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2016年11月12日 (土) 02:48時点における版
コニー・フランシス(Connie Francis、1938年12月12日 - )は、アメリカ・ニュージャージー州ニューアーク出身の歌手・女優。イタリア系。本名Concetta Rosa Maria Franconero(コンチェッタ・ローサ・マリア=フランコネロ)。
経歴
11歳の頃からショーに出演し、1955年に「Freddy」で歌手デビューしたが、しばらくヒット曲は出なかった。
1958年にリリースされた「Who's Sorry Now?」が大ヒットしてからは、1960年代前半にかけてヒット曲を連発。1961年には「Together」がヒットし、『ビルボード』誌のアダルト・コンテンポラリーのシングルチャートで女性として初めて1位を獲得した。
1974年11月8日、ウエストベリー音楽フェアに合わせてニューヨーク市内でホテルに滞在中、突如客室内に不法侵入した黒人の男から強姦被害を受ける(犯人は未だに逮捕されていない)。その後、安全性を確保しなかったとして、彼女はモーテルチェーン側を提訴し、その結果、約300万ドルを支払うよう判断が示された。
これまで、4回結婚離婚歴が有り、最近では、TV プロデューサーの Bob Parkinson(1985-1986)と、結婚および離婚をしている。
世界各国でヒット曲がカバーされており、日本では弘田三枝子や中尾ミエなどがカバーしヒットしたことで知られる。
民族舞踊を意識する「Misirlou(ミザルー)」を歌っている(歌詞がある)。のちに「パルプフィクション」や「TAXi」シリーズで有名なディック・デイルのギターによる曲調ができる(こちらは詞はない)。
代表曲
- ヴァケイション(Vacation)
- 1962年7月発売。ビルボード最高9位。ステレオ録音。同年に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子、安村昌子らによる競作でカバー。弘田三枝子盤が20万枚、青山ミチ盤が3万枚のヒットとなる。2002年、映画『ナースのお仕事ザ・ムービー』主題歌として観月ありさがカバー(「朝倉いずみ with ナースのお仕事」名義)。
- フーズ・ソリー・ナウ(Who's Sorry Now?)
- 1958年2月発売。ビルボード最高4位。自身初のミリオンセラー。モノラル録音。なかなかヒットに恵まれず、歌手を辞めようかと思っていたが、大好きな歌をどうしても捨てることができなかった。「とりあえずもう1枚レコードを出し、それがヒットしたら歌手を続け、ヒットしなかったら歌手を辞めよう」と考え、最後の1枚のつもりで出したのが、この「フーズ・ソリー・ナウ」であった。この曲が無ければ、後年の大スター“コニー・フランシス”も無かった。まさに、彼女の人生を変えた曲である。
- ボーイ・ハント(Where The Boys Are)
- 1961年1月発売。ビルボード最高4位。ステレオ録音。
- カラーに口紅(Lipstick On Your Collar)
- 1959年5月発売。ビルボード最高5位。ステレオ録音。
- 泣かせないでね(Don't Break The Heart That Loves You)
- 1962年1月発売。ビルボード最高1位。ステレオ録音。
- 間抜けなキューピッド(Stupid Cupid)
- 1958年7月発売。ビルボード最高14位。モノラル録音。
- アモング・マイ・スーベニル(Among My Souvenirs)
- 1959年11月発売。ビルボード最高7位。モノラル録音。
- マイ・ハピネス (My Happiness)
- 1958年11月発売。ビルボード最高2位。ステレオ録音。
- アイム・ソーリー・アイ・メイド・ユー・クライ(I'm Sorry I Made You Cry)
- 1958年4月発売。ビルボード最高36位。モノラル録音。
- 可愛いベイビー(Pretty Little Baby)
- アメリカではシングル発売されておらず、日本独自のヒット曲である。ステレオ録音。
- 1962年に中尾ミエ(ビクター)、森山加代子(東芝)、沢リリ子(テイチク)、後藤久美子(コロムビア)の4社競作でカバー。中でも中尾ミエ盤が一番売れた。
- 夢のデイト(Someone Else's Boy)
- 日本独自のヒット曲。
- ロリポップ・リップス(Lollipop Lips)
- アメリカでは発売されず。日本独自のヒット曲。渡辺トモコや「九重佑三子とダニー飯田とパラダイス・キング」が競作でカヴァーした。
- 大人になりたい(Too Many Rules)
- 1961年発売。ビルボード最高72位だったが、日本では伊東ゆかり、後藤久美子などの歌で大ヒットした。
エピソード
- 国生さゆりが「バレンタイン・キッス」を歌った際、コニー・フランシスを意識して髪をポニーテールにした。
出演映画
- ボーイハント(1960年)
- [渚のテート(1963年公開の映画)](1963)
- [ハートでキッス(1964年公開の映画)](1964)
- [青空のデート(1965年公開の映画)](1965)