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著作に、庭園論では『動いている庭』(1991年、日本では山内朋樹訳でISBN 978-4-622-07859-3 C0070 2015年)、『惑星という庭』(1999年)、『第三風景宣言』(2004年)などがあり、小説も『トマと旅人』(1997年)ほか多数。 |
著作に、庭園論では『動いている庭』(1991年、日本では山内朋樹訳でISBN 978-4-622-07859-3 C0070 2015年)、『惑星という庭』(1999年)、『第三風景宣言』(2004年)などがあり、小説も『トマと旅人』(1997年)ほか多数。 |
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== 参考文献 == |
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* Alessandro Rocca 編集『Planetary Gardens: The Landscape Architecture of Gilles Clement』(Birkhauser 1版 2008年 ISBN |
* Alessandro Rocca 編集『Planetary Gardens: The Landscape Architecture of Gilles Clement』(Birkhauser 1版 2008年 ISBN 3764387815 ISBN-13: 978-3764387815) |
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* 『ランドスケープデザイン』LANDSCAPEDESIGN 第104号(2015年8月) |
* 『ランドスケープデザイン』LANDSCAPEDESIGN 第104号(2015年8月) |
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2016年11月15日 (火) 16:36時点における版
ジル・クレモン(Gilles Clement、1943年- )は、フランス人ランドスケープアーキテクト(ペイサジスト)景観デザイナー。作庭家。その他植物学者、昆虫学者、作家の顔をもつ。 アルジャントン=シュール=クルーズ (fr) 生まれ。
沿革
1969年にヴェルサイユの国立高等造園学校(現在のヴェルサイユ国立エコール・デ・ペイサージュ・ENSP)を卒業し、母校で長く教員をつとめている。現在は同校名誉教授。
代表作
近年はリュクサンブールのケ・ブランリ美術館でジャン・ヌーヴェルと協同。美術館周辺の庭設計を担当している。
メル国際現代アート・ビエンナーレ参加要請に応じて、2007年6月に発足し参加した最初のプロジェクトでは、農薬の合成から有機園芸で使用される植物、イラクサが作ることができるプールとイラクサの肥料の免疫力を強化と治療回避のため耐久性のあるように、水の庭で構成。 カリアリのサルデーニャ島ネクロポリスの庭は、首長レナート・ソルの要請に応じたもの。
その他、
- パリ・ラ・デファンスのジャルダン・ドゥ・アルシュ(Jardins de l'Arche a la Defense)、
- ラ・デファンス大都市軸形成のチームに参加(Equipe laureate du concours du grand axe a La Defense,1990年)、
- パリのジャルダン・デ・ラ・グランド(the Jardins de la Grande)、ラ・デファンスのグランダルジュの庭(1994年)
- リールのマティスパーク(エリック・ベルリン、シルヴァン・フレッポと共同、Parc Matisse a Euralille、1990年-1995年)、
- Argoules・Valloires庭園(Jardins de Valloires a Argoules)、
- ブロワのシャトード庭園(Jardin du Chateau de Blois)、
- レイヨル・ド・メーヌデュ・地中海庭園(Jardin du Domaine du Rayol、レイヨル=カナデル=シュル=メール、1989-1994年)
- 種馬飼育場の庵(Haras de l'ermitage、オルヌ、90ha、1975年)、
- バリの風とバラの庭(Jardin de la rose des vents、インドネシア、1984年)、
- 神聖なるavoldの市民墓地の拡張(Extension du cimetiere civil de saint-avold、ロレーヌ、10ha、1990-1994)、
- 受賞を受けたリハビリテーションの庭のためのタイル工事コンサルテーション(Consultation pour la rehabilitation du jardin des tuileries、パリ、23ha、1990年)、
- credit foncierの庭(パリ、1993年)、
- リヨンのド・フォントネー=サン=クラウドの師範養成校(Jardin de l' Ecole normale superieure de Fontenay-Saint-Cloud a Lyon)、
- ロワール=アトランティック農業大学ジュールRieffel庭園(Jardin du lycee agricole Jules Rieffel en Loire-Atlantique)、
- ピカルディのヴァロワール修道院庭園 (Les Jardins de Valloires)、
- 谷の庭(自邸庭園)
などを手がけている。デザインには植物のサクション・経年変化を取り入れる試みを実行している。
国際的に最も名声を得た作品として、1985年に開催されたパリ市主催のアンドレ・シトロエン公園の設計競技で、建築家パトリック・ベルジェと協同し、アラン・プロヴォとジャンポール・ビギェ組とともに設計者に選出される。全体計画は4名協同。この他ジャン=フランソワ・ジョドリーが加わり、おもに公園北東部の集列の庭、白の庭、温室、動きの庭をおもに担当。設計思想としているグローバルガーデン、第三のランドスケープ、動きの庭といった観念の導入をここでこころみている。
1997年には南アフリカ・ソウェトの「ソウェト都市整備計画」を発表。この計画で都市計画の基本となる要素を下水や汚水の排水装置の整備、自然環境を維持ままで自然と都市とのつながりを保全することを目指し、広大な湿地帯の一部分を都市的な地域と居住地とに変更する案である。
人物概要
真っ先には公共公園、またチリからニューカレドニアへの庭園まで手がけることで知られるフランスのデザイナーとして知られるが、さらに、人気の寓話、小説を執筆する作家としての一面をもつ。また生態学者、植物学者や昆虫学者としても知られ、実際カメルーンで1974年に新種の蝶「Bunoeopsis clementii」を発見してもいる。ヴェルサイユの造園学校卒業後、ちょうど講師になった母校にランドスケープデザインの専修課程が発足し、既に自然に対応したアプローチというテーマで生物学的なガーデニングデザインをベースにしていく。思想的に人間で手付かずの自然とのパートナーシップ、ロマンチック崇拝が垣間みられる。
こうして、今はフランス・ランドスケープアーキテクチャー教育の名門ヴェルサイユ国立学校教授である。同校では自然の歴史の他、設計教育を担当する唯一の講師である。ただし他の教授陣とは異なり、彼自身は、現場の庭師という立場を好む傾向があるという。
庭園の設計における賞与などへの拒絶反応についても強く、クレマンは数年来、そういうものは匿名の農民、エンジニアやランドスケープの本当のアーキテクトである林業従事者らに与えられるべきであると主張し、ペーサージュ・景観設計に関するフランスの国家賞を拒否していた。1999年に、受賞したものは彼の同意なしに授与されている。
著作に、庭園論では『動いている庭』(1991年、日本では山内朋樹訳でISBN 978-4-622-07859-3 C0070 2015年)、『惑星という庭』(1999年)、『第三風景宣言』(2004年)などがあり、小説も『トマと旅人』(1997年)ほか多数。
参考文献
- Alessandro Rocca 編集『Planetary Gardens: The Landscape Architecture of Gilles Clement』(Birkhauser 1版 2008年 ISBN 3764387815 ISBN-13: 978-3764387815)
- 『ランドスケープデザイン』LANDSCAPEDESIGN 第104号(2015年8月)