「アイヴァン・クラール」の版間の差分
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2016年10月17日 (月) 13:53時点における版
アイヴァン・クラール | |
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Ivan Kral (2011) | |
基本情報 | |
生誕 | 1948年 |
出身地 | チェコスロバキア プラハ |
ジャンル | ロック、パンク・ロック |
職業 | ギタリスト、シンガーソングライター、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ギター、ボーカル |
共同作業者 | パティ・スミス、イギー・ポップ |
公式サイト | www.ivankral.net |
アイヴァン・クラール[1](Ivan Kral、1948年 - )は、チェコ(出生当時はチェコスロバキア)出身のギタリスト、シンガーソングライター。アメリカに渡り、主にニューヨーク・パンクのシーンで活動。1994年にはチェコに戻る。
来歴
プラハ出身。1960年代中期にはSazeというバンドのメンバーとして活動するが、1968年にはチェコ事件の影響でアメリカのニューヨークに移る。1971年から1972年にかけて、アップル・レコードで働いていた[2]。
ブロンディの前身バンドであるAngel and the Snakeに短期間籍を置いた後[3]、パティ・スミスと出会い、1975年から1979年にかけて、パティのサポート・ギタリストとして活動。作曲面でも貢献し、パティとアイヴァンが共作した「Dancing Barefoot」(1979年のアルバム『ウェイヴ』に収録)は、後にU2やシンプル・マインズ等にカヴァーされた。また、1976年公開のドキュメンタリー映画『ブランク・ジェネレーション』では監督を務めた[4]。
パティが結婚のため引退すると、アイヴァンはイギー・ポップのサポート・ギタリストとなり、イギーとアイヴァンが共作した「Bang Bang」は、後にデヴィッド・ボウイが『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』でカヴァーした。また、ジョン・ウェイトのアルバム『Ignition』(1982年)にも参加。1980年代中期にはEastern Blocというバンドを結成し、1987年にセルフ・タイトルのアルバムを発表。
1994年、故郷のプラハに戻る。1995年にはノエル・レディングのプラハ公演に参加し、当時のライヴ音源は、後にライヴ・アルバム『Live from Bunk R - Prague』として発表された[5]。
1996年、初のソロ・アルバム『Nostalgia』発表。その後は、主にソングライターや音楽プロデューサーとして活動し、Trinyという女性コーラス・グループのデビュー作『Gipsy Streams』(2001年)等を手がけた。
ディスコグラフィ
パティ・スミス
- ホーセス - Horses(1975年)
- ラジオ・エチオピア - Radio Ethiopia(1976年)
- イースター - Easter(1978年)
- ウェイヴ - Wave(1979年)
イギー・ポップ
- ソルジャー - Soldier(1980年)
- パーティ - Party(1981年)
ソロ・アルバム
- Nostalgia(1996年)
脚注
- ^ 日本で広く使用されている表記は、英語読みに基づくアイヴァンだが、一部資料では原語読みに準じたイワンと表記されることもある
- ^ 公式サイト内Biography
- ^ Ivan Král : AllMusic - Biography by Greg Prato
- ^ The Blank Generation(1976)(IMDb.com)
- ^ Live from Bunk R - Prague - Noel Redding : Songs, Reviews, Credits, Awards : AllMusic