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2016年11月10日 (木) 18:26時点における版

小林 万里子(こばやし まりこ、1954年7月28日- )はブルースシンガーソングライター

1970年代後半のニューミュージック全盛期に、フォーライフレコードよりシングル「朝起きたら」でデビュー。ラジオの深夜番組でとりあげられ、有線放送で大ヒット。井上陽水プロデュースのシングルとアルバムをリリース。一時引退するが、桂枝雀主演の芝居に作・演出の早坂暁の指名で出演して復活。復刻盤CDがリリースされ、現在もライブ中心に活動。

経歴

デビューまで

神戸女学院中学部・高等学部をへて、早稲田大学に入学し、2ヶ月だけ通学。この時、兄の知人であるウーマンリブの女性活動家を通じて、榎美沙子と出会う。翌年、神戸大学に入学。釜ヶ崎の労働者の運動に参加したり、女性解放のサークルを結成したりする。軽音楽部に入るが、得意の下ネタの歌は拒否される。オリジナル曲「朝起きたら」など数曲をつくり、レコード会社に送る[1]

メジャーデビュー

1978年フォーライフレコードより、シングル「朝起きたら」でデビュー。有線放送で大ヒット。深夜放送で人気となる。2枚目シングル「れ・い・ぷ フィーリング」をリリースしたが、歌詞内容が問題となり、放送局で放送禁止となる。

1980年井上陽水プロデュースの3枚目のシングル「すんまへんのブルース」をフォーライフレコードよりリリース。

1981年フォーライフレコードより井上陽水プロデュースによるファーストアルバムをリリースするも、販売ルートに乗らず、封印作品となる。

1982年、芸能界引退。以後、11年間の空白期間を過ごす。

芸能界復帰・再評価

1993年桂枝雀主演の芝居に早坂暁の指名で出演。これをきっかけにシンガーとしての活動を再開。落語会などとのコラボレーションなど、幅広く活躍。

2003年1月20日ケンロードミュージックからファーストアルバムにシングル音源などを追加して、復刻盤CDがリリースされた。

2006年7月10日、復刻盤CD、再発売。

2007年12月27日放送禁止歌を特集したTBSラジオの特別番組「Taboo Songs2 蘇る封印歌謡」で「れ・い・ぷ フィーリング」が放送される[2]

2008年8月17日読売テレビの情報番組「マヨブラ流」に出演。ブラックマヨネーズ吉田敬小杉竜一をテーマに「ぶつぶつとハゲのブルース」を作詞・作曲し、披露した。

2009年8月17日フジテレビの音楽バラエティ番組『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』の「悩める人に届けたい歌スペシャル」で桑田佳祐が「朝起きたら」をカバー[3]

2012年2月18日TOKYO FMのラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』で特集され、すんまへんのブルース等数曲が番組で流れた。

脚注