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2016年11月13日 (日) 03:47時点における版
鈴木 克昌 すずき かつまさ | |
---|---|
生年月日 | 1943年11月14日(80歳) |
出生地 | 愛知県蒲郡市 |
出身校 | 日本大学経済学部卒業 |
前職 | 蒲郡青年会議所理事長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (民主党→) (国民の生活が第一→) (日本未来の党→) (生活の党→) (民主党→) 民進党 |
称号 | 経済学士(日本大学・1967年) |
公式サイト | 衆議院議員鈴木克昌オフィシャルサイト |
選挙区 |
(愛知14区→) 比例東海ブロック |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 2003年11月10日 - 現職 |
第11-12代 蒲郡市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1994年2月22日 - 1999年10月14日 |
愛知県議会議員 | |
選挙区 | 蒲郡市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1982年12月 - 1994年 |
鈴木 克昌(すずき かつまさ、1943年11月14日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(5期)。
社団法人蒲郡青年会議所理事長、愛知県議会議員(4期)、蒲郡市長(第11・12代)、総務副大臣、民主党幹事長代理、国民の生活が第一国会対策委員長、生活の党代表代行・幹事長などを歴任した。
来歴
生い立ち
蒲郡青年会議所理事長等を歴任した[1]。
地方政界に参画
1982年に愛知県議会議員に初当選し、県議を4期務めた。県議時代は自由民主党に所属。県議を退いた後、蒲郡市長を2期務める(1994年2月22日から1999年10月14日まで)。
2000年6月、第42回衆議院議員総選挙に愛知14区から無所属で出馬したが、自民党の浅野勝人に敗れ落選。
国政にて
民主党
2003年11月、第43回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。前回敗れた浅野を下して初当選した。
2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。自民党の杉田元司の猛追を受けるが、再選(杉田も比例復活)。
2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。杉田に比例復活すら許さず3選。
2010年9月、菅第1次改造内閣で総務副大臣に任命され、2011年1月発足の菅第2次改造内閣でも再任された。
同年6月1日、衆議院に提出された内閣不信任決議案への対応をめぐり、辞表を提出して賛成票を投じる意向を表明した(内閣府副大臣の東祥三・国土交通副大臣の三井辨雄・環境大臣政務官の樋高剛・総務大臣政務官の内山晃も同調)[2][3]。この事態を受け、菅は東日本大震災への対応に目処がついた時点で退陣する考えを表明した[4]。菅の退陣表明を受け、鈴木らは翌2日の内閣不信任決議案には反対票を投じ[5]、一旦提出した辞表を撤回した。ただし、採決に先立って行われた菅と鳩山由紀夫による菅が前提付きの退陣を表明した会談の内容に疑問を持った小沢一郎の意を受けて、退陣期日と小沢の処遇を文書で回答するよう要求する質問状を菅に手渡した[6]。
2011年9月、野田内閣の発足に伴い総務副大臣を退任し、民主党筆頭副幹事長に転じる。同年12月、小沢が会長を務める新しい政策研究会の事務局長に就任[7]。
2012年1月、民主党幹事長代理に昇格した。同年4月2日、首相の野田佳彦が推進する消費税増税法案の閣議決定に反対し、党幹事長代理を辞任する意向を表明。幹事長の輿石東に辞表を提出したが慰留され、23日に受理されるまで幹事長代理の職に留まった[8]。同年7月の消費税増税法案を含む社会保障・税一体改革関連法案の採決では反対票を投じ、7月2日に民主党に離党届を提出したが[9]、離党届は受理されず、除籍処分が決定した[10]。
国民の生活が第一・日本未来の党・生活の党
2012年7月11日、国民の生活が第一の結党に参加し、党国会対策委員長に就任した[11]。
