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2016年11月10日 (木) 20:54時点における版

福鶴(ふくづる 本名:多弥栄子(おおの・やえこ))は上七軒芸妓

来歴

上七軒のお茶屋の娘として生まれ、母は芸妓だった。5歳から舞踊をはじめ三味線等の諸芸を習い、1956年(昭和31年)、芸妓として店出し(披露)した。1963年(昭和38年)、「北野をどり」で役をもらい、男舞などを披露し、歌手にもなった。 だが40歳のころ、脳血栓で倒れ、命に別状はなかったが麻痺が残った。彼女は厳しいリハビリに励み、1989年(平成元年)、南座で開催された踊りの会で復帰を果たした[1]。芸妓としての活躍が評価され、2012年(平成24年)、京都伝統技芸振興財団より伝統技芸保持者に認定された。

出典

  • 『京都花街 舞妓と芸妓のうちあけ話』 相原恭子著 淡交社 2012年
  • 『京都 影の権力者たち』 読売新聞京都総局編 講談社 1994年
  • 『花街志』 渡会恵介 1973年 京都新聞

脚注

  1. ^ 『京都 影の権力者』より