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2016年11月10日 (木) 20:57時点における版

三井 由美子(みつい ゆみこ、1945年9月23日 - )は、福岡県出身の演歌歌手。

略歴

平尾昌晃の一番弟子として、1972年(昭和47年)10月にビクターレコード(現・ビクターエンタテインメント)より「さよなら・あなた・おんな町」(B面:霧がわたしを歩かせた)でデビューするが揮わず。1973年4月より放映のテレビドラマ必殺シリーズの第2弾「必殺仕置人」のエンディング主題歌「やがて愛の日が」(作詞:茜まさお / 作曲:平尾昌晃 / 編曲:竜崎孝路)が50万枚のヒットとなった。その後ポリドールへ移籍。「やがて愛の日が」で将来ビクターを背負って立つ歌手とまで言われるようになり、その後平尾昌晃、なかにし礼など有名な作詞・作曲家に多くの曲を書いてもらい歌うも、二年先までスケジュールが入るという多忙さのため体調を崩してしまい、温泉療養のため大分県別府市へ移り夫と共に別府市を中心に音楽活動を再開した。新転地での歌「別府ラプソディ」は、作詞・作曲家であり指揮者でもありブルー・コメッツの結成にも関わった事のある夫・登内紀夫による曲である。

歌唱作品

  • 1972年10月 さよなら・あなた・おんな町 / B:霧がわたしを歩かせた(ビクター)
  • 1973年5月 やがて愛の日が(作詞:茜まさお/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路) / B:さすらい雀(作詞:茜まさお/作曲:平尾昌晃)(ビクター)
  • 1974年5月 恋じゃないのさ / B:お酒天国(ビクター/SV-2411)
  • 1975年3月 私の人生失敗(まちがい)だった(作詞:なかにし礼/作曲:平尾昌晃)/ B:危険な愛(作詞:なかにし礼/作曲:平尾昌晃)(ビクター/SV-2468)
  • 1976年2月 盛り場子守唄 / B:ひとり住む町(ビクター/SV-2521)
  • 命がけ(作詞:登内紀夫/作曲:伊藤雪彦/編曲:竜崎孝路)/ B:ばかったれ(作詞:登内紀夫/作曲:真木憲一/編曲:竜崎孝路)(MALTESE/MON-1001)
  • 1984年9月25日 人生修羅街道(作詞:飯田新吾/作曲:亜乃洋/編曲:竜崎孝路)/ B:北の恋唄(作詞:殿狂介/作曲:亜乃洋/編曲:竜崎孝路)(ポリドール/7DX 1336)
  • 1985年 浪花仁義(作詞:吉田旺/作曲:叶弦大)/ B:夫婦三脚(ににんさんきゃく)(作詞:登内紀夫/作曲:亜乃洋)(ポリドール/7DX 1398)
  • おヘソサンバ(作詞:喜多條忠/作曲:美樹克彦
  • 日豊本線もどり旅(作詞:吉原ひさお/作曲:登内紀夫)
  • 別府ラプソディー(作詞:片川みつよ/作曲:登内紀夫)

エピソード

  • デビュー間もない頃、コンサートのために新幹線で名古屋へ向かい降りる際、やくざ風な男性達に尻を触られたために三井は怒って言い争いになり新幹線を普通より長く停めてしまい、その日の夕刊に「新幹線を停めた女」と書かれた。(本人談)
  • 自衛隊員で熱烈なファンから「結婚してください。戦車で迎えに行きますから」と手紙が来るや本当に駐屯地から東京まで戦車で来て、挙げ句に包丁で刺されたがワニ皮のバッグで避けたために死なずに済んだ。(本人談)
  • つい先日、三井本人が必殺シリーズの作詞家・茜まさお先生に二十数年振りに電話したところ、「おまえ生きとったんか?死んだと思ってたよ。どっきりカメラじゃないだろな。2年前にNHKホールで必殺シリーズ全員集合の番組があったけど、お前だけが居らんのでオレや平尾昌晃、マスコミが探したけど分からんで、まこっちゃん(藤田まこと)がお前の代わりに「やがて愛の日が」を歌ってくれたわ!」と怒られたという。(2013年本人談)