「ジョーン・バエズ」の版間の差分
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2016年11月12日 (土) 02:44時点における版
ジョーン・バエズ Joan Baez | |
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基本情報 | |
出生名 | Joan Chandos Baez |
生誕 | 1941年1月9日(83歳) |
出身地 |
![]() |
ジャンル | フォーク、フォークロック |
担当楽器 | ボーカル、ギター、ピアノ、ウクレレ、ジャンベ |
活動期間 | 1958年〜現在 |
レーベル |
ヴァンガード A&M コロムビア ゴールド・キャッスル ヴァージン ガーディアン |
公式サイト | http://www.joanbaez.com |
ジョーン・チャンドス・バエズ(英: Joan Chandos Baez、1941年1月9日 - )は、アメリカのミュージシャン。英語の発音だと、「バイエズ」の方が近い。
来歴
1941年に、ニューヨーク州のスタテン島にてメキシコ系の家に生まれる。彼女の一家は、クエーカー教徒であった。
また、父親のアルバートは物理学者であり、軍需産業への協力を拒否し、それはジョーンの1960年代から現在まで続く公民権運動と反戦活動へ影響を及ぼした。妹のミミ・ファリーニャ(1945年4月30日 - 2001年7月19日)もフォーク歌手であった。
歌手としての経歴は、1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルから始まった。ファースト・アルバムの『ジョーン・バエズ』は、1960年にヴァンガード・レコードから発売される。同作は「ドナドナ」「朝日のあたる家」[1]などトラディショナルのフォーク・バラード、ブルースと哀歌が、彼女自身のギターによって演奏された物であった。
1961年に発表された、2作目の『ジョーン・バエズ Vol.2』はゴールド・アルバムとなり、翌年リリースされた『ジョーン・バエズ・イン・コンサート 』も同じくゴールド・アルバムを獲得した。バエズは、1960年代初頭から中期に掛けて、アメリカにおけるルーツ・リバイバルの先頭に立ち、自らの聴衆に対し、ブレイク前のボブ・ディランを紹介し、また多くのアーティストらは彼女を模倣した。
1968年12月、ディランの作品のみを歌った2枚組のアルバム『Any Day Now』を発表。シングルカットされた「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワード」はバエズのコンサートの定番曲のひとつとなった。
2010年3月、スペイン政府より芸術文学の勲章を受勲し、Excelentisima Señoraの称号を得る。
脚注
- ^ 鈴木カツ 『我が青春のショーン・バエズ』 キングレコード、1998年9月、ライナーノーツ p.3。