「ジョー・ボナマッサ」の版間の差分
Ichiromiami (会話 | 投稿記録) |
|||
97行目: | 97行目: | ||
[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]] |
[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国のシンガーソングライター]] |
[[Category:アメリカ合衆国のシンガーソングライター]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国のロック歌手]] |
|||
[[Category:ニューヨーク州オナイダ郡出身の人物]] |
[[Category:ニューヨーク州オナイダ郡出身の人物]] |
||
[[Category:1977年生]] |
[[Category:1977年生]] |
2016年10月17日 (月) 13:53時点における版
ジョー・ボナマッサ | |
---|---|
ジョー・ボナマッサ | |
基本情報 | |
生誕 | 1977年5月8日(47歳) |
出身地 | アメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカ |
ジャンル | ブルース、ロック |
職業 | ギタリスト、シンガーソングライター |
担当楽器 | ギター |
共同作業者 | ブラッドライン |
公式サイト | http://www.jbonamassa.com |
ジョー・ボナマッサ(Joe Bonamassa、1977年5月8日-)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカ出身のギタリスト、シンガーソングライターである。
来歴
11歳の頃、カントリー・ミュージシャンのダニー・ガットンの下で、カントリーやジャズ、ハードロックについて学び、度々ガットンのバンドにも加わっていった。翌年にはB.B.キングの前座を務めるようにもなった。14歳になって、フェンダーギターのイベントに参加して、その時にベリー・オークリー・ジュニアと出会った。ボナマッサとオークリーは、マイルス・デイヴィスの息子であるエリンと、ロビー・クリーガーの息子であるウェイロンを誘って、ブラッドラインを結成した。彼らはアルバム1作とヒット・シングルを2作発売し、すぐに解散した。
2000年に、トム・ダウドによるプロデュースの下、ア・ニュー・デイ・イエスタデイと共にソロデビューを果たした。すぐに、ドラマーのケニー・クラーム、及びベーシストのエリック・ザー共に、プロモーションツアーを行った。
ツアーを終えると、すぐに2作目のアルバム『ソー・イッツ・ライク・ザット』をクリフ・マグネスをプロデューサーに迎え、制作に取り掛かる。このアルバムは、前作よりも古いロックの要素を取り入れたこのアルバムは、ビルボードのブルース・チャートでは1位となった。
2003年に発売した3作目の『ブルース・デラックス』は、好意的な評価を得た。この年はアメリカ合衆国議会によってブルースの年と定められており、その事実を支えるために発売された。収録されたうち9曲が古いブルースの曲であり、ボナマッサの自作曲は3作のみであった。前作と同じく、ビルボードのブルース・チャートで1位を得た。
2005年に発売したハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイでは、ソー・イッツ・ライク・ザットのような古いロックの要素を改めて取り入れた。2005年後半になり、それまで共にしてきたバンドと決別して、新たにベーシストとしてマーク・エプスタイン、そしてケニー・ウェイン・シェパードのドラマーであったボギー・ボウルズと組んだ。
2006年には、5作目のアルバム『ユー・アンド・ミー』を発売した。このアルバムでは、ジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムなど、著名なスタジオ・ミュージシャンを数名起用した。ビルボードのブルース・チャートで1位を獲得した。
スロー・ジンは、2007年8月の発売から10週以上に渡って、ビルボードのブルース・チャートに残った。今までのアルバムとは異なり、ここではアコースティック・ギターを使用した楽曲が増えている。この時期には、ツアーバンドのベーシストがカルミネ・ロハスへと変わり、リック・メリックがキーボードとして加わった。彼らは、ユー・アンド・ミーとスロー・ジンの録音にも参加した。
2008年11月9日、イギリスの冠ラジオ番組「ポール・ジョーンズ・ラジオ・アワー」が放送された。番組では、B.B.キング、マディ・ウォーターズ、ロリー・ギャラガー、そしてエリック・クラプトンなどを流した。11月、ボナマッサは翌年5月4日にロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートを発表し、チケットは1週間で完売した。彼はこのコンサートを「20年間のキャリア総括」と表現した。
このロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートで、ボナマッサは初めて学んだ曲が「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」であったと話して、エリック・クラプトンと共に演奏した。またボナマッサは、自分の曲をかけてくれた冠番組への讃辞を送り、マンフレッド・マンのメンバーであったポール・ジョーンズが1曲にハーモニカで参加した。ボナマッサはこの日が人生最良の日であるとして、共に過ごした観客へ感謝の念を示した。
2011年3月11日に起こった東日本大震災に伴い、同年5月10日に東京で予定されていたコンサートを中止した。後に9月19日に振替公演が行われた。
日本公演
- 2008年
- 12月16日(火)東京 ヤマハ・アコースティックギター・クリニック[1]
- 2009年
- 2010年
- 4月7日(水)LIQUIDROOM
- 4月8日(木)BIG CAT
- 2012年
- 9月19日(水)日本青年館 大ホール
ディスコグラフィー
2008年までの作品は邦盤が発売されていないので、それまでの作品に関しては公式の邦題は存在しない。
ブラッドライン
- ブラッドライン - Bloodline(1994年)
ジョー・ボナマッサ
- ア・ニューデイ・イエスタデイ - A New Day Yesterday(2000年)
- ソー・イッツ・ライク・ザット - So, It's Like That(2002年)
- ア・ニューデイ・イエスタデイ ライヴ - A New Day Yesterday, Live(2002年)
- ブルース・デラックス - Blues Deluxe(2003年)
- ハトゥ・トゥ・クライ・トゥデイ - Had to Cry Today(2004年)
- ユー・アンド・ミー - You & Me(2006年)
- スロー・ジン - Sloe Gin(2007年)
- シェパーズ・ブッシュ・エンパイア - Shepherds Bush Empire(2007年)
- ライヴ・フロム・ノーウェア・イン・パティキュラー - Live from Nowhere in Particular(2008年)
- ザ・バラード・オブ・ジョン・ヘンリー - The Ballad of John Henry(2009年)
- ザ・ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ - The Best of Joe Bonamassa(日本のみ)(2009年)
- ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール - Live from the Royal Albert Hall(2009年)
- ブラック・ロック - Black Rock(2010年)
- ダスト・ボウル - Dust Bowl(2011年)
- ドント・エクスプレイン - Don't Explain(ベス・ハートとの共作)(2011年)
- ドライビング・タワーズ・ザ・デイライト - Driving Towards the Daylight(2012年)
ブラック・カントリー・コミュニオン
- ブラック・カントリー - Black Country(2010年)
- 2(2011年)
- ライヴ・オーヴァー・ヨーロッパ - Live Over Europe(2012年)