「筆記」の版間の差分
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視野を広げて歴史を振り返れば、[[粘土板]]と棒(メソポタミア)、[[パピルス]]と[[葦]]ペンと[[インク]](古代エジプト)、[[竹簡]]と筆と[[墨]]と[[硯]](古代中国)、[[和紙]]と筆・墨・硯(日本)、[[羊皮紙]]と[[羽ペン]]([[中世]]ヨーロッパ。[[写本]]など)、[[紙]]と[[万年筆]](20世紀、各地)、[[ノートブック|ノート]]と[[鉛筆]]や[[ペン]]類(現代、各地) 等々等々、様々な筆記用具を用いてきた歴史がある。 |
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筆記用具の概念を革命的に変えたのは[[ワードプロセッサ]]の出現である。アメリカで生まれた時は文章を編集・構成する「意識の拡張」の道具にすぎなかったが、日本では工業化に向かないとされた[[かな混じり文|漢字かな混じり文]] の劣勢を一挙に改革してキーボードとともに筆記用具としての地位を確立した。作家の[[坂口安吾]]は「文字と速力と文学」( |
筆記用具の概念を革命的に変えたのは[[ワードプロセッサ]]の出現である。アメリカで生まれた時は文章を編集・構成する「意識の拡張」の道具にすぎなかったが、日本では工業化に向かないとされた[[かな混じり文|漢字かな混じり文]] の劣勢を一挙に改革してキーボードとともに筆記用具としての地位を確立した。作家の[[坂口安吾]]は「文字と速力と文学」([http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45853_32939.html][[1940年]])の中で「私の想念は電光の如く流れ走つてゐるのに、私の書く文字はたど/\しく遅い」と書いていたが、そうした速力も想念に追いつけるようになったのである。デジタル化で完全なコピーも可能になった。ネットとつながることで、目の前の紙などから瞬時に、送信することもできるようになった。 |
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<!--「{{要出典|言葉を意図的に選択し、特定の構文を用いて、何かを書き記すことである。|date=2014年4月}}」--> |
<!--「{{要出典|言葉を意図的に選択し、特定の構文を用いて、何かを書き記すことである。|date=2014年4月}}」--> |
2016年11月15日 (火) 15:46時点における版
筆記(ひっき、英語:writing)とは、書き記すこと[1]。あるいは筆で書くこと[1]。また、それによって書かれたもの[1]。
概説
筆記とは、書き記すことである[1]。特に、文字類を書くことを指すのが一般的である。[注 1] 日本では古くは書くための道具としてもっぱら《筆》を用いていたといういきさつがあるので「筆記」と言うわけである。
様々な筆記があるわけであるが、 誰かが話すことを聞いて筆記することは、特に「口述筆記(こうじゅつひっき)」と言う。
西欧語圏では、手で書かれたもの、手で書くことをmanuscript、manuscritなどと言う。日本語では文脈に応じて「マニュスクリプト(英語)」「マニュスクリ(フランス語)」「写本」「原稿」などと訳し分けている。
筆記試験とは、試験を受ける者に何かを書かせることで、その者の程度を判断するための試験である。基本的に「実技試験」や「面接試験」という用語・概念と対比的に用いられている。
特に手ですばやく書くための形をしたアルファベットを英語では「cursive」「joint writing」などと言っているが、日本語ではそれを「筆記体」と呼んでいる。
- 筆記用具
筆記するための用具を筆記用具と言う。
視野を広げて歴史を振り返れば、粘土板と棒(メソポタミア)、パピルスと葦ペンとインク(古代エジプト)、竹簡と筆と墨と硯(古代中国)、和紙と筆・墨・硯(日本)、羊皮紙と羽ペン(中世ヨーロッパ。写本など)、紙と万年筆(20世紀、各地)、ノートと鉛筆やペン類(現代、各地) 等々等々、様々な筆記用具を用いてきた歴史がある。
筆記用具の概念を革命的に変えたのはワードプロセッサの出現である。アメリカで生まれた時は文章を編集・構成する「意識の拡張」の道具にすぎなかったが、日本では工業化に向かないとされた漢字かな混じり文 の劣勢を一挙に改革してキーボードとともに筆記用具としての地位を確立した。作家の坂口安吾は「文字と速力と文学」([1]1940年)の中で「私の想念は電光の如く流れ走つてゐるのに、私の書く文字はたど/\しく遅い」と書いていたが、そうした速力も想念に追いつけるようになったのである。デジタル化で完全なコピーも可能になった。ネットとつながることで、目の前の紙などから瞬時に、送信することもできるようになった。
脚注
- 注
- 出典
関連項目
- 職業
- 書記(古代エジプトでは、書くということは立派な専門職で身分もかなり高かった。)
- 書道