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2016年11月11日 (金) 01:43時点における版
塩 まさる | |
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塩まさる(1937年) | |
基本情報 | |
出生名 | 塩 正吉 |
生誕 | 1908年2月12日 |
出身地 | 日本福島県いわき市 |
死没 | 2003年10月16日(95歳没) |
学歴 | 早稲田大学卒業 |
ジャンル | 歌謡曲 |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1937年 - 2003年 |
レーベル |
キングレコード テイチクレコード |
塩 まさる(しお まさる、本名:塩 正吉、1908年2月12日 - 2003年10月16日)、昭和時代前期を代表する歌手。
経歴
福島県いわき市出身。本名塩正吉。早稲田大学卒業後、東京鉄道局に勤務。
1937年(昭和12年)、キングレコードから歌手デビュー。同年9月発売の「軍国子守唄」、1939年(昭和14年)4月テイチクレコード発売の「九段の母」が大ヒット。その後は、軍国調の歌を多数吹き込む。
戦後もしばらくは歌手活動を行っていたが「自分の時代は終わった」と昭和20年代後半に歌手を止め、実業家に転進。昭和40年代の懐メロブームが始まった1967年(昭和42年)から「まだ自分にも出来ることがある」と歌手業を再開。老人ホームの慰問等を行うようになった。同時に発声等を再び一からやり直すなどしている。
平成に入ったあたりから、現役最年長歌手のひとりとなったことやライフワークともいえる昭和の曲(「昭和の万葉集」と塩は語っている)を歌い継ぐ活動が注目されはじめ、メディア出演が増加する。 1992年には古巣のキングレコードから全曲新録音のアルバム「塩まさる84歳の青春」を発売し、ギネス級と報道されるなど大いに話題となった。89歳になった1997年(平成9年)5月3日にもキングレコードから新曲「夢追草」を発売するなどした。この曲は作詞者(野口家嗣:81歳)、作曲者(新井由紀男:85歳)、編曲者(林伊佐緒:発売当時既に故人、編曲時83歳)、歌手がすべて80歳以上であった[1]。 91歳になった1999年(平成11年)12月23日にはキングレコードより「塩まさる全曲集」(ただしこちらは過去の音源を使用したベスト盤)を発売。この作品は2000年1月3日にTBS系列で放送された「カウントダウンオールヒット!1999年シングルセールスTOP200」で1999年の最高齢CD発売として紹介された。
21世紀に入り、90歳を超えてもなお歌い続けたが、夫人に先立たれたショックから体調を崩し2003年(平成15年)10月16日、老衰で死去。享年95。
略歴
- 早稲田大学商学部卒業後、東京鉄道局千葉運輸事務所に勤務。
- 1937年 キングレコードから「軍国子守唄」でデビュー。30万枚[2]を売り上げる大ヒットを記録
- 1938年 「母子船頭唄」をリリース
- 1939年 テイチクに移籍。「九段の母」をリリース。
- 1992年 キングレコードより、「塩まさる 84歳の青春」が発売
- 1997年 第39回日本レコード大賞功労賞受賞
- 2003年 老衰にて95歳で死去
- 2004年 キングレコードより、「麦と兵隊/塩まさるメモリアル」が発売された
代表曲
- 軍国子守唄(昭和12年9月発売)
- 母子船頭唄(昭和13年10月発売)
- 九段の母(昭和14年4月発売)
- 出征兵士を送る歌
- 軍国夫婦郵便
- 故郷の新聞(昭和14年3月発売)
- 大陸列車(昭和15年7月発売)
- 乃木将軍の歌
- 皇国の兄弟
- ああシベリアの戦友よ
- 転戦回顧
- 靖国の戦友に
- 従軍手帳から
- 戦地から故郷から
- 涙の子獅子
- サーカス哀歌
主な出演作品(映画)
- 弥次喜多 名君初上り(1940年)