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2016年10月17日 (月) 13:54時点における版
高木 英一 | |
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出生名 | 高木 英一 |
別名 |
高木 タマ 球事 喜八郎 |
生誕 | 1952年3月15日(72歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 | 立教高等学校 卒業 |
ジャンル |
ロック パンク・ロック 歌謡曲 |
職業 | ミュージシャン、歌手 |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1972年 - |
レーベル |
キングレコード 徳間ジャパン |
事務所 |
アミューズ 近田春夫事務所 |
共同作業者 |
近田春夫 恒田義見 ザ・ぼんち 野元貴子 |
高木 英一(たかぎ えいいち、1952年3月15日 - )は、日本のミュージシャンである。近田春夫&ハルヲフォンのベーシストとして知られる。
人物・来歴
1952年(昭和27年)、東京都に生まれる。立教高等学校時代の同級生に高橋幸宏がいた[1]。
1972年(昭和47年)、「ゲッセマネ」というバンドでベースを弾いていたが、高校の先輩の恒田義見に誘われ、近田春夫に説得され、ゲッセマネを辞めてハルヲフォン(のちの近田春夫&ハルヲフォン)に加入した[1]。1975年(昭和50年)、ハルヲフォンの企画盤シングル『FUNKYダッコNo.1』でレコードデビューを果たす[2]。同バンドのメンバーとして、TBSテレビ『ぎんざNOW!』に近田らとともにレギュラー出演、同時期である1977年10月に放送開始した『近田春夫のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にも、レギュラー出演し、『恋のグンギンナイト』などを近田と合唱していた[3]。1978年(昭和53年)、ハルヲフォンのアルバム『電撃的東京』に収録された、山本リンダのカヴァー曲『きりきり舞い』でリードヴォーカルをとり、この曲は『きりきりまい』として、シングルカットされた[4]。
1979年(昭和54年)、ハルヲフォンが解散になると、同年1月に解散したバンド・ガールズのイリア (奥野敦子)とバンドを組む[1]。バンド名はたまたまセッションバント、やがてイリアは近田から声をかけられ、同年8月、近田春夫&BEEFの結成に参加していく。高木は、翌1980年(昭和55年)、榊原郁恵のバックバンドのギタリスト山津とおる、ウガンダ・トラの実弟でドラマーの佐藤昭二と3人でスリーピースバンド「ストライク」というバンドを結成したが、半年ほどで活動を停止した。同年には、伊藤政則、大貫憲章、小倉エージ、森直也ら音楽評論家たちが「Do it OURSELVES」を結成、キングレコードからアルバム『評論家ロック』を出すが、このとき、楽曲提供と演奏で参加した。
1981年(昭和56年)3月21日、近田がプロデュースするザ・ぼんちのセカンドシングル『ラヂオ - New Musicに耳を塞いで』のB面『噂のドンブリカンジョー』に作詞・作曲で参加した。また同年、イリアのいたガールズのリタ(野元貴子)の新バンドピンナップスのデビューシングルを近田がプロシュースしたが、デビューアルバム『ピンナップス』(Invitation)は高木がプロデュースした。
ピンナップス解散後の1983年(昭和58年)、野元と近田とともに3人で、スリーピースバンド「ゲートボール」を結成、シングル『スマートなゲートボール』と同名のアルバム『スマートなゲートボール』の2枚をリリースした。
2006年(平成18年)6月15日には、発掘されたライヴ音源を集めたCDアルバム『近田春夫&ハルヲフォンLIVE! 1975 - 77』がインディーズのCARAWAY RECORDSから発売され、それに先立つ同年4月29日 - 30日には、近田・恒田と3人で、近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド名義で再結成、ライヴ活動を行った。
ディスコグラフィ
シングル
- FUNKYダッコNo.1 1975年発売 (キングレコード) - デビューシングル、「ハルヲフォン」名義
- シンデレラ 1976年7月発売 - 近田春夫&ハルヲフォン名義
- 恋のT.P.O. 1976年発売 - 近田春夫&ハルヲフォン名義
- ロキシーの夜 1977年8月21日発売 - A面近田春夫名義、B面近田春夫&ハルヲフォン名義 - ラストシングル
- きりきりまい 1978年発売 - 事実上の近田春夫&ハルヲフォン名義ラストシングル
- 恋のグンギン・ナイト 1979年発売予告 - 実現しなかった近田春夫&ハルヲフォン名義シングル
- ラヂオ - New Musicに耳を塞いで 1981年3月21日発売 - ザ・ぼんち、B面『噂のドンブリカンジョー』作詞・作曲
- スマートなゲートボール 1983年発売 (徳間ジャパン) - ゲートボール名義
アルバム
- COME ON LET'S GO 1976年6月21日発売 (キングレコード) - 近田春夫&ハルヲフォン名義、1989年10月21日、2004年4月7日、CD再発売 (キングレコード)
- ハルヲフォン・レコード 1977年9月発売 (キングレコード) - 近田春夫&ハルヲフォン名義、1989年10月21日、2004年4月7日、CD再発売 (キングレコード)
- 電撃的東京 1978年6月21日発売 (キングレコード) - 近田春夫&ハルヲフォン名義、1989年3月21日、1992年11月21日、1995年11月22日、2004年4月7日、CD再発売 (キングレコード)
- 評論家ロック 1980年発売 (キングレコード) - Do it OURSELVES、楽曲提供と演奏
- ピンナップス 1981年発売 (Invitation) - ピンナップス、プロデュース
- スマートなゲートボール 1983年9月発売 (徳間ジャパン) - ゲートボール名義、1991年4月25日、CD再発売
- ハルヲフォン・メモリアル - 近田春夫&ハルヲフォン名義、未発表音源、1994年6月22日、CD発売 (キングレコード)
- 近田春夫&ハルヲフォンLIVE! 1975 - 77 - 近田春夫&ハルヲフォン名義、未発表ライヴ音源、2006年6月15日、CD発売 (CARAWAY RECORDS)
- リメンバー・グループ・サウンズ - 近田春夫&ハルヲフォン名義、1976年11月録音の未発表音源、一部『ハルヲフォン・メモリアル』に所収、2008年9月26日、CD発売 (キングレコード)
楽曲提供
フィルモグラフィ
註
- ^ a b c 恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「ハルヲフォン誕生」(2008年12月14日付)の記述を参照。
- ^ 「FUNKYダッコNo.1」の項、および「近田春夫&ハルヲフォン」の項の記述を参照。
- ^ 「近田春夫のオールナイトニッポン」の項の記述を参照。
- ^ 「きりきり舞い」の項の記述を参照。
関連項目
外部リンク
- 近田春夫 - Yahoo! ミュージック(ウェイバックマシン) - ハルヲフォン時代に関して