「エグゼクティブ・アウトカムズ」の版間の差分
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== 参考出典 == |
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* P・W・シンガー著 『戦争請負会社』 Corporate Warriors: The Rise of the Privatized Military Industry |
* P・W・シンガー著 『戦争請負会社』 Corporate Warriors: The Rise of the Privatized Military Industry ISBN 978-0801489150 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2016年11月15日 (火) 14:01時点における版
種類 | 民間軍事会社 |
---|---|
設立 | 1989年 |
事業内容 |
軍事コンサルティング リスクマネジメント 軍事訓練 戦闘行為 |
代表者 | イーベン・バーロウ |
従業員数 |
3500人程度 (戦闘要員3000人、軍事顧問500人) |
支店舗数 | 1(ロンドン) |
主要子会社 |
アイビス・エア アドバンス・コミュニケーション サラセン・インターナショナル アルファ5 ライフガード |
関係する人物 |
ティム・スパイサー サイモン・マン |
エグゼクティブ・アウトカムズ(英語:Executive Outcomes、略称:EO)とは、かつて南アフリカ共和国に存在した民間軍事会社(PMC:Private Military Company)。世界初の現代型民間軍事会社の元祖とされ、後のブラックウォーターUSAなどのPMCの基礎ともなった会社である。
20年続いたアンゴラ内戦を1年で終結させるなど目覚しい戦果を挙げたが、強力な軍備を持った会社に危機感を抱いた南アフリカ共和国政府により1998年に解体された。
以下本項では、エグゼクティブ・アウトカムズ社をEO社、民間軍事会社をPMCと呼称する。
概要
旧南アフリカ国防軍(South African Defence Force:略称SADF、以下旧国防軍[1])第32大隊の元副司令官中佐であったイーベン・バーロウによって1989年に設立された会社である。
設立当時はフレデリック・ウィレム・デクラーク政権によってアンゴラ、モザンビーク、南西アフリカ(ナミビア)との国境紛争が終結した上、アパルトヘイトの廃止及び軍縮を行う事が宣言されており、後に大統領となるアフリカ民族会議のネルソン・マンデラにより、32大隊をはじめとした特殊部隊や諜報機関である市民協力局(Civil Cooperation Bureau)の解散を要求、結果南西アフリカ警察対不正規戦部隊がナミビア交渉の駒として解体され、第32大隊についても1993年3月26日の解体まで徐々に規模を縮小していた。
そこに目をつけたEO社は旧南アフリカ国防軍、南西アフリカ警察対不正規戦部隊に所属していた兵士を採用、特に副司令官を務めていた第32大隊などの精鋭部隊に所属していた兵士を多く雇用する事で優秀な人材を確保することに成功した。彼らの多くはアンゴラ内戦などで家族や財産を失い、逃げ延びた南アフリカの旧国防軍に配属された後に職を失った黒人兵士だった。
軍事顧問や指揮官には彼らを指揮していた白人将校や下士官が主に雇用されていた。また南アフリカ人以外では、ウクライナ人のヘリコプターパイロットや整備士が採用された。
また、1994年にゲリラ集団から政党となったアフリカ民族会議の戦闘集団であった民族の槍(ウムコントゥ・ウェ・シズウェ)に所属していた者も採用している。
エグゼクティブ・アウトカムズは20以上の民間軍事会社を保有する南アフリカの鉱山開発会社SRC社の子会社となり、共同経営者のトニー・バッキンガムが経営する石油会社ヘリテージ・オイルや鉱山開発会社ブランチ・ヘリテージ・グループとも緊密な関係を持つ。
EOの成功と拡大
アンゴラ内戦
最初にEO社が参入したのは、アンゴラ内戦である。内戦が一段落した1992年に第二次国際連合アンゴラ検証団監視の下選挙が敢行され、アンゴラ解放人民運動(以下MPLA)が勝利したが、これに対しかつての対立相手であったアンゴラ全面独立民族同盟(以下UNITA)が反発し再び紛争が勃発するも、1991年のソビエト連邦崩壊と1994年の南アフリカのネルソン・マンデラ政権樹立などにより、多くの国が支援を停止する事態に至り、政府側MPLAは北部の油田、UNITAは南部のダイヤモンド鉱山を資金源とする、資源戦争に変化する。そこで、EO社は内戦中の1993年に政府側MPLAと契約を結び、アンゴラ正規軍の訓練及びUNITAに対する掃討作戦を実行、結果UNITA側に壊滅的被害を与えることに成功し、1974年以来20年続いた内戦を1年で終結させる事に成功する。
ところがこの内戦はある意味で米ソの代理戦争の様相を呈していた。そしてEO社の雇い主であるMPLAはソビエト連邦及びキューバと言った共産圏の支援を受けていた。その為、UNITAを支援していたアメリカ合衆国をはじめとする国連の圧力により、政府側はEO社との契約を打ち切る事となり、代わって国際連合が国際連合平和維持活動(第三次国際連合アンゴラ検証団)を行うことになった。ところがUNITA側との講和及び武装解除に失敗、平和維持部隊は任務に失敗し、結果アンゴラは2002年のUNITA指導者暗殺を契機とした2003年の終結まで尾を引くこととなった。
シエラレオネ内戦
次に投入されたのはシエラレオネのシエラレオネ内戦である。この当時虐殺や略奪を重ねながら広範な領域を支配し、東部州などを支配下に収めた革命統一戦線(以下RUF)の攻勢で、先に展開したPMCであるグルカ・セキュリティー・サービス社はロバート・C・マッケンジーを殺害され、遺体の一部を食われる等大きな被害を出し撤退してしまい、首都フリータウンも陥落寸前の状態であった。
