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2016年11月11日 (金) 03:13時点における版
霧島 昇 | |
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1950年 | |
基本情報 | |
出生名 | 坂本 栄吾 |
生誕 | 1914年6月27日 |
出身地 | 福島県双葉郡大久村 |
死没 | 1984年4月24日(69歳没) |
学歴 | 東洋音楽学校 |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1937年 - 1984年 |
レーベル | コロムビア |
霧島 昇(きりしま のぼる、1914年(大正3年)6月27日 - 1984年(昭和59年)4月24日)は戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。本名は坂本 栄吾といった。福島県双葉郡大久村出身。1970年(昭和45年)、紫綬褒章受章。
経歴
1914年(大正3年)に福島県双葉郡大久村(現:いわき市大久町)の農家の三男として生まれる。小学校を卒業後上京し、中学に通いながらボクサーを目指すが断念、テノールの藤原義江のレコードを聴き、日本の歌曲を流行歌として歌いたいと思い、苦学しながら東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)を卒業。
浅草のレビュー小屋でアルバイトをする傍ら吹き込んだエヂソン・レコード『僕の思い出』がコロムビア文芸部長・松村重武(俳優の松村達雄の実父)の目にとまり、1936年(昭和11年)にコロムビアに入社。当時のコロムビアは松平晃が看板スターだった。霧島は松平を目標に歌唱技術を磨き、松平にはないテノールの甘い音色と邦楽的技巧表現を生かした。
翌1937年(昭和12年)に『赤城しぐれ』でデビュー。1938年(昭和13年)に松竹映画『愛染かつら』の主題歌『旅の夜風』を当時大スターだったミス・コロムビア(本名・松原操=後に本名を芸名とする)と共に吹き込み大ヒット。1939年(昭和14年)にミス・コロムビアと結婚。前年に吹き込んだ「旅の夜風」が縁結びとなった。その後も『一杯のコーヒーから』、『誰か故郷を想わざる』などの大ヒットを飛ばし「コロムビアのドル箱」と呼ばれた。
1943年(昭和18年)、召集令状を受け、大日本帝国海軍横須賀海兵団に入隊。今まで、極度の近眼のため徴兵検査で不合格となっていたが、海兵団の伊藤竹夫大佐が霧島のファンだったため、軍医長に命じ身体検査をパスさせたためであった。海軍時代は、情報蒐集及び宣伝を主任務とした副長付班に所属した[1]。
戦後は並木路子と吹き込んだ『リンゴの唄』を皮切りに『三百六十五夜』、『胸の振り子』などのヒットを放った。生涯に吹き込んだ数は3千曲を超えた。
NHK紅白歌合戦にも5回出場している(詳細は下記参照)。
大変なおしどり夫婦として知られ、妻との間には4人の子供をもうけた。霧島の息子の坂本紀男は東京音楽大学主任教授で、『思い出のメロディー』(NHK総合)に出演し、父の代表曲を歌ったことがある。霧島は無口で真面目な人柄で、極度のあがり症だったという。1984年(昭和59年)4月24日、腎不全により入院中だった東京の豊島区内の病院にて69歳で逝去した。東京都港区の長谷寺に眠る。福島県いわき市に『誰か故郷を想わざる』の歌碑が建立されている。なお妻の松原は先立たれた夫の霧島の後をすぐ追うかのようにわずか2か月後の同年6月19日に73歳で逝去した。
法規制される前後に夫婦でヒロポンを常用しており、深刻な中毒だったことがある。当時舞台で司会をしていたコロムビア・トップが国会においてその様子を証言したこともあった[2]。晩年は夫婦ともに心身に不調がみられたが、この原因が指摘されている。
代表曲
- 赤城しぐれ (1936)
- 作詞:久保田宵二/作曲:竹岡信幸/編曲:奥山貞吉
- 月のデッキで (1937)
- 作詞:高橋掬太郎/作曲:明本京静/編曲:奥山貞吉
- 峠の馬子唄 (1937)
- 作詞:久保田宵二/作曲:古関裕而/編曲:
- 露営の歌 中野忠晴・松平晃・伊藤久男・佐々木章 (1938)
- 作詞:薮内喜一郎/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
- 旅の夜風 ミス・コロムビア (1938)
- 作詞:西條八十/作曲:万城目正/編曲:万城目正
- 別れ路の歌 二葉あき子 (1939)
- 作詞:高橋掬太郎/作曲:万城目正/編曲:万城目正
- 一杯のコーヒーから ミス・コロムビア (1939)
- 作詞:藤浦洸/作曲:服部良一/編曲:服部良一
- 愛染夜曲 ミス・コロムビア (1939)
- 作詞:西條八十/作曲:万城目正/編曲:万城目正
- 純情二重奏 高峰三枝子 (1939)
- 作詞:西條八十/作曲:万城目正/編曲:万城目正
- くろがねの力 伊藤久男・松原操・二葉あき子 (1939)
- 作詞:浅井新一/作曲:江口夜詩/編曲:奥山貞吉
- 誰か故郷を想わざる (1940)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- 愛染草子 ミス・コロムビア (1940)
- 作詞:西條八十/作曲:万城目正/編曲:奥山貞吉
- 蘇州夜曲 渡辺はま子 (1940)
- 作詞:西條八十/作曲:服部良一/編曲:仁木多喜雄
- 新妻鏡 二葉あき子 (1940)
- 作詞:佐藤惣之助/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- 目ン無い千鳥 ミス・コロムビア (1940)
