. ^ http://www.meti.go.jp/press/2011/05/20110516006/20110516006-6.pdf” (PDF). 経済産業省. 2015年1月18日閲覧。
  14. ^ “米国:猛吹雪、4人死亡 5300便超欠航、原発自動停止”. 毎日新聞 東京朝刊. (2013年2月10日). http://mainichi.jp/select/news/20130210ddm041030143000c.html 2013年2月13日閲覧。  [リンク切れ]
  15. ^ 小林英男. “原子力発電所の配管破裂で蒸気噴出 【2004年8月9日、福井県美浜町】” (PDF). 失敗知識データベース-失敗百選. 畑村創造工学研究所. 2011年9月11日閲覧。
  16. ^ “福島第1原発の建屋が爆発=4人負傷、原子炉容器は無事-避難範囲、半径20キロに”. 時事通信. (2011年3月13日). http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031200517 2011年3月13日閲覧。 [リンク切れ]
  17. ^ “福島原発事故、JCOレベル=国際評価の暫定値-保安院”. 時事通信. (2011年3月13日). http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031300014 2011年3月13日閲覧。 [リンク切れ]
  18. ^ “福島原発事故、国際評価尺度(INES) - 保安院”. 日本経済新聞. (2011年3月18日). http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E3EAE2E28A8DE3EAE2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2 2011年3月18日閲覧。 
  19. ^ “福島第一原子力発電所の事故「レベル7」に 原子力安全・保安院”. CNN. (2011年4月12日). http://www.cnn.co.jp/world/30002422.html 2011年4月12日閲覧。 [リンク切れ]
  20. ^ よくわかる原子力 東海村JCO 臨界事故”. 原子力教育を考える会 (2008年10月28日). 2011年3月25日閲覧。
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  22. ^ 福島第一原子力発電所5号機「原子炉隔離時冷却系の機能喪失における保安規定違反」事象に関する根本原因分析の実施および再発防止対策の策定について”. プレスリリース. 東京電力 (2010年11月29日). 2011年5月3日閲覧。
  23. ^ 福島第一原子力発電所2号機における原子炉自動停止に関する調査結果について”. プレスリリース. 東京電力 (2010年7月6日). 2011年5月3日閲覧。
  24. ^ a b Cleveland, Cutler J. (2007年8月3日). “Chalk River, Canada”. The Encyclopedia of Earth. 2010年1月1日閲覧。
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  30. ^ 我が国のシビアアクシデント対策の変遷 原子力規制はどこで間違ったか” (PDF). p. 6. 2015年12月8日閲覧。
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  36. ^ 青木賢一「原子力発電所は爆発するか - プロメテウス・クライシスを読んで」『同盟』第222号、全日本労働総同盟、1977年1月1日、pp. 76-81。 ; 松岡信夫「深刻な「原子力西部劇」 - T. N. スコーシア, F. M. ロビンソン著 井坂清訳「プロメテウス・クライシス」」『潮』第211号、潮出版社、1976年12月1日、pp. 327-329。 ; 「プロメテウス・クライシス-1-原発事故で消えたカリフォルニアの町 (Thomas N. Scortia, Frank M. Robinson著 市 雄高訳)〕(原発に高まる疑義〈特集〉)」『朝日ジャーナル』第18巻第19号、1976年5月14日、pp. 26-31。 ; “四季”. 日本農業新聞 (日本農業新聞社): p. 総合1面12版. (2015年7月9日). "制御不能な科学技術を暗喩する〈プロメテウス・クライシス〉。" 
  37. ^ 藤本匡弘. “2011年04月の記事”. いわき経営コンサルタント事務所. 2016年7月20日閲覧。
  38. ^ 一九九九年地球壊滅”. 阿含宗公式ブログ (2016年5月7日). 2016年7月20日閲覧。
  39. ^ 罵詈雑言 - MOVIE WALKER PRESS、2015年1月21日閲覧。

参考文献

  • 桜井淳『原発事故の科学』日本評論社、1992年。ISBN 978-4-535-58047-3 
  • 高木仁三郎『プルトニウムの恐怖』岩波書店岩波新書 黄版 173〉、1981年。ISBN 978-4-00-420173-1 
  • 中川八洋『脱原発のウソと犯罪』日新報道、2012年2月、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-8174-0737-5 
  • 村主進『原子力発電のはなし』(初版第1刷)日刊工業新聞社、1997年7月15日、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-526-04043-6 

関連資料

関連項目

外部リンク