1995年にRUF支配下の鉱山の採掘権入手を目論むブランチ・ヘリテージの支援を受けてシエラレオネ政府と契約したEO社は300人の部隊を投入し、RUFが占拠していたダイヤモンド鉱山の奪還に成功、平和交渉の席につかせることに成功した。その後シエラレオネは選挙を経て1996年3月にアフマド・テジャン・カバーによる文民政権に移行したが、国際世論の反発を受けてEO社との契約は打ち切られた。1997年1月にシエラレオネを退去する際にEO社はカバーに100日以内にクーデターが起きることを警告していたが、5月にRUFと連携した軍事革命評議会がクーデターを起こしたことにより、その警告は現実のものとなる。事後の処理はEO社と近しいサンドライン・インターナショナルに任されることになったが、その後も息を吹き返したRUFによる殺戮が続く事態となった。
その他
この2つの内戦の他にも、モザンビーク内戦やコントラ戦争、カンボジア内戦、さらにイラクやコンゴ民主共和国、パプア・ニューギニアにおける内戦にも関与していたとされている。
影響
一時的ではあるが、少人数精鋭で内戦の戦局を変える民間軍事会社の登場は、世界に少なからず衝撃を与えた。後にシェブロンを初めとする多国籍企業など大口顧客を獲得する事となり、1997年に元Navy SEALs隊員であったエリック・プリンスが設立したブラックウォーターUSAを初めとした民間軍事会社の隆盛の元ともなった。
突然の解散、社員達のその後
この名声に眼をつけ、EO社の名を騙って業務受注を目論む企業が次々に現れ、EO社は四面楚歌の状態におかれた。結果、EO社は外国軍事援助規制法における非合法企業として認定され、1998年末に解散した。
イーベン・バーロウはその後軍事コンサルタントとしてアフリカ各国で活動し、大学や軍学校において安全問題の講師を務める他、ブログや雑誌での執筆活動もしている。2009年には民間軍事会社「STTEPインターナショナル」社(2006年設立)の社長に就任している。
2004年にEO社と関係の深い傭兵のサイモン・マンとニック・ドゥトワが、イギリスの経済人の要請で赤道ギニアのクーデターを計画するが事前に発覚し、逮捕される。この事件はマーガレット・サッチャーの息子であるマーク・サッチャーが関わっていた。
EO社元社員のラフラス・ルーティンとビル・ペルザーが経営しているEO社の姉妹企業「サラセン・インターナショナル」社は、現在はレバノンやウガンダで活動している。2010年にはソマリアにて活動を行い、プントランド軍の海兵隊創設、軍事訓練や海賊対策の警備を担当していたが、2011年に契約を解除された。
EO社と関係が深かったサンドライン・インターナショナル社のティム・スパイサーは新会社「イージス・ディフェンス・サービシーズ」を立ち上げ、同時多発テロ以降のイラク戦争にてアメリカ政府から2億9,300万ドルという巨額の契約を手にしたが、社員による民間人への発砲など不祥事を起こしている。
EO社の共同経営者であったトニー・バッキンガムは、エグゼクティブ・アウトカムズにおけるノウハウを生かしてブランチ・ヘリテージ・グループの他に1992年にヘリテージ・オイル社を創立していたが、2008年にヘリテージ・オイルがウガンダやイラクなどの石油開発事業でロンドン証券市場に上場を果たすなどの成功を収めた。
武装
武装については、特に生産過剰により安価となっていた東側諸国の兵器を採用していた。小火器はAK-47やマカロフ PMやPKMやRPG-7などである。航空機や、戦闘車軸についても、BMP-2やBTR-60、MiG-23、MiG-27、Su-25やMi-24ハインドと言ったソ連製兵器を使用していた。[2]
西側諸国の装備として採用されていたのは、負傷者輸送用のボーイング707やイギリス製のジープなどごく少数であった。なお、EO社が使用する航空機は提携していた「アイビス・エア」社が保有していた。
一見敵対していたゲリラ達とさほど変わらない武装だったが、クラスター爆弾、ナパーム弾、燃料気化爆弾などといった高性能爆弾が充実していたり[3]、赤外線式の暗視装置を採用していたり、既存の武器であってもEO社社員達が練度の高く、型破りな戦法で使っていたことが上記の戦果に繋がった。
後のPMCは「傭兵」として扱われないために、民間人風の服装に銃器や防弾装備などを身につける「PMC装備」に身を包むのが基本だが、EO社のオペレーターは正規軍の兵士達と同様迷彩服に身を包んで戦闘に当たっているなど、一般的なイメージの「傭兵」に近い存在だった。しかしEO社はポルトガルなど関連国の迷彩服をコピーしていた南アフリカ軍第32大隊の物を使用しているため、オペレーターごとに一人一人違うデザインの迷彩服を身につけており、更に白人オペレーターも顔を黒く塗り黒人に扮装していたため、紛争初期にはどこの部隊であるか判別は困難だったという。タクティカルベストも、第32大隊や国防軍特殊部隊旅団のものを主に使用していた。
脚注
- ^ アパルトヘイト政策終了後の1994年、南アフリカ国防軍は組織呼称をSouth African National Defence Force(略称SANDF)に改称した。
- ^ EO社の使用した車輌や航空機の多くは契約を結んだ国の所有物だった。
- ^ これらの爆弾も車輌や航空機と同様、契約を結んだ国が所有していたものを使った。
参考出典
- P・W・シンガー著 『戦争請負会社』 Corporate Warriors: The Rise of the Privatized Military Industry ISBN 978-0801489150
関連項目
- 民間軍事会社
- 南アフリカ
- アンゴラ内戦
- シエラレオネ内戦
- ブラックウォーターUSA(現:Academi)