同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では国民の生活が第一から衣替えした日本未来の党から出馬。愛知14区では自民党の今枝宗一郎に敗れるも、比例東海ブロックで復活し4選。選挙後に未来の党が分裂し生活の党が結成されると、党幹事長に就任した。
2013年7月の第23回参議院議員通常選挙後の党役員人事では、党代表代行と幹事長を兼ねることになった[12]。
民主党復党・民進党へ
2014年11月、小宮山泰子と共に生活の党を離党し、民主党に復党した上で同年12月の第47回衆議院議員総選挙では民主党公認で出馬することを表明した[13]。選挙結果は、小選挙区では敗れたが比例で当選し、5期目を果たした。生活の党を離党した後も小沢との関係は続き、2015年1月1日に小沢の私邸で開催された新年会にも出席している[14]。
2016年3月、民主党と維新の党が合併し結成された民進党へ参加。
政策・主張
- 議員立法
- 衆議院においては議員立法に携わることも多い。第186回国会にて成立した法案のうち、議員立法によるものは4件のみであったが、そのうち半数にあたる2件で発議者として名を連ねている[15]。
- 北朝鮮による日本人拉致問題
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟に所属しており[16]、北朝鮮による日本人拉致問題について「拉致は犯罪なんです。犯罪を糾す、犯罪を元に戻すことは、人間として、地球人として当たり前」[17]と主張するなど、被害者の早期救出を求めている。また、北朝鮮に対する経済制裁の解除が取り沙汰された際には、「もう我慢できない。今年こそ結果を! 国民大集会」にて挨拶に立ち「リストはあるけれども経済制裁を解除しろとは何事ですか。とんでもない。全く話が逆」[17]と発言した。
- 戦没者の追悼
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会に所属している。2013年4月23日、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会の一員として、生活の党国会議員の中で唯一靖国神社に参拝した[18]。
- 報徳思想
- 江戸時代の農政家、篤農家である二宮尊徳(二宮金次郎)らが提唱した報徳思想を敬愛しており「報徳の精神こそが教育にも反映されるべきであり、今一度尊徳思想を見直していこう」[19]と呼びかけている。衆議院議員当選後、福田昭夫らとともに国会議員による「二宮尊徳思想研究会」を結成した[20]。
- 選択的夫婦別姓
- 選択的夫婦別姓制度導入について、「どちらとも言えない」としている[21]。
人物
略歴
- 1943年 - 愛知県蒲郡市にて誕生。
- 1963年 - 愛知県立蒲郡高等学校卒業。
- 1967年 - 日本大学経済学部卒業。
- 1982年 - 愛知県議会議員補欠選挙当選(1期目)。
- 1983年 - 愛知県議会議員選挙当選(2期目)。
- 1987年 - 愛知県議会議員選挙当選(3期目)。
- 1991年 - 愛知県議会議員選挙当選(4期目)。
- 1994年 - 蒲郡市長選挙当選(1期目)。
- 1998年 - 蒲郡市長選挙当選(2期目)。
- 2000年 - 第42回衆議院議員総選挙落選。
- 2003年 - 第43回衆議院議員総選挙当選(1期目)。
- 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙当選(2期目)。
- 2009年 - 第45回衆議院議員総選挙当選(3期目)。
- 2010年 - 総務副大臣(菅第1次改造内閣〜菅第2次改造内閣)。
- 2011年 - 民主党筆頭副幹事長。
- 2011年 - 新しい政策研究会事務局長。
- 2012年 - 民主党幹事長代理。
- 2012年 - 国民の生活が第一国会対策委員会委員長。
- 2012年 - 第46回衆議院議員総選挙当選(4期目)。
- 2012年 - 生活の党幹事長。
- 2013年 - 生活の党代表代行。
- 2014年 - 第47回衆議院議員総選挙当選(5期目)。
所属団体・議員連盟
- 新しい政策研究会(事務局長)
- 慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 国際観光産業振興議員連盟(副会長)
- パチンコチェーンストア協会(政治分野アドバイザー[22])
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 民主党娯楽産業健全育成研究会(常任幹事)
- 民主党新時代娯楽産業健全育成プロジェクトチーム(事務局次長)
脚注
