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2016年11月10日 (木) 19:19時点における版

渡辺(渡邊) 真美(わたなべ まみ、1969年9月22日 - )は歌手、元B.B.クィーンズMi-Ke のメンバーでコーラス担当。東京都両国出身。

人物

東京都出身だが、フランス(小6 - 中2)、マレーシア(中3 - 高2)で生活経験のある帰国子女である。帰国後、東京学芸大学附属高等学校大泉校舎(生徒全員が帰国子女)に編入し、学習院大学文学部英米文学科卒。音楽制作における名前はJanMei(チャンメイ、真美の広東語読み)。B.B.クィーンズ 、Mi-Ke のメンバーを経て、現在はソロ活動中。2008年2月より「JanMei MySpace Blog」を開始するとともに(現在は「JanMei's Blog」に移行)、2009年12月まで東京・恵比寿のダイニング・バー「ケセラ」にてライブを定期開催。2009年4月に初のソロミニアルバム「東京フラワー[1]」を発売。現在は都内のライブ・ハウスやジャズ・クラブでライブを開催。好きな習いごとは和太鼓フランス語広東語ヨガ乗馬である。2011年1月、新曲「切なさに染まっても儚(はかな)さに迷っても」をJanMei MySpace Blogにアップ。セカンドアルバム「月と苺(いちご)」を同年4月13日にリリース。2016年3月に麻宮百(まみや・もも)に改名。

