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2016年11月12日 (土) 03:58時点における版
ゲイリー・ライト Gary Wright | |
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出生名 | Gary Malcolm Wright |
別名 | Gary Thomas Wright |
生誕 |
1943年4月26日(81歳) アメリカ合衆国 ニュージャージー州クレスキル |
出身地 | アメリカ合衆国 |
ジャンル | ロック |
職業 | シンガー・キーボーディスト |
担当楽器 | キーボード |
活動期間 | 1967年 - |
レーベル | ワーナー・ブラザーズ・レコードほか |
共同作業者 | スプーキー・トゥース |
公式サイト | http://www.thedreamweaver.com/ |
ゲイリー・ライト(Gary Wright, 1943年4月26日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。自身の歌った楽曲「ドリーム・ウィーバー」(Dream Weaver, 「夢織り人」と訳されることもある)や、ハリー・ニルソンの楽曲「ウィザウト・ユー」へのピアニストとしての参加などで知られる。元ビートルズのジョージ・ハリスンとは友人であった。
来歴
ゲイリー・ライトはニュージャージー州クレスキル(Cresskill)で生まれ育ち、7歳の時にはテレビ番組のショーに出演した。彼はテナフライ高等学校(Tenafly High School)に入学した[1]。
その後、ライトは心理学の勉強を続けるためヨーロッパへ渡った。1967年、彼はバンド『スプーキー・トゥース』(Spooky Tooth)にシンガーおよびキーボーディストとして参加した。1970年には、ライトはリヴァプールに拠点をおくフォーク・ミュージックバンド『アライヴァル』(Arrival)のプロデューサーを務めることとなり、同時にフォークロックバンド『ハウル・ザ・グッド』のメンバーも務め、同年のワイト島音楽祭ではこれら2つのバンドが共に出演することとなった。
1971年11月23日、ライトはテレビ番組『ディック・キャヴェット・ショウ』(The Dick Cavett Show)のエピソードで、『ワンダー・ホイール』というバンドが彼の作った曲「Two Faced Man」を演奏したことがきっかけで名前を紹介された。このバンドにはジョージ・ハリスンが好意でスライドギター演奏で参加していた。これは、ライトがハリスンのアルバム『オール・シングス・マスト・パス』でピアノ演奏を行っていたのが縁となって実現したことであった。
1974年のスプーキー・トゥース解散後、ライトはソロで音楽活動を続け、その活動は楽曲「ドリーム・ウィーバー」で頂点に達した。この曲のシングルは1976年にビルボード・ホット100で3週連続2位を記録し、ゴールドディスクに認定された。この曲はまた、映画『ウェインズ・ワールド』およびそのサウンドトラック、映画『ラリー・フリント』などの作品にフィーチャーされている。1976年には、続くシングル作品「ラヴ・イズ・アライヴ」(Love Is Alive)もチャート2位(2週連続)を記録している。
アルバム『ザ・ドリーム・ウィーバー』(The Dream Weaver)は大ヒット作品となったものの、その後の彼の作品は評論・売り上げのどちらにおいても人気を博すものではなかった。ラジオ放送も手助けにならず、新たなヒットシングルも出なかったために、彼のキャリアはにわかに停滞することとなった。しかしながら、ライトはそれでも1970年代・80年代・90年代にわたってアルバムの制作を続けてゆく。
ライトが最後にポップ・チャートにおいて顕著な成功を収めたのは、1981年に「リアリー・ウォナ・ノウ・ユー」(Really Wanna Know You, アリ・トムソン(Ali Thomson)との共作)がチャート第16位を記録したときであった。
ライトの1981年のアルバム『ザ・ライト・プレイス』(The Right Place)に収録された楽曲「カミン・アパート」(Comin' Apart)は、2004年にアーマンド・ヴァン・ヘルデン(Armand Van Helden)が発表したクラブ音楽「マイ・マイ・マイ」(My My My)にサンプリングされている。
1991年に日本人アーティストTMNのシングル『Love Train/We love the EARTH』、アルバム『EXPO』のエンジニアとして参加。当時ニューヨークで最先端だったサウンドを日本に持ち込んだ。
2008年、ライトはリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加してツアーを行った。同年11月には、6曲収録のミニアルバム『ウェイティング・トゥ・キャッチ・ザ・ライト』(Waiting to Catch the Light)をリリースしている。
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
- Extraction(1971年)
- Footprint(1972年)
- The Dream Weaver(1975年)
- The Light of Smiles(1977年)
- Touch and Gone(1978年)
- Headin' Home(1979年)
- The Right Place(1981年)
- Who I Am(1988年)
- First Signs of Life(1995年)
- Best of Gary Wright / The Dream Weaver(1998年)
- Human Love(1999年)
- Waiting to Catch the Light(2008年)
シングル
順位はビルボード・ホット100のもの
- Dream Weaver(1976年)2位
- Love Is Alive(1976年)2位
- Made To Love You(1976年)79位
- Phantom Writer(1977年)43位
- Touch And Gone(1978年)73位
- Really Wanna Know You(1981年)16位
- Heartbeat(1981年)107位
出典(英語版)
- ^ "MUSIC NOTES", The Star-Ledger, November 16, 2000, p. 71. "Wright returns. Singer-songwriter-keyboardist Gary Wright, who grew up in Cresskill and went to Tenafly High School, will perform in New York tonight for the first time in 20 years."