- ^ a b 「国会議員情報」『時事ドットコム:国会議員 鈴木 克昌(すずき かつまさ)』時事通信社。
- ^ “副大臣ら5人が辞表提出 不信任案に賛成へ”. 日テレNEWS24. (2011年6月1日) 2012年4月26日閲覧。
- ^ “東副大臣ら5氏が辞表提出=内閣不信任案に賛成へ、離党はせず”. (2011年6月1日) 2012年4月26日閲覧。
- ^ “菅首相、辞任の意向――『震災に一定のめどの段階で』”. (2011年6月2日)
- ^ 影山哲也 (2011年6月2日). “内閣不信任案:辞表提出の副大臣・政務官5人の慰留検討”. 毎日新聞
- ^ “民主分裂の火種残る=「退陣」「処分」で混乱”. 時事通信社. (2011年6月3日) 2011年6月3日閲覧。
- ^ “小沢氏が新勉強会立ち上げ、106人参加 賛同者、所属議員の3分の1超える”. 産経新聞. (2011年12月21日) 2011年12月21日閲覧。
- ^ “民主党:「小沢系」の辞表受理”. 毎日新聞. (2012年4月24日) 2012年4月25日閲覧。
- ^ 【小沢氏ら50人離党届】週内にも新党結成 首相、除名処分へ - 47news 2012年7月2日
- ^ 鳩山元首相、党員資格停止3カ月に短縮 小沢元代表ら37人除籍処分は原案通り 民主党臨時常任幹事会 - 産経ニュース 2012年7月9日
- ^ 新党名「国民の生活が第一」=小沢代表、増税阻止へ行動-衆参49人で旗揚げ - 時事ドットコム 2012年7月11日
- ^ 生活の党が新体制 谷亮子副代表に”. MSN産経ニュース (2013年8月2日). 2013年8月3日閲覧。 “
- ^ 生活の党:鈴木克昌氏と小宮山泰子氏 離党し民主に復党へ 毎日新聞 2014年11月21日
- ^ “野党結集で政権対抗を 生活・小沢氏が新年会で”. 産経新聞. (2015年1月21日) 2015年1月3日閲覧。
- ^ 高橋亮平「『立法府』でしっかりと法案を作っている政党をランキングしてみると…」『「立法府」でしっかりと法案を作っている政党をランキングしてみると・・・ : 高橋亮平 中央大学特任准教授 元最年少市川市議会議員 元最年少自治体部長職 世の中を変えるブログ!』2014年10月27日。
- ^ 塚田一郎「参加国会議員紹介」『救う会:★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2014.09.19)もう我慢できない!今年こそ結果を!国民大集会全報告3』北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会、2014年9月19日。
- ^ a b 鈴木克昌「政治にも責任がある」『救う会:★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2014.09.19)もう我慢できない!今年こそ結果を!国民大集会全報告3』北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会、2014年9月19日。
- ^ “国会議員168人が靖国参拝 87年以降で最多”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年4月23日) 2013年6月16日閲覧。
- ^ 「報徳訓」『報徳訓 | かつまさ日記』2008年7月20日。
- ^ 「二宮尊徳思想研究会――議員連盟の会長として、政策提言も積極的に行う」『報徳思想のお部屋 - 福田あきお オフィシャルウェブサイト』福田あきお日光事務所。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ 理事・会員リスト・会員ホームページ パチンコチェーンストア協会
関連項目
外部リンク
- 衆議院議員鈴木克昌オフィシャルサイト - 公式サイト
- かつまさ日記 - 公式ブログ
公職 | ||
---|---|---|
先代 渡辺周・内藤正光 |
総務副大臣 2011年 平岡秀夫と共同 |
次代 黄川田徹・松崎公昭 |
先代 大場進 |
蒲郡市長 1994年 - 1999年 |
次代 金原久雄 |
党職 | ||
先代 初代:森裕子 |
生活の党代表代行 2013年 - 2014年 |
次代 第3代:森裕子 |
先代 結成 |
生活の党幹事長 2013年 - 2014年 |
次代 (空席) |
先代 結成 |
生活の党国会対策委員長 初代 : 2013年 |
次代 小宮山泰子 |
先代 結成 |
国民の生活が第一国会対策委員長 2012年 |
次代 日本未来の党へ合流 |