来歴

  • 1990年、B.B. クィーンズのコーラスメンバーとしてデビュー(B.B. クィーンズとしての活動は1993年まで)。
  • 1991年宇徳敬子村上遙 とMi-Keを結成、「想い出の九十九里浜」 でデビュー。カップリング曲の「あっぷる・らぶ」を自ら作詞し、歌う(作曲:寺尾広 編曲:明石昌夫)。
  • 同年、栗林誠一郎 のシングルおよびアルバム「Good-bye to you」 のコーラス。
  • 1993年、Mi-Keとして11枚目のシングル「Please Please Me, LOVE」、7枚目のアルバム「永遠のリバプールサウンド〜Please Please Me, LOVE」をリリースし、活動を停止。
  • 同年、オムニバスのカヴァーアルバム「Royal Straight Soul II」のコーラス。
  • 1997年ヲノサトル のシングル「甘い科学」のボーカル
  • 同年、ヲノサトル、石黒光一(ishigurokoichi)とのユニットLove&Jealousを結成(Love&Jealousとしての活動は2001年まで)。
  • 1998年、ヲノサトルのアルバム「ビキニムーン」のボーカルおよびコーラス。
  • 1999年から2001年まで吉本興業に所属。
  • 1999年、資生堂肌水」CMソングのボーカル。
  • 同年、小川範子 のシングル「湿地帯と人魚」のコーラス。
  • 2000年、小川範子のアルバム「人喰い」のコーラス。
  • 同年、Love&Jealousのメインヴォーカルとしてマキシシングル「Dr.LOVE」をリリース。 
  • 2001年、小川範子のアルバム「ホオズキ」のコーラス。
  • 2002年、ユニット「キャラメル帝国」を結成(小学生4人のヴォーカルをプロデュース)。
  • 同年、B.B. クィーンズのベストアルバム「complete of B. B. QUEENS at the BEING studio」、Mi-Keのベストアルバム「complete of Mi-Ke at the BEING studio」、ビデオ映像集「Mi-Ke CLIPS」がリリースされる。
  • 2003年、イベント「Jasmine Night」を主催。Bar13にて、中国語、フランス語、英語、日本語の4ヶ国語ライヴを行う。
  • 同年、ニッポン放送ジングル「New York New York」のヴォーカル。
  • 同年、ユニット「謡象(うたかた)」にヴォーカルとして参加 。
  • 2004年、「謡の瞬間」の書と音楽の共演にてヴォーカル。
  • 2006年モンゴル政府の招きにより、小野瀬雅生ショウのヴォーカルとして、ウランバートルで開かれた「建国800周年」記念式典でコンサート。
  • 同年、モンゴルのアジナイホールと日本にてコンサート。
  • 2007年、「BEST OF BEST 1000 B.B.クィーンズ」および「BEST OF BEST 1000 Mi-Ke」がリリースされる。
  • 2008年2月23日、3月29日、4月29日、5月31日、6月28日、7月26日、8月23日、9月27日、10月25日、11月29日、12月27日に東京・恵比寿のダイニング・バー「ケセラ」にてライブを開催。
  • 同年2月より、「JanMei MySpace Blog」を開始。
  • 同年6月、花王「ワイドハイターEXパワー」のCM(「ワンランク上の清潔感」編)のヴォーカル。
  • 同年12月31日、東京・紀尾井町のフレンチカフェ‘Aux Bacchanales’にてライブを開催。
  • 2009年1月31日、2月28日、3月28日、4月25日、5月30日、6月27日、7月24日、8月29日、9月26日、10月31日、11月28日、12月26日に「ケセラ」にてライブを開催(「ケセラ」のライブは2009年で終了)。
  • 同年4月、キユーピー提供のラジオ番組「ハート・オブ・サンデー」(TOKYO FM系)のCM(YASAI SCIENCE 「大地とたけのこ」編)のボーカル。
  • 同年4月20日、東京・原宿の「CROCODILE 〜クロコダイル〜」にてライブを開催。
  • 同年4月25日 初のソロミニアルバム「東京フラワー」(「KissingSky」、「五月雨~くちなしの花」、「東京フラワー」、「道草のりんご」の4曲を収録)をリリース(外部リンク参照、アマゾン.comで購入可)。
  • 同年5月3日、東京・光が丘公園で開かれたモンゴルのお祭り「ハワリンバヤル」で、モンゴルの歌「ミニーエージ(私のお母さん)」と上記CD収録の「道草のりんご」の2曲を歌う。
  • 同年5月28日、東京・新宿サザンテラス2Fエントランス前広場にてランチタイムコンサート開催。
  • 「東京フラワー」に収録されている「道草のりんご」がエコプロジェクトMusic Treeにて同年6月度のUSEN賞を受賞。
  • 同年12月31日、‘Aux Bacchanales’にてライブを開催。
  • 2010年1月27日、2月22日、4月20日に「CROCODILE 〜クロコダイル〜」にてライブを開催。
  • 同年2月14日、4月11日、7月28日に東京・大久保 (新宿区)のジャズ・クラブ「Boozy Muse」にてライブを開催。
  • 同年2月15日、FM岩手の電話インタビューに出演。
  • 同年3月20日、東京・六本木ハワイアン・ダイニング・バー「Ho'okipa(ホオキパ)」にてライブを開催。
  • 同年5月2日、東京・光が丘公園のモンゴルのお祭り「ハワリンバヤル」に出演。
  • 同年6月3日、9月1日に東京・六本木のジャズライブ&バー「ソフトウインド」にてライブを開催。
  • 同年9月にブログを「JanMei MySpace Blog」から「JanMei's Blog」に移行(外部リンク参照)。
  • 2011年1月、新曲「切なさに染まっても儚(はかな)さに迷っても」をJanMei MySpace Blogにアップ。
  • 同年3月8日に女児を出産したことをブログで発表。
  • 同年4月13日にセカンドアルバム「月と苺(いちご)」(「オルゴール~水辺の花」、「月と苺」、「青い鳥~Happiness」、「星影のワルツ~sweet home」、「Cosmic Shadow Ⅱ」、「ベランダの蒲公英(タンポポ)」の6曲を収録)をリリース(外部リンク参照、アマゾン.comで購入可)。
  • 2012年11月27日のブログで、宮古島にて元Mi-Keメンバーの村上遙と久々に再会したことが報告された。
  • 2015年5月4日、東京・光が丘公園で開催されたモンゴルのお祭り「ハワリンバヤル」にて「ミニーエージ」、「雪時計」、「ベランダの蒲公英」の3曲を歌った。
  • 同年10月24日、東京・原宿の自然食レストラン「もみの木ハウス」にて第1回のMami and Tamashiライブを開催(Tamashiはピアノの後藤魂)。
  • 同年11月8日、東京・けやきホール(古賀政男音楽博物館)にて開催の"Nikkos Tokyo 15th Concert"に参加。「Mother~Song for love」、「We are all family」、「子供~笑顔のリボン」、「おどるポンポコリン」を歌った。
  • 同年11月28日、東京・新橋のアトムCS タワーにてイベント<音楽の達人>にゲスト出演。
  • 2016年2月11日に東京・代々木のジャズライブハウス「代々木ナル」にてジャズライブ(ピアノ・清水絵理子、ギター・田辺充邦)を開催。
  • 同年2月28日に埼玉県の坂戸市文化会館大ホールで開催される「馬頭琴とモンゴル音楽のコンサート」に参加し、「ミニーエージ」と「ありがとうを伝えたい」の2曲を歌った。
  • 同年3月12日に東京・原宿の自然食レストラン「もみの木ハウス」にて第2回のMami and Tamashiライブを開催。
  • 同年3月19日に東京・代々木のジャズライブハウス「代々木ナル」にてライブを開催。
  • 同年4月18日に東京・代々木のジャズライブハウス「代々木ナル」にてライブを開催。
  • 同年5月1日に東京・光が丘公園のモンゴルのお祭り「ハワリンバヤル」に出演。
  • 同年6月11日に東京・原宿の自然食レストラン「もみの木ハウス」にてMami and Tamashiライブを開催。
  • 同年6月24日に東京・代々木のジャズライブハウス「代々木ナル」にてライブを開催。
  • 同年7月23日に東京・代々木のジャズライブハウス「代々木ナル」にてライブを開催。
  • 同年9月8日に東京・代々木のジャズライブハウス「代々木ナル」にてライブを開催。
  • 同年9月17日に東京・原宿の自然食レストラン「もみの木ハウス」にてMami and Tamashiライブを開催。
  • 同年10月1日に東京・原宿の自然食レストラン「もみの木ハウス」にてMami and Tamashiライブを開催。

