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2016年11月6日 (日) 11:51時点における版

キム・ワンソン
基本情報
出生名 キム・ワンソン(김완선
別名 ダンシングクイーン,韓国のマドンナ
生誕 (1969-05-16) 1969年5月16日(55歳)
出身地 大韓民国の旗 韓国ソウル特別市
学歴 ハワイ大学
ジャンル K-POP、ダンスポップ
職業 歌手
担当楽器 ボーカルピアノ
活動期間 1986年 - 現在
レーベル ダオンマリエンターテイメント
公式サイト [1]

キム・ワンソン김완선、金完宣、1969年5月16日 - )は、韓国歌手。1980年代後半から1990年代初半にかけて韓国で絶大な人気を誇り、日本でもシルエット名義でデビューした。2011年に韓国歌謡界に復帰した。

来歴

1983年からイン・スニのバックダンサー・チーム「インスニとリズムタッチ」で活動していた彼女はキム・チャンワンに見出され1986年に「今夜(오늘밤)」でデビュー。ダンシング・クイーンと呼ばれるほどの高いダンス力を武器に、瞬く間に韓国最高のアイドルスターの地位を獲得し、ゴールデンディスク賞新人賞、KBS歌謡大賞新人賞を始め、その年の新人賞を総なめにする。また、日本テレビ朝日おはよう朝日ですにも出演して「今夜」を歌唱したこともある。

その後も順調にヒットを重ね、1987年から1991年まで5年連続でKBS歌謡大賞歌手賞を受賞するなど、韓国歌謡界最高の人気スターとして君臨する。中でも、1990年の「ピエロは私たちを見て笑うだろう(삐에로는 우릴 보고 웃지)」は100万枚の売上を記録し自己最大のヒットを記録する。1989年には、シルエットの名義で日本デビューも果たした。

1992年、今までのダンスポップのイメージからバラード色の強い「哀愁(애수)」を発表する。この年の11月以降韓国での活動を休止。韓国歌謡界から事実上の引退をした。しかし、本人は後に「引退宣言は企画された偽り引退だった」と明らかにした。[1]

1994年中国の台湾に拠点を移し3枚の北京語アルバムをリリースする。その後、1996年2002年2005年に韓国でアルバムをリリースして一時的ではあるが韓国歌謡界に復帰する。

2011年4月に初のEPアルバム「Super Love」で6年ぶりに復帰する。復帰後はミュージックバンク、開かれた音楽会、ショー!音楽の中心などに出演し、精力的に活動。10月には「Be Quiet」をリリース。この曲では、BEASTヨン・ジュンヒョンフィーチャリングで参加している。

ディスコグラフィー

韓国

中国の台湾

日本

受賞歴

  • ゴールデンディスク賞新人賞(1986年)
  • KBS歌謡大賞新人賞(1986年)
  • 月刊ハイティーン新人賞(1987年)
  • ゴールデンディスク授賞式本賞(1987年)
  • KBS歌謡大賞歌手賞(1987年)
  • KBS歌謡大賞歌手賞(1988年)
  • KBS歌謡大賞歌手賞(1989年)
  • ゴールデンディスク授賞式本賞(1990年)
  • KBS歌謡大賞歌手賞(1990年)
  • ゴールデンディスク授賞式本賞(1991年)
  • KBS歌謡大賞歌手賞(1991年)
  • MBC10大歌手歌謡祭歌手賞(1991年)
  • ゴールデンディスク授賞式本賞(1992年)
  • ABU国際歌謡祭 最優秀人気歌手賞(1995年)
  • SBS芸能大賞 新人賞(2015年)

脚注

  1. ^ 告白を売るキム・ワンソン

外部リンク