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*[[康治]]2年([[1143年]])に[[湯浅宗重]]によって[[有田郡|在田郡]]の青木山に築城された[[山城]]である。代々[[湯浅氏]]が居城した。
*[[康治]]2年([[1143年]])に[[湯浅宗重]]によって[[有田郡|在田郡]]の青木山に築城された[[山城]]である。代々[[湯浅氏]]が居城した。
*湯浅城は要害として知られ、[[文安]]4年([[1447年]])に[[畠山氏]]がこの城を三度攻めてようやく落としたとされる。
*湯浅城は要害として知られ、[[文安]]4年([[1447年]])に[[畠山氏]]がこの城を三度攻めてようやく落としたとされる。
*城跡には[[土塁]]、[[曲輪]]等が残る。青木山の向かいには城を模した<B>湯浅温泉・湯浅城</B>があり、4階の資料館には湯浅氏に関するものが展示されている。
*城跡には[[土塁]]、[[曲輪]]等が残る。青木山の向かいには城を模した'''湯浅温泉・湯浅城'''があり、4階の資料館には湯浅氏に関するものが展示されている。
*[[2012年]][[4月15日]]、地元のボランティア団体が中心となって、全国の湯浅姓70人の有志を集めてイベントを行い、城跡に湯浅宗重顕彰碑を建てた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news/20120415-OYT8T00729.htm 2012年4月16日読売新聞 掲載]</ref>。
*[[2012年]][[4月15日]]、地元のボランティア団体が中心となって、全国の湯浅姓70人の有志を集めてイベントを行い、城跡に湯浅宗重顕彰碑を建てた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news/20120415-OYT8T00729.htm 2012年4月16日読売新聞 掲載]</ref>。



2016年11月15日 (火) 16:19時点における版

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湯浅城
和歌山県
城郭構造 山城
築城主 湯浅宗重
築城年 1143年
主な改修者 湯浅氏
主な城主 湯浅氏
遺構 土塁、曲輪、空堀
位置 北緯34度02分08秒 東経135度11分38秒 / 北緯34.035624度 東経135.193801度 / 34.035624; 135.193801座標: 北緯34度02分08秒 東経135度11分38秒 / 北緯34.035624度 東経135.193801度 / 34.035624; 135.193801
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湯浅城(ゆあさじょう)は、紀伊国有田郡(現在の和歌山県有田郡湯浅町青木)にあった日本の城である。

概要

  • 康治2年(1143年)に湯浅宗重によって在田郡の青木山に築城された山城である。代々湯浅氏が居城した。
  • 湯浅城は要害として知られ、文安4年(1447年)に畠山氏がこの城を三度攻めてようやく落としたとされる。
  • 城跡には土塁曲輪等が残る。青木山の向かいには城を模した湯浅温泉・湯浅城があり、4階の資料館には湯浅氏に関するものが展示されている。
  • 2012年4月15日、地元のボランティア団体が中心となって、全国の湯浅姓70人の有志を集めてイベントを行い、城跡に湯浅宗重顕彰碑を建てた[1]

脚注

関連項目