コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「相川哲郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
新しいページ: 「'''相川 哲郎'''(あいかわ てつろう、1954年4月17日 - )は日本実業家三菱自動車工業社長。同...」
 
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m cewbot: 修正ウィキ文法 104: Unbalanced quotes in ref name
42行目: 42行目:


== 人物 ==
== 人物 ==
* 父は[[三菱重工業]]の社長・会長を歴任し、三菱グループの重鎮とされる[[相川賢太郎]]<ref name="pre></ref>。
* 父は[[三菱重工業]]の社長・会長を歴任し、三菱グループの重鎮とされる[[相川賢太郎]]<ref name="pre"></ref>。
* 信条は「頼まれたら断れない」<ref name="sankei"></ref>。
* 信条は「頼まれたら断れない」<ref name="sankei"></ref>。



2016年11月15日 (火) 16:05時点における版

相川 哲郎(あいかわ てつろう、1954年4月17日 - )は日本実業家三菱自動車工業社長。同社の燃費データ偽装発覚を受けて、2016年6月に社長を辞任することを発表した[1]

経歴

1954年長崎県生まれ[2]1978年東京大学工学部を卒業後、三菱自動車工業入社[2]。入社後は開発畑に進み、軽自動車eKワゴン」など主力製品の開発に携わった[2]2000年にはリコール隠し問題発覚を受けて軽自動車「i」に開発停止命令が出されたが、極秘に開発を続行し、世界初の量産電気自動車i-MiEV」の発売につなげた[2]

常務執行役員常務取締役を経て、2014年6月社長就任[2]。就任会見では「技術とデザインで三菱ブランドを再構築したい」と述べていた[2]。また、スポーツ用多目的車(SUV)の世界的流行と電気自動車の需要拡大を考慮して[3]2020年まで中小型SUVと電動車を優先的に開発する方針を示した[4]

2016年4月に三菱自動車の燃費偽装問題が発覚。自らが長く在籍した開発部門における不正であることを受け、同年5月18日に辞任を表明した[1][5]。辞任は6月24日付[1]

略歴

人物

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 三菱自の相川哲郎社長が辞任へ 後任は未定”. 朝日新聞(2016年5月18日). 2016年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 三菱自動車・次期社長 相川哲郎 -生え抜きエースの「技術屋魂」”. プレジデント(2014年4月14日). 2016年6月22日閲覧。
  3. ^ a b 【登板】三菱自・新社長の相川哲郎氏(59) 信条は「頼まれたら断らない」”. 産経新聞(2014年2月7日). 2016年6月22日閲覧。
  4. ^ 三菱 ランサー 次期車開発取りやめ…相川哲郎社長”. イード(2016年2月3日). 2016年6月22日閲覧。
  5. ^ 三菱自動車、相川哲郎社長が辞任”. インプレス(2016年5月18日). 2016年6月22日閲覧。