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2016年11月6日 (日) 10:17時点における版

パク・ジニョン
基本情報
別名 JYP
J.Y. Park
J.Y. Park "The Asiansoul"
生誕 (1971-12-13) 1971年12月13日(53歳)
大韓民国の旗 韓国 ソウル
出身地 大韓民国の旗 韓国 ソウル
学歴 延世大学校地質学科卒業
延世大学校大学院政治外交学科修士課程中退[1][2]
ジャンル K-POP
R&B
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 キーボード
活動期間 1992年 -
レーベル JYPエンターテインメント
事務所 JYPエンターテインメント
公式サイト jyp.jype.com
小室哲哉[3]
パク・ジニョン
各種表記
ハングル 박진영
発音: パク・ジニョン
ローマ字 Bak Jinyeong
本人表記: Park Jin-Young
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パク・ジニョン박 진영1971年12月13日 - )は、韓国の男性シンガーソングライター音楽プロデューサー演出家実業家である。音楽プロダクションJYPエンターテインメントの創業者で、godワンダーガールズらをスターダムに導いたことで知られる。名前は「パク・チニョン」「パク・ジンヨン」「朴鎭英」「朴軫泳」[注釈 1]と表記されることもある。

略歴

1972年、韓国ソウルで生まれる[4]。父親の転勤で小学1年生の時に渡米し、2年余りニューヨークに居住[5]。そこでブラックミュージックに触れて音楽にのめり込むようになり[6]。また高校生の頃、日本の桑田佳祐のスキップビートを聴きアジア人でも黒人音楽ができると衝撃を受けたと語っている[7][8]。これらの経緯から、延世大学校に入学後、歌手になることを決意する[9]

そして、1992年にグループ「パク・ジニョン・グァ・シンセデ」(パク・ジニョンと新世代)で念願の歌手デビューを果たすも、売れずに失敗し、再デビューのために受けたオーディションにも次々落選と挫折を味わう[10][11]。その後、歌手キム・ゴンモ(コンモ)のマネージャーに拾われ、コンモのバックダンサーを務めていた時に、コンモを手掛けていた人気プロデューサーのキム・ヒョンソクと知り合い意気投合[10]。ヒョンソクの家に転がり込み、2年ほどヒョンソクから音楽理論を学ぶ[9][10]。そして、1994年に今度はソロのR&B歌手として歌謡界に復帰すると、セクシャルな衣装とダンスで注目を集め、一躍人気者となった[4]。このいきさつはNHK番組のK-POP 青春グラフィティ(2010年)でも本人自らが語っている。

1997年には、それまで所属していたデヨンAV(のちのポイボス)から独立し、個人事務所「テホン企画」(のちのJYPエンターテインメント)を設立する[12][13]。同時にプロデュース活動も開始し[14]、R&Bやヒップホップ調の曲に家族愛など庶民的な内容の歌詞を付けて歌わせ、男性アイドルグループ「god」(ジーオーディー)を幅広い年齢層から支持される国民的グループに押し上げるなどの手腕を発揮[15][16]。その後も自社所属のワンダーガールスを人気歌手に育て上げ[16]、JYPエンターテインメントを韓国4大音楽プロダクションのひとつにまで成長させた[13]

2003年には米国に進出し、ロサンゼルスを拠点にプロデュース活動をスタートさせる[17][18]。つても無く苦労を強いられるも[9]、2004年にメイスの復帰作に曲を提供したのを皮切りに、キャシーウィル・スミスのプロデュースを手掛けるなどの実績を築いた[16]。日本でも活動し、AISMAPとコラボレーションを行った。

2007年にはプロデュース業のかたわら、約6年ぶりに歌手活動を再開し[16]、2008年には韓国の大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命され、2年の任期を務めている[1][19]

人物

制作姿勢
楽器を弾きながら歌う姿や、男女様々なアーティストをプロデュースし、自らを中心にファミリーの様に活動することから、「韓国の小室哲哉」と呼ばれることがある[3]。自身も小室の楽曲をよく聴いている事を公言していて、小室と対談した際、「私が初めて小室さんの音楽を聴いたのは、中学生のときでした。当時、日本の音楽を聴くことは、韓国で禁止されていたんです。闇市場のようなところで、『My Revolution』(歌:渡辺美里)を聴いたときの衝撃は大きかった。一体どんな人がこんなすごい音楽を作っているんだろうかと・・・。その方が今、目の前にいるんですね」と語っていた。
親類
1970年代に韓国で一世を風靡した大学生グループ・サウンズ「サンドペブルス」の初代リーダーで、盧武鉉政権時代に韓国大統領府農漁村秘書官を務めた官僚の尹彰培(ユン・ジャンベ)を母方の叔父に[20]新千年民主党民主党の代表を務めた政治家の朴相千(パク・サンチョン)を母方のいとこおじ(母方の祖母の甥、母親のいとこ)に持つ[21]
宗教
宗教は信仰していない。元はクリスチャンであったが、両親の信仰によって自らの信仰対象が決まったことを疑問に思うようになり、悩んだ挙句、無宗教となった[22]

