「若林ケン」の版間の差分
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*[http://ameblo.jp/kenwakabayashi/ 「わかばやしケン」若林ケンのブログ] |
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2016年11月6日 (日) 09:30時点における版
若林ケン | |
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出生名 | 若林恒雄 |
生誕 | 1945年3月12日(79歳) |
出身地 | 日本栃木県 |
ジャンル | シャンソンJ-POP |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
レーベル | Sony Music Direct (Japan) Inc. |
事務所 | Sony Music Direct (Japan) Inc. |
公式サイト | [1] |
若林ケン(わかばやしけん)は、日本のシャンソン歌手。1945年(昭和20年)、栃木県出身。
プロフィール
シャンソン喫茶「銀巴里」で「私は一人片隅で」を聴いたことをきっかけにシャンソンに目覚め、
1974年に新宿区歌舞伎町にバー「ペイトンプレイス」を開店、シャンソンを歌い始める。
1986年に辻村ジュサブロー(現辻村寿三郎)と出会い、人形舞とシャンソンのコラボレーションを行う。
1989年、つかこうへいに見出され、つか演出の舞台「今日子」で岸田今日子と共演。その後も「幕末純情伝」「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」と、つか芝居への出演は20年続いた。
1993年つか原作の映画「リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト」に出演。
2002年「ガラスの糸の上で」、04年「ボンボヤージュ」でフラメンコダンサー・長嶺ヤス子と共演。
2005年プライベートレーベルよりCDデビュー、TV、雑誌などのマスコミに「還暦でデビューした中高年に人気のシャンソン歌手」として大々的に取り上げられる。
2007年6月ソニーミュージックダイレクトより、阿久悠作詞のオリジナル曲「嘆きの天使」を含むアルバム「花束 Bouquet des chansons」でメジャーデビュー、2007年上半期の最年長メジャーデビューの記録となる。
2008年10月、同年代の阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲による「街角の母」をリリース。
2009年、河村シゲルの呼びかけで、戦後吉原私娼が残した文芸集「明るい谷間」の復刻プロジェクト、「あさき夢みし」に参加。同タイトルの書籍・音楽CD・ステージに参加。同タイトルCDは2009年9月9日発売。
その後、東京芸術劇場、サントリーホール、草月ホール等、劇場コンサートや、新宿シャンパーニュ、上野池之端Qui、新宿エトワール、銀座蛙たちなどのシャンソニエでライブ活動中。
師弟意識の強いシャンソン界において珍しい一匹狼的存在である。美声ではないが独特の濁声と、振幅の大きいヴィブラートを特徴とする唱法で、独自の世界を創り上げている。
ディスコグラフィー
- まるでお芝居のようだった・・・ (1994年 SE SYSTEM INC)廃版
- 若林ケン CHANSON THEATER (2005年3月、R-vision)
- CHANSON THEATER PRELUDE (2006年10月、R-vision)
- 花束 Bouquet des chansons (2007年6月、Sony Music Direct (Japan) Inc.)
- 雪が降る (2007年11月、Sony Music Direct (Japan) Inc.)
- 街角の母(2008年10月29日、Sony Music Direct (Japan) Inc.)
- あさき夢みし(2009年9月9日、Aaronfield)
関連書籍
- 吉岡逸夫「嘆きの天使 魂のシャンソン歌手 若林ケン - 僕は一人の娼婦になる」(KKロングセラーズ)
- 河村シゲル・若林ケン「あさき夢みし」(大洋図書)