ライブの予定

  • 2016年12月24日に東京・代々木のジャズライブハウス「代々木ナル」にてライブを開催予定。

エピソード

  • 父親の実家は文久から続くしゃも鍋料理屋「かど家」である。親戚にも鰻屋など、食べ物屋が多い。
  • 幼少時代は上記しゃも鍋屋の板前の前で山本リンダの「どうにもとまらない」を振り付けつきで歌っていた。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が大好きで、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」に感動していた。
  • ピンクレディーがデビューしてからは、ピンクレディーのレコードのB面の振り付けを自分で考え、友達と毎日、練習していた(ケイちゃん役)。
  • フランスではアラブの要素の入った音楽や、ロカビリーテイストの音楽、シャンソンフレンチ・ポップス、イタリアン・ポップス、イングリッシュ・ポップスなど、いろいろな国の子供が歌う歌を覚えて歌っていた。
  • パリ日本人学校時代の友達とは今でも仲がよい。
  • マレーシアでは毎朝、コーランで目覚め、分からない英語の宿題をやりながら、ドリアンを食べて、松田聖子の歌を口ずさんでいた。
  • 同じくマレーシアでは、チェッカーズ藤井尚之のファンだったので、ピューターのビールジョッキをチェッカーズの事務所に送ろうかと真剣に考えていた。
  • 日本に帰国後の高校時代、参加した「まみちゃんばんど」でヨーロッパ (バンド)の"The Final Countdown"などのハードロックや小比類巻かほるの"I'm Here"を歌っていた。
  • 小学校時代は柔道部、その後バスケットボール部、大学では馬術部と、学生時代は体育会系であった。
  • 大学の卒業論文のテーマはナサニエル・ホーソンの「緋文字(ひもんじ、The Scarlet Letter)」であった。
  • 1990年、B.B.クィーンズのオーディションで、「サファリナイト」と「たそがれマイラブ」を歌い合格した。
  • Mi-Ke時代の「BLUE MOONのように」を作詞・作曲した関ゆみ子(瀬木佑未子)は大学の同級生である。
  • Mi-Ke時代にウィンドサーフィンに凝っていて、逗子に通っていた。
  • Mi-Keを脱退後、某歌手のマネージャーアシスタントとなり、さらにオーディションを受け、ファンハウスというレコード会社で、アーティスト育成期間という枠組みの中で、元オフコースのディレクターのもとで音楽制作をした。一年間努力したが、レコード会社が納得できる作品が作れなかったため解約になり、その後、うどん屋、喫茶店、洋服店などで働いていた。
  • 2003年、香港の大プロデューサーAlvin Leongに会いに行って、歌い続ける勇気をもらった。
  • 駒場東大前の「ラーメン山手」のにんにくラーメンが大好きで、店に行けば大盛りを注文している。
  • シンガーソングライター鈴木結女は親友である。
  • ライブではアジアン・ポップスフレンチ・ポップスボサノヴァジャズなど、幅広い音楽を様々な国の言葉で歌っている。

脚注

関連項目

外部リンク