エピソード

「韓流に太極旗を付けるな」
2007年、「韓流を文化的意思疎通として理解せず、ナショナリズムの枠にはめて『日本中国征伐』『韓国万歳』と言って生計を立てている人が韓国には多く、そのせいで周辺の国々では韓流に対する反発が起きている」と韓国のマスメディアや政界への批判を展開するとともに[23]、「商品に韓国国旗を付けて売っている現在の韓流は一方的であり、もう通用しなくなる」と韓流の問題点を指摘したことから[24]ネチズンや専門家から賛否両論が噴出した[25][26][27]
盗作疑惑
godのデビュー曲「オモニムケ」(お母様へ)は発表時、パク・ジニョンが制作したと発表していたが、のちに実は2パックの「ライフ・ゴーズ・オン」をサンプリングしたものであることが発覚し、クレジットが変更された[28]。これ以外にも、ことあるたびに盗作の疑いが掛けられている[29]

ディスコグラフィ

  • トトヌン シガン - 떠도는 시간 (1992年、「パク・ジニョン・グァ・シンセデ」〈박진영과 신세대〉名義)
  • 1集 ブルー・シティ - Blue City (1994年)
  • 2集 タンタラ - 딴따라 (1995年)
  • イッツ・ザ・タイム - It's the Time (1996年、全曲英語詞)
  • 3集 サマー・ジングル・ベル - 썸머징글벨 (1997年)
  • 4集 シムニョニ チナド… - 십년이 지나도... (1998年)
  • 5集 キス・ミー - Kiss Me (1998年)
  • 6集 ゲーム - Game (2001年)
  • 7集 バック・トゥ・ステージ - Back to Stage (2007年)
  • サッド・フリーダム - Sad Freedom (2009年、シングル)

テレビドラマ

書籍

主なプロデュース歌手

韓国歌手

韓国以外の歌手

  • AI - 「Too Much feat. Rain」(2006年)
  • ウィル・スミス - 「アイ・ウィッシュ・アイ・メイド・ザット」(I Wish I Made That)(2005年)
  • キャシー - 「ホエン・ユア・バディ・イズ・トーキング」(When Your Body Is Talking)(2006年)
  • SMAP - 「White Message」(2008年)、「Still U」(2008年)
  • メイス - 「ザ・ラヴ・ユー・ニード」(The Love You Need)(2004年)

