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2016年11月12日 (土) 03:58時点における版

リッキー・ネルソン
リッキー・ネルソン
(オクラホマのコンサート会場にて)
基本情報
出生名 エリック・ヒリアード・ネルソン
別名 リック・ネルソン
生誕 1940年5月8日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州ティーネック
死没 (1985-12-31) 1985年12月31日(45歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州デ・カルブ
ジャンル ロックンロール
ポップ・ミュージック
ロカビリー
カントリー・ミュージック
フォーク・ミュージック
職業 歌手
俳優
活動期間 1952年 - 1985年
レーベル インペリアル・レコード
デッカ・レコード
エピック・レコード
キャピトル・レコード
公式サイト 公式サイト (英語)

リッキー・ネルソンRicky Nelson, 1940年5月8日 - 1985年12月31日)は、アメリカのミュージシャン、俳優リック・ネルソン(Rick Nelson)とも呼ばれる。本名はエリック・ヒリアード・ネルソン(Eric Hilliard Nelson)。

来歴

ニュージャージー州ティーネックで、バンドリーダーのオジー・ネルソン英語版女優ハリエット・ネルソン英語版の次男として生まれる。兄のデヴィッド・ネルソンは、後に俳優および映画監督となる。

まだ10歳にも満たなかった1949年より、ネルソンは両親および兄とともにラジオ番組「The Adventures of Ozzie and Harriet」に出演し、同番組は1952年から1966年までテレビで放映された[1]。また、個人としてはオムニバス映画『三つの恋の物語』(1953年公開)に出演している[2]

さらに、ネルソンはロックンロール歌手としても活動。1957年4月に初のシングルを発表すると、収録されていた2曲(「ア・ティーンエイジ・ロマンス」と、ファッツ・ドミノのカヴァー「アイム・ウォーキン」)が両方とも全米トップ5入りを果たした[3]。1958年には「プア・リトル・フール」が全米1位を獲得[4]

ネルソンは、1950年代末期以降は俳優としても活動した。1959年には『リオ・ブラボー』で6年ぶりの映画出演を果たし[5]、さらに1960年には、映画『南太平洋ボロ船作戦』で準主役として出演している[6]

1961年発表の6作目のアルバム『Rick Is 21』以降、ネルソンは「リック・ネルソン」名義で音楽活動をするようになった[3]。同アルバムからは、シングル「トラベリン・マン」が全米1位を獲得したのみならず、B面の「ハロー・メリー・ルー」も全米トップ10入りを果たした[7]。1962年は「ヤング・ワールド」と「ティーンエイジ・アイドル」がヒット。1964年には「フォー・ユー」が全米6位に達するが、その後の1960年代後半は、シングル・ヒットに恵まれなくなる[4]

1960年代後半になるとカントリーに傾倒し、その後、ストーン・キャニオン・バンドというカントリーロック・バンドを結成。ストーン・キャニオン・バンドを従えて行われた1969年12月13日の公演(1970年発売のライヴ・アルバム『リック・ネルソン・イン・コンサート』に収録)には、後にイーグルスで活動するランディ・マイズナーがバンドの一員として参加した[8]。1970年にはウィリー・ネルソンの楽曲を取り上げたアルバム『Rick Sings Nelson』を発表。1971年のアルバム『Rudy the Fifth』には、再びマイズナーが参加した。1972年にはアルバム『ガーデン・パーティー』からのシングル「思い出のガーデン・パーティー」が、全米6位のヒットを記録して、ネルソンの生涯における最後の全米トップ10シングルとなった[4]

1975年、キース・ムーンのソロ・アルバム『Two Sides of the Moon』にゲスト参加[9]。同年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得した[10]

1981年、キャピトル・レコード移籍第1弾アルバム『Playing to Win』発表。純粋な意味での新作スタジオ・アルバムは、これが最後となった[11]。1985年12月31日、チャーターした飛行機DC-3アラバマ州ガンターズヴィルからテキサス州ダラスへ向かうが、飛行機事故によってネルソンは45歳で死去。さらに、この事故によってネルソンの当時の婚約者、バンドのメンバー4人、バンドのロード・マネージャーも死去した[1]

死後の1987年にロックの殿堂入りした[12]

家族

1963年に女優のクリスティン・ハーモンと結婚し、4人の子供に恵まれるが、1982年に離婚[13]。長女のトレイシーは、まだ5歳にも満たなかった1968年に映画デビューし[14]、1980年代以降は女優として多くのテレビ番組や映画に出演。双子の息子であるマシューとガナーは、ハードロック・バンド「ネルソン」の中心メンバーとなり、1990年に発表されたデビュー・アルバム『アフター・ザ・レイン』がミリオン・ヒットとなった[15]

ディスコグラフィ

日本語表記の併記されていないアルバムは、2011年11月現在日本未CD化。

スタジオ・アルバム

  • Ricky(1957年)
  • Ricky Nelson(1958年)
  • Ricky Sings Again(1959年)
  • Songs by Ricky (Ricky Sings Spirituals)(1959年)
  • More Songs by Ricky(1960年)
  • リック・イズ21 - Rick Is 21(1961年)
  • Album Seven by Rick(1962年)
  • For Your Sweet Love(1963年)
  • Rick Nelson Sings "For You"(1964年)
  • ザ・ヴェリー・ソート・オブ・ユー - The Very Thought of You(1964年)
  • スポットライト・オン・リック - Spotlight on Rick(1965年)
  • Best Always(1965年)
  • Love and Kisses(1965年)
  • ブライト・ライツ&カントリー・ミュージック - Bright Lights & Country Music(1966年)
  • Country Fever(1967年)
  • Another Side of Rick(1967年)
  • Perspective(1969年)
  • Rick Sings Nelson(1970年)
  • Rudy the Fifth(1971年)
  • ガーデン・パーティー - Garden Party(1972年)
  • ウィンドフォール - Windfall(1974年)
  • Intakes(1977年)
  • Playing to Win(1981年)

ライヴ・アルバム

  • リック・ネルソン・イン・コンサート - In Concert: The Troubadour, 1969(1970年)
  • Live, 1983 - 1985(1986年)

サウンドトラック

  • オン・ザ・フリップ・サイド - On the Flip Side(1966年)

脚注

外部リンク