「干潟龍祥」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Normdaten moved to Wikidata |
m cewbot: 修正ウィキ文法 38: HTMLの<i>タグの使用 |
||
7行目: | 7行目: | ||
*『本生経類の思想史的研究』東洋文庫論叢 1954 山喜房仏書林 1978 |
*『本生経類の思想史的研究』東洋文庫論叢 1954 山喜房仏書林 1978 |
||
*『[[ジャータカ]]概観』鈴木学術財団 パドマ叢書 1961 春秋社、1981 |
*『[[ジャータカ]]概観』鈴木学術財団 パドマ叢書 1961 春秋社、1981 |
||
* |
*''Studies in Buddhism and Buddhist Culture.'' 成田山新勝寺 1985 |
||
===翻訳=== |
===翻訳=== |
2016年11月15日 (火) 13:18時点における版
干潟 龍祥(ひかた りゅうしょう、1892年2月7日 - 1991年10月13日[1])は、日本のインド哲学者。
福井県小浜市生まれ。1917年東京帝国大学文学部哲学科卒。1937年東大講師、1940年九州帝国大学教授、50年九州大学教育学部長。1950年「本生経類の思想史的研究」で東北大学文学博士。55年九大を定年退官、名誉教授、福岡女子大学教授、60年学長、64年退任。1965年紫綬褒章、66年勲二等瑞宝章受勲。69年日本学士院会員。90年仏教伝道文化賞功労賞受賞。[2]
著書
- 『中観思想と日本文化』教学局 教学叢書 1938
- 『本生経類の思想史的研究』東洋文庫論叢 1954 山喜房仏書林 1978
- 『ジャータカ概観』鈴木学術財団 パドマ叢書 1961 春秋社、1981
- Studies in Buddhism and Buddhist Culture. 成田山新勝寺 1985
翻訳
- 『國譯一切経 印度撰述部 論集部 2』水野弘元,泉芳璟,池田澄達,遠藤二平,中野義照共訳 大東出版社 1920
- 『ウパニシャット全書 第2巻 ケーナ・ウパニシヤツト,イーシヤー・ウパニシヤツト』世界文庫刊行会編 1923 東方出版 1980
- 『ウパニシャット全書 第4巻 ムンダカ・ウパニシヤツト 世界文庫刊行会編 1925 東方出版 1980
- 『ウパニシャット全書 第6巻 シユリー・ジヤーバーラ・ダルシヤナ・ウパニシヤツト」世界文庫刊行会編 1923 東方出版 1980
- 『ジャータカ・マーラー 本生談の花鬘』高原信一共訳著 講談社 インド古典叢書 1990
記念論文集
- 『干潟博士古稀記念論文集』干潟博士古稀記念会 1964