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2016年11月15日 (火) 16:05時点における版
相川 哲郎(あいかわ てつろう、1954年4月17日 - )は日本の実業家。三菱自動車工業社長。同社の燃費データ偽装発覚を受けて、2016年6月に社長を辞任することを発表した[1]。
経歴
1954年、長崎県生まれ[2] 。1978年に東京大学工学部を卒業後、三菱自動車工業入社[2]。入社後は開発畑に進み、軽自動車「eKワゴン」など主力製品の開発に携わった[2]。2000年にはリコール隠し問題発覚を受けて軽自動車「i」に開発停止命令が出されたが、極秘に開発を続行し、世界初の量産電気自動車「i-MiEV」の発売につなげた[2]。
常務執行役員、常務取締役を経て、2014年6月に社長就任[2]。就任会見では「技術とデザインで三菱ブランドを再構築したい」と述べていた[2]。また、スポーツ用多目的車(SUV)の世界的流行と電気自動車の需要拡大を考慮して[3]、2020年まで中小型SUVと電動車を優先的に開発する方針を示した[4]。
2016年4月に三菱自動車の燃費偽装問題が発覚。自らが長く在籍した開発部門における不正であることを受け、同年5月18日に辞任を表明した[1][5]。辞任は6月24日付[1]。
略歴
- 1978年3月 - 東京大学工学部卒業
- 1978年4月 - 三菱自動車工業入社
- 2005年6月 - 常務取締役 商品開発統括部門担当
- 2008年4月 - 常務取締役 商品戦略・開発統括部門担当
- 2009年4月 - 常務取締役 国内営業統括部門担当
- 2010年4月 - 常務取締役 国内営業統括部門長
- 2011年4月 - 常務取締役 生産統括部門長 兼 生産管理本部長
- 2011年7月 - 常務取締役 生産統括部門長
- 2014年6月 - 取締役社長 兼 COO
- 2016年6月 - 取締役社長 兼 COO 退任
人物
関連項目
脚注
- ^ a b c “三菱自の相川哲郎社長が辞任へ 後任は未定”. 朝日新聞(2016年5月18日). 2016年6月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g “三菱自動車・次期社長 相川哲郎 -生え抜きエースの「技術屋魂」”. プレジデント(2014年4月14日). 2016年6月22日閲覧。
- ^ a b “【登板】三菱自・新社長の相川哲郎氏(59) 信条は「頼まれたら断らない」”. 産経新聞(2014年2月7日). 2016年6月22日閲覧。
- ^ “三菱 ランサー 次期車開発取りやめ…相川哲郎社長”. イード(2016年2月3日). 2016年6月22日閲覧。
- ^ “三菱自動車、相川哲郎社長が辞任”. インプレス(2016年5月18日). 2016年6月22日閲覧。