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2016年11月10日 (木) 16:06時点における版
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中村容子(なかむら ようこ、1965年生[注 1])は、元アイドル歌手、タレント。別名義に大手容子がある[注 2]。
経歴
- 東京都内で生まれたが、すぐに埼玉県所沢市へ移った[2]。
- 4歳からピアノ教室に通う[3]。
- 小学1年生の3学期より国立音楽大学附属小学校に編入[2]。
- 中学・高校はそのまま一貫教育であったが、中学3年生のころからピアノを続けることに悩むようになる[4]。そのまま高校に進学するが中学以上に学校の雰囲気をつまらなく感じるようになり[2]、高校2年生の時に高校を退学することとなった[5]。一方、同時期に中学時代のボーイフレンドが彼女の写真を雑誌に投稿したことがきっかけで、コマーシャルへの出演依頼があり、芸能界の道に進むことになる[5]。この時のことを後にインタビュー[5]で「変化の時期って、なぜか色々重なりますよね」と振り返っている。
- 音楽学校出身であることと歌が大好きであったことから、橋本淳のもとで指導を受けながら歌手を目指すことになり、1984年3月23日、CBSソニーよりアイドル歌手「中村容子」としてデビュー[1]。デビュー曲は『ティーンエイジ・ソルジャー』であった。
- 1984年には、第13回[要検証 ]東京音楽祭国内大会で入賞した[6]。
- しかし売り上げが上がらず、事務所の方針によって4枚目のシングル『夏色マイハート』のリリース後にアイドル活動を終了した[6]。
- その後は、必殺仕事人V22話「主水、イッキ飲みする」のお妙役に始まり、1986年には超新星フラッシュマン」の主役(イエローフラッシュ/サラ役)を演じるなど、ドラマで活躍した[7]。
- 超新星フラッシュマン以降はしばらく仕事がなかったが、1988年1月に出身校の先生の紹介で、JRA-FMのキャスターを始めた[7]。その後、スポーツ新聞のコラム連載やオールナイト・フジの競馬コーナーに出演するなど競馬関連の仕事が広がり始めたが、1989年にFM制作関係者が贈収賄容疑により逮捕され、スタッフは解散、仕事がない状態となった[8]。
- その後、アメリカに渡り少しドラマに出演したりしたが、1992年[注 3]に芸能活動を引退した[8]。
- 引退理由について、後にオバタカズユキによるインタビューの中で「芸能界の楽しさも分かりかけていた頃だったが、疲れていたし、元々が音楽学校のピアノの緊張感から開放されてもう少し楽になりたかったので、これから一生芸能界の緊張の中で生きていきたいとは思えなかった」という趣旨の発言を残している[9]。また同じインタビューの中で芸能界復帰の可能性について聞かれて「誘われてもきっとやらないと答えると思う」旨を回答している[10]。
- 2012年3月17日、歌手時代に発表された全作品を含むアルバム『ショッキング・ドール18 +6』がソニーオーダーメイドファクトリー完全予約生産限定盤CDとして復刻された。
主な出演作品
テレビ
- ビートたけしのこにくらじいさん2(1984年12月10日、月曜ドラマランド)
- 必殺仕事人V(1985年、22話「主水、イッキ飲みする」)
- 電撃戦隊チェンジマン(1985年.ニジン星人アイラ役)
- 超新星フラッシュマン(1986年.イエローフラッシュ/サラ役)
- 意地悪ばあさん もう沖縄は夏の色の巻(1986年4月7日、月曜ドラマランド)
- ビートたけしのスポーツ大将(1986年9月23日、「'86秋のオールスター番組対抗スポーツ大将スペシャル」)
- 地球戦隊ファイブマン(1990年.百合子役)
映画
- 「劇場版 超新星フラッシュマン」(1986年.イエローフラッシュ/サラ役)
レコード
- 1st Single「ティーンエイジ・ソルジャー」(1984.3.23発売)
- 2nd Single「ショッキング・ドール」(1984.7.21発売)
- 3rd Single「ハートの色は海の色」(1984.12.1発売)
- 4th Single「夏色マイハート」(1985.6.21発売)
- 1st Album「ショッキング・ドール18」(LP、全10曲)(1984.7.21発売)
すべて、CBSソニー
CD
- ショッキング・ドール18+6(全16曲/2012.3.17)
- ソニーオーダーメイドファクトリー完全予約生産限定盤 発表曲全曲が収録されている。
- ソニー・ミュージックダイレクト
- ガールズ・イン・テーマソングス Blue(2枚組全36曲/2012.3.28)
- 「超新星フラッシュマン」の作中歌「ボディアクション、ダンスじゃないわよ」(作詞:冬杜花代子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:田中公平)が収録されている。戦隊シリーズの膨大な楽曲の中で、出演女優が歌う初のヒロインソングだった。
注釈
- ^ 1984年3月23日時点で19歳の誕生日の目前であった[1]ことから。
- ^ オバタカズユキ著『だから女は大変だ』のpp.21-34「アイドルしたから普通をみつけた、こと」節にて、「大手容子」名義でインタビューに答えている
- ^ デビューが1984年であり、芸能活動は8年間であった[8]ことから。
参考文献
- オバタカズユキ『だから女は大変だ』文藝春秋、1994年。ISBN 978-4163494807。
- 「巻末ワイド・スペシャル がんばれ!新鮮GALS大特集 このまぶしさに拍手!」『明星』第33巻第4号、集英社、1984年4月、189-190頁、全国書誌番号:00022977、NDLJP:1721948。
- ^ a b 『だから女は大変だ』、p.26
- ^ a b c 『明星』
- ^ 『だから女は大変だ』、p.21
- ^ 『だから女は大変だ』、p.23
- ^ a b c 『だから女は大変だ』、p.25
- ^ a b 『だから女は大変だ』、p.27
- ^ a b 『だから女は大変だ』、p.28
- ^ a b c 『だから女は大変だ』、p.29
- ^ 『だから女は大変だ』、p.30
- ^ 『だから女は大変だ』、p.31