脚注

注釈

  1. ^ 本人が会員の韓国音楽著作権協会 (KOMCA) と相互管理契約を結んでいる日本音楽著作権協会作品データベースには、「朴軫泳」として登録されている。

出典

  1. ^ a b ‘21세기형 집현전’ 청와대 미래기획위 출범” (朝鮮語). 대한민국 정책포털 Korea.kr(大韓民国政策ポータル). 문화체육관광부(文化体育観光部) (2008年5月13日). 2010年2月10日閲覧。
  2. ^ JYP” (朝鮮語). JYP Entertainment. 2010年2月10日閲覧。
  3. ^ a b 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2011年10月号より。
  4. ^ a b [스타 메이커] JYP 엔터테인먼트 박진영” (朝鮮語). 한국아이닷컴 한국일보(韓国アイドットコム 韓国日報). 인터넷한국일보(インターネット韓国日報) (2003年3月26日). 2008年12月10日閲覧。
  5. ^ 박진영, "키스는 섹스보다 강하다" (단독인터뷰)” (朝鮮語). 마이데일리(マイデイリー). 마이데일리 (2007年12月4日). 2008年12月10日閲覧。
  6. ^ 가수 박진영 "실패를 두려워 말고 도전하라"” (朝鮮語). 한국아이닷컴 한국일보(韓国アイドットコム 韓国日報). 인터넷한국일보(インターネット韓国日報) (2008年9月4日). 2008年12月10日閲覧。
  7. ^ NHK K-POP青春グラフィティ
  8. ^ K-POP 遙かなる記憶田月仙著 小学館
  9. ^ a b c [만물상] 박진영” (朝鮮語). 조선닷컴(朝鮮ドットコム). 디지틀조선일보(デジタル朝鮮日報) (2007年7月2日). 2008年12月1日閲覧。
  10. ^ a b c “[ t MAP] 박진영 (朝鮮語). 매거진t(マガジンt) (테이스트팩토리(テイストファクトリー)). (2007年10月30日). http://news.naver.com/main/read.nhn?oid=230&aid=0000002335 2010年2月10日閲覧。 
  11. ^ [양성희기자의헬로파워맨] CEO·가수·프로듀서 박진영” (朝鮮語). JOINS. 조인스닷컴(ジョインスドットコム) (2007年12月5日). 2008年12月10日閲覧。
  12. ^ `비` 소속사 JYP엔터, 코스닥 직상장 추진한다” (朝鮮語). 이데일리(イーデイリー). 이데일리 (2007年1月30日). 2008年12月10日閲覧。
  13. ^ a b 홍승성 JYP대표 "비 재계약문제는 월드투어 이후에" [설 특별인터뷰]” (朝鮮語). 마이데일리(マイデイリー). 마이데일리 (2007年2月17日). 2008年12月10日閲覧。
  14. ^ 박진영 “비가 월드스타? 아직은 아니죠”” (朝鮮語). 동아닷컴(東亜ドットコム). 동아닷컴 (2007年1月17日). 2008年12月10日閲覧。
  15. ^ [대중음악]돌아온 'god' 인기 대폭발…3집 나흘새 60만장 팔려” (朝鮮語). 동아닷컴(東亜ドットコム). 동아닷컴 (2000年11月6日). 2008年12月1日閲覧。
  16. ^ a b c d 박진영 "6년 만에 무대 서니 너무 떨려요"” (朝鮮語). 한국아이닷컴 주간한국(韓国アイドットコム 週刊韓国). 인터넷한국일보(インターネット韓国日報) (2007年12月19日). 2008年12月10日閲覧。
  17. ^ 가수 겸 작곡가 박진영 "저 이렇게 살아요"” (朝鮮語). 한국아이닷컴 스포츠한국(韓国アイドットコム スポーツ韓国). 인터넷한국일보(インターネット韓国日報) (2004年9月7日). 2008年12月10日閲覧。
  18. ^ [3040 일과 꿈]박진영/대중음악, 날 떠나지마” (朝鮮語). 동아닷컴(東亜ドットコム). 동아닷컴 (2003年2月12日). 2008年12月10日閲覧。
  19. ^ 李大統領「過去と戦っていては未来が犠牲に」”. Japanese JoongAngIlbo(中央日報日本語版). ジョインスドットコム (2008年5月15日). 2008年12月10日閲覧。
  20. ^ 쉘위댄스 실장, 샌드페블즈 비서관, 소림사 가족…” (朝鮮語). 청와대브리핑(青瓦台ブリーフィング). 청와대 (2006年6月14日). 2008年12月10日閲覧。
  21. ^ 민주당, 가수 박진영 영입 불발” (朝鮮語). 경향닷컴(京郷ドットコム) (2010年1月26日). 2010年2月10日閲覧。
  22. ^ 박진영 "기독교인들 전도 되새겨 봐야"...차인표 등과 대조” (朝鮮語). 스포츠조선(スポーツ朝鮮). 스포츠조선 (2007年7月30日). 2008年12月10日閲覧。
  23. ^ パク・ジニョンが挑発提案「韓流のレッテル剥がさねば」”. Japanese JoongAngIlbo(中央日報日本語版). ジョインスドットコム (2007年2月7日). 2008年12月10日閲覧。
  24. ^ “한류 버릴 각오해야 더 큰 성공 가능”” (朝鮮語). 조선닷컴(朝鮮ドットコム). 디지틀조선일보(デジタル朝鮮日報) (2007年5月31日). 2008年12月10日閲覧。
  25. ^ パク・ジニョンさん「韓流の中は民族過剰」に賛否”. Japanese JoongAngIlbo(中央日報日本語版). ジョインスドットコム (2007年2月8日). 2008年12月10日閲覧。
  26. ^ [사설] ‘민족주의로 먹고사는 사람 많다’” (朝鮮語). 인터넷서울신문(インターネットソウル新聞). 서울신문사(ソウル新聞社) (2007年2月9日). 2008年12月10日閲覧。
  27. ^ [사설] 대중문화 사업가 박진영씨한테 배울 것” (朝鮮語). 조선닷컴(朝鮮ドットコム). 디지틀조선일보(デジタル朝鮮日報) (2007年5月31日). 2008年12月10日閲覧。
  28. ^ 새해에도 가요계 표절논쟁 계속” (朝鮮語). 세계닷컴(世界ドットコム). 세계닷컴 (2007年1月9日). 2008年12月10日閲覧。
  29. ^ <박진영표절논란(2)>량현량하~god‥의혹의 역사” (朝鮮語). Newsis. 뉴시스(ニューシス) (2007年11月21日). 2008年12月10日閲覧。
  30. ^ 出演だけでなくプロデューサー兼演出家として共演者への直接指導も行っている。

関連項目

外部リンク