コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「藤島桓夫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼: 性別付け - log
42行目: 42行目:


{{デフォルトソート:ふししま たけお}}
{{デフォルトソート:ふししま たけお}}
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:日本の男性歌手]]
[[Category:タイヘイレコードのアーティスト]]
[[Category:タイヘイレコードのアーティスト]]
[[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]]
[[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]]

2016年11月11日 (金) 02:54時点における版

藤島 桓夫(ふじしま たけお1927年10月6日 - 1994年2月1日)は、日本演歌歌手。本名:坂本 義明。愛称はオブさん藤島恒夫と表記されることがあるが誤り。鼻から頭の先に抜けるような独特の高音と渋みのある低音を織り交ぜた歌唱、粋なマドロス姿や着流し姿で多くのファンに愛された。

経歴

大阪府大阪市西成区出身。大鉄高校卒業後、大阪府内の電話局勤務を経て、1950年に「あゝ東京へ汽車は行く」でタイヘイレコードからデビュー。1954年、「初めて来た港」がヒット。以後、「かえりの港」「さよなら港」などの港シリーズで一世を風靡。

1956年、「かえりの港」でNHK紅白歌合戦に初出場。紅白歌合戦には7回連続出場している(詳細は下記参照)。

1957年には「お月さん今晩は」がヒットし、マドロス(船乗り)物以外でもヒットが出ることを証明。1960年、設立当時の東芝レコードに引き抜かれる形で移籍した。同年、「月の法善寺横町」が大ヒット。この曲は藤島の最大のヒットとなった。その後も長く活躍を続け、1980年にはデビュー30周年記念全国縦断公演を行った。1992年、第34回日本レコード大賞功労賞を受賞。

1994年1月10日に倒れ、2月1日、高血圧性脳出血のため死去。同年、勲四等瑞宝章追贈。

代表曲

  • 「たった一言なぜ云えぬ」(作詞・作曲 小池青磁)1954年
  • 「初めて来た港」(作詞・作曲 豊田一雄)1954年
  • 「かえりの港」(作詞・作曲 豊田一雄)1955年
  • 「さよなら港」(作詞・作曲 豊田一雄)1956年
  • 「流し舟唄」(作詞・作曲 豊田一雄)1956年
  • 「また来た港」(作詞・作曲 豊田一雄)1957年
  • 「村の駐在所」(作詞・松井由利夫 作曲・原六朗)1957年
  • 「お月さん今晩は」(作詞・松村又一 作曲・遠藤実)1957年
  • 「アンコなぜ泣く」(作詞・松村又一 作曲・遠藤実)1957年
  • 「凧々あがれ」(作詞・松村又一 作曲・遠藤実)1958年
  • 「月の法善寺横丁」(作詞・十二村哲 作曲・飯田景応)1960年
  • 「嫁ぐ娘に」(作詞・佐藤信/加藤登紀子 作曲・加藤登紀子)
    • 「夢見野通り夢番地」(作詞・佐藤信 作曲・加藤登紀子)1984年
  • 「帰ってきたぜ」b/w「野菊ちゃん」(作詞・杉紀彦 作曲・岸本健介)1985年
  • 「大阪みれん」c/w「男の舞台」 (ラストシングル) 1992年

NHK紅白歌合戦出場歴

  • 第7回 (1956年12月31日、東京宝塚劇場) 『かえりの港』
  • 第8回 (1957年12月31日、東京宝塚劇場) 『お月さん今晩は』
  • 第9回 (1958年12月31日、新宿コマ劇場) 『凧タコあがれ』
  • 第10回 (1959年12月31日、東京宝塚劇場) 『村の駐在所』
  • 第11回 (1960年12月31日、日本劇場(日劇)) 『月の法善寺横丁』
  • 第12回 (1961年12月31日、東京宝塚劇場) 『波止場気質』
  • 第13回 (1962年12月31日、東京宝塚劇場) 『マドロス慕情』

関連項目