- 作詞:サトウ・ハチロー/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- 燃ゆる大空 藤山一郎 (1940)
- 作詞:佐藤惣之助/作曲:山田耕筰/編曲:仁木多喜雄
- 相呼ぶ歌 菊池章子 (1940)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- みんな揃って翼賛だ 松原操・高橋祐子 (1941)
- 作詞:西條八十/作曲:古関裕而/編曲:
- そうだその意気 松原操・李香蘭 (1941)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:仁木多喜雄
- 大東亜決戦の歌 藤山一郎 (1942)
- 作詞:伊藤豊太/作曲:帝国海軍軍楽隊/編曲:仁木多喜雄
- 戦い抜こう大東亜戦 (1942)
- 作詞:大政翼賛会宣伝部/作曲:明本京静/編曲:奥山貞吉
- 壮烈特別攻撃隊 (1942)
- 作詞:西條八十/作曲:山田耕筰/編曲:
- 翼の凱歌 藤山一郎 (1942)
- 作詞:佐藤惣之助/作曲:山田耕筰/編曲:服部良一
- 索敵行 伊藤久男・楠木繁夫 (1943)
- 作詞:野村俊夫/作曲:万城目正/編曲:服部良一
- 若鷲の歌 波平暁男 (1943)
- 作詞:西條八十/作曲:古関裕而/編曲:仁木他喜雄
- 勝利の日まで (1944)
- 作詞:サトウ・ハチロー/作曲:古賀政男/編曲:仁木他喜雄
- 雷撃隊出動の歌 波平暁男 (1944)
- 作詞:米山忠雄/作曲:古関裕而/編曲:古関裕而
- 雷撃隊の歌 (1944)
- 作詞:帝国海軍雷撃隊員/作曲:帝国海軍雷撃隊員/編曲:帝国海軍軍楽隊
- リンゴの唄 並木路子 (1946)
- 作詞:サトウ・ハチロー/作曲:万城目正/編曲:仁木他喜雄
- 麗人の歌 (1946)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- 旅役者の唄 (1946)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- 胸の振子 (1947)
- 作詞:サトウ・ハチロー/作曲:服部良一/編曲:服部良一
- 旅の舞姫 二葉あき子 (1948)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- 夢去りぬ (1948) ※淡谷のり子「鈴蘭物語」の曲カヴァー
- 作詞:加茂六郎/作曲:服部良一/編曲:服部良一
- 国境の灯 (1948)
- 作詞:西條八十/作曲:古関裕而/編曲:
- 三百六十五夜 松原操 (1948)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- あの夢この歌 二葉あき子 (1948)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:仁木他喜雄
- 緑の並木路 折原啓子 (1950)
- 作詞:門田ゆたか/作曲:竹岡信幸/編曲:仁木他喜雄
- 赤い椿の港町 (1951)
- 作詞:西條八十/作曲:上原げんと/編曲:上原げんと
- 月が出た出た 久保幸江 (1951)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:
- サム・サンデー・モーニング 小川静江 (1951)
- 作詞:山口国俊/作曲:服部良一/編曲:服部良一
- 白虎隊 台詞:鈴木吟亮 (1952) ※藤山一郎の歌詞違いカヴァー
- 作詞:島田磬也/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- ギター月夜 (1952)
- 作詞:西條八十/作曲:古賀政男/編曲:
- 石狩エレジー (1953)
- 作詞:桂土佐海/作曲:古賀政男/編曲:
- 湖畔のギター (1954)
- 作詞:野村俊夫/作曲:古賀政男/編曲:
- 白虎隊 (1963) ※藤山一郎のカヴァー
- 作詞:野村俊夫/作曲:古賀政男/編曲:古賀政男
- 妻よ/ふるさと慕情 (1981) 松原操
- 作詞:石本美由起/作曲:市川昭介/編曲:山田良夫
- 夕月慕情 (1981)
- 作詞:益子文司・石本美由起/作曲:江口夜詩/編曲:
出演映画
- 『純情二重奏』(昭和13年、松竹)
- 『君よ共に歌わん』(昭和16年、松竹)
- 『青空交響楽』(昭和18年、大映)
- 『そよかぜ』(昭和20年、松竹)
- 『飛ぶ唄』(昭和21年、大映)
- 『盗まれかけた音楽会』(昭和21年、大映)
- 『街はそよかぜ』(昭和22年、国際映画)
- 『踊る龍宮城』(昭和24年、松竹)
受賞歴
NHK紅白歌合戦出場歴
- 第2回(1952年1月3日、NHK東京放送会館第1スタジオ):『三百六十五夜』(『赤い椿の港町』とする説あり)
- 第3回(1953年1月2日、NHK東京放送会館第1スタジオ):『月が出た出た』
- 第5回(1954年12月31日、日比谷公会堂):『石狩エレジー』
- 第7回(1956年12月31日、東京宝塚劇場):『恋に朽ちなん』
- 第9回(1958年12月31日、新宿コマ劇場):『白虎隊』
このうち、第7回と第9回は霧島の歌のラジオ中継の音声が現存する。
脚注
- ^ 昭和の戦時歌謡物語、325頁,326頁。
- ^ 参議院会議録情報 第101回国会 社会労働委員会 第11号
出典
- 塩澤実信『昭和の戦時歌謡物語』展望社、2012年 (ISBN 978-4-88546-241-2)