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2016年11月11日 (金) 02:44時点における版
真木 ひでと | |
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別名 | 野口 ヒデト、野口 ひでと |
生誕 | 1950年11月27日(74歳)[1][2] |
出身地 | 日本・福岡県田川市[2] |
職業 | 演歌歌手 |
活動期間 |
1967年(漫画トリオとバックボーン) 1968年 - 1971年(オックスとして) 1971年 - 1974年(野口ひでととして) 1975年 - |
共同作業者 |
漫画トリオとバックボーン オックス |
公式サイト | MAKI HIDETO |
真木 ひでと(まき ひでと)1950年11月27日 [2]- )は、日本の歌手。GSバンド、「オックス」のヴォーカルを務めた後、演歌歌手として活動しているが最近はGSシンガーとしても活動中。福岡県田川市出身[2]。
来歴
1967年、漫画トリオとバックボーン(木村幸弘とバックボーン)に参加[2][1]。
ジャズ喫茶「ナンバ一番」で「テル・ミー」のパフォーマンスを見たリーダーである福井利男より「日本でビンソンのエコーチェンバーを持ってるのはうちのバンドとスパイダースだけ!」と口説かれ、1967年12月よりバンドに参加するも当時の野口はビンソンが何なのかわかっていなかった[3]。1968年5月にGSバンド、「オックス」のヴォーカルとしてデビュー[2]。芸名は野口英世にあやかって野口ヒデトと名乗る[3]。「ガール・フレンド」「ダンシングセブンティーン」「スワンの涙」」「僕は燃えてる」といったTOP10、TOP20ヒットを出した。ザ・タイガース、ザ・テンプターズと並び“ GS御三家 ”と称された[1]。GSブーム中期~後期には、 沢田研二・萩原健一・野口ヒデトが三大ヴォーカルと呼ばれていた。
1971年5月31日にオックス解散[4]。同年「仮面」でソロデビュー。以降は「他になにがある」「夜空の笛」等のシングルを発表し、本人自作の「笑いを忘れたピエロ」が収録されているアルバム「ひでとからあなたに」をリリースする[2]。
1975年、YTV「全日本歌謡選手権」に挑戦、10週を勝ち抜いた[5]。 恩師山口洋子の命名により「真木ひでと」に改名し、「夢よもういちど」で演歌歌手として再デビュー[1]。このデビュー曲がソロ歌手として初のオリコン全国チャーるト9位にランクインし各種優秀新人賞などを受賞した。[1]また、9月発売にも係らず同年末の第17回日本レコード大賞ノミネート候補曲の中に選ばれる[2]。
1976年、「恋におぼれて」で東京新聞最優秀ヒット賞を受賞[1]。同年3枚目のシングル「東京のどこかに」では飯塚音楽祭で大衆賞・銀賞等を受賞[1]。この時のゲストが美空ひばりであり、ひばりから「あんた知ってるよ」と言われた事でますますひばりファンになったと言う[6]。 1979年、「雨の東京」をリリース。自身初の本格的演歌に挑戦したが、山口洋子自身は「まだ早すぎる」と言って反対したらしい。 カラオケ・有線・レコード共にヒットしロングセラー賞を受賞。 特に有線放送全盛の頃でもあり、耳馴染んだ楽曲でもあるので、この歌が真木ひでとのデビュー曲だと思っている人が多い。 それほど長期間に渡って支持された歌でもあり、カラオケで現在でも歌う人達が多い名作である。 1991年発売のオロナミンCのCMソング「元気の星」が小中高生を中心にヒット[1]。 る 2010年のクニ河内プロジェクト作品「されどわれらが日々」のアルバムではオリジナル曲「愛をありがとう」を歌唱[7]。その後、構成・演出・プロデュースを担当している、「GSビッグスリー(三原綱木・加橋かつみ・真木)」のコンサート、 ディナーショーに力を入れている[2]。 また、三原綱木とは最初のGSと最後のGSという組み合わせで、M2というユニットでも活動しており、演歌からGSまでという二人の 個性を前面に押し出したディナーショーも盛況である。露出が少ないので知らない人は人気が落ちたと勘違いしてるらしいが、今もそれなりに 沢田研二とまではいかなくても動員力のある歌手のひとりである。 (本人が編集が出来る録画のテレビが嫌いらしいが生放送のテレビはOKだと言う事とラジオのほうが好きだと明言していた。)
2012年3月28日に、ソニーミュージックより歌手デビュー45周年を記念して21曲収録の真木ひでとG☆B「陶酔炎歌」が発売された。 2015年 真木ひでとに改名後40周年を迎え、5月24日に出身地の大阪で、120名限定の「初心忘れるな 木村幸弘とバックボーンライブ」が約50年ぶりに開催された。(木村幸弘への恩返しライブだそうだ。)オックスの再結成は「あり得ない」と断言している。 理由としては、見に来る人は失神を期待してくると思うけど、今の年齢では無理ということらしい。
人物
主なヒット曲
オックス時代
- ガール・フレンド/花の指輪 (1968年)(ビクター)
- ダンシング・セブンティーン/僕のハートをどうぞ (1968年)
- スワンの涙/オックスクライ (1969年)
- 僕は燃えてる/夜明けのオックス (1969年)
- ロザリオは永遠に/真夏のフラメンコ (1969年)赤松に変わり田浦幸が参加した初作品
野口ヒデトの歌唱が前面に出ている秀逸の歌。橋本淳作詞・筒美京平作品
- 神にそむいて/夜明けの光 (1969年)
- 許してくれ/ジャスト・ア・リトルラブ (1970年)
- 僕をあげます/花の時間 (1970年)
- 以上はオリコンでトップ100位以内の曲
- もうどうにもならない/ふりむきもしないで (1970年) (解散曲)
野口ヒデト時代
- 仮面/生命のバラ(ビクター)
- 野口ひでと時代
- 他に何がある/君が来る日(フィリップス)オリコントップ100位以内、国内チャート70位台
- 夜空の笛/愛は突然に(フィリップス)
- ひでとからあなたに(アルバム)(フィリップス)
- 真木自身の自作曲の「笑いを忘れたピエロ」が収録されている。
真木ひでと時代
- 夢よもういちど (1975年)(CBSソニー)オリコン全国チャート9位
- FNS歌謡祭優秀新人賞
- あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭優秀新人賞
- ニッポン放送月間最優秀賞
- 日本レコードセールス大賞月間優秀新人賞
- 第17回日本レコード大賞候補曲
- CBSソニーゴールドディスク その他多数
- 恋におぼれて (1976年)(CBSソニー)オリコン全国チャート20位前後
- 東京新聞最優秀ヒット賞
- CBSソニーゴールドディスク その他多数
- 東京のどこかに (1976年)(CBSソニー)
- 第3回飯塚音楽祭大衆賞および銀賞
- 雨の東京 (1980年)(CBSソニー)
- 幸せうすい女です 初の山口洋子以外の作品
- 元気の星 (1991年)ポリスター)オロナミンCCMソング(オロナミンCのCMでは初のヒット曲である。)
オリコンPOPチャート11位
- ポリスターレコード年間ベストテン他
- 以上 上記作品はオリコンでトップ100位以内の曲
- 三陸海岸/恋月夜(ポリスター)
- 愛をありがとう(されど我らが日々)
出演
テレビ番組
アシスタントボーイ 郷ひろみ アシスタントガール 山口いづみ ゲスト 当時旬の歌手から懐メロの歌手まで
ラジオ番組
- 真木ひでとの音楽専科(ラジオ日本)
- 真木ひでとのプロ野球最前線(全国ネット)