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2016年10月17日 (月) 13:14時点における版
ウォン・カークイ | |
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出生名 | 黄家駒 |
生誕 |
1962年6月10日 イギリス領香港 |
死没 |
1993年6月30日(31歳没) 日本 東京都女子医科大学病院 |
ジャンル | ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル、ギター |
活動期間 | 1983年 - 1993年 |
レーベル | FUN HOUSE |
事務所 | ソニー・ミュージックエンタテインメント |
ウォン・カークイ(黄家駒、Wong Ka Kui、コマ・ウォン、Koma Wong、1962年6月10日 - 1993年6月30日)は香港のミュージシャン。ロックバンド、BEYONDのリーダーである。
来歴
1983年、BEYONDを結成して大半の楽曲を作曲していた。1986年、レコードデビューして香港を代表するロックバンドとなり、シンガポール、マレーシア、台湾などでも活動。香港の80年代後半から90年代前半の音楽シーンにおいて活躍した。
1991年来日、1992年日本デビューする。「The Wall~長城~」は『進め!電波少年』(日本テレビ)のオープニングテーマ曲に使われた。
1993年6月24日午前1時15分、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ)の収録中に約3メートルの高さの台から転落して頭を強打し、意識不明のまま病院に搬送され、6月30日午後4時15分、東京女子医科大学病院で31歳で死去する。31歳の誕生日から20日後だった。内村光良も転落して負傷し(詳細は同番組の項を参照)、同番組は打ち切りとなる。家駒の死は中華圏で新聞一面に大々的に取り上げられた[1][2][3]。テレビでも連日のように特別番組が放送され、CDも売り切れが続出することとなった。
2008年5月、香港の芸能人協会はテレビ・ラジオ局などと協力し、四川大地震被災者に向けた応援ソング「承諾」をレコーディングした。「承諾」は家駒が作曲した「海闊天空(日本語版タイトル:遥かなる夢に~Far away~)」に、アンディ・ラウが新たに歌詞をつけたものである[4]。2008年6月10日、家駒の誕生日、逝去15周年を記念して、香港コンベンション&エキシビジョンセンターでコンサートが開かれた[5]。同日、「BEYOND黄家駒・没後15年記念展」が香港で開催され、収益金は家駒名義で募金された。スティーブ・ウォン(家駒の実弟でBEYONDのメンバー)は「このコンサートでは、兄の歌声を真似て未発表曲すべてを歌いたい」と語った。メンバーの黄貫中(ポール・ウォン)と葉世栄(ウィング・イップ)にも出演を呼びかけるという。ささやかれる不仲説については「確かにメンバー同士の揉め事があって、それはお互いに矛盾点を感じているから。すぐに解決できるとは思わないけど、20年以上も共に活動した音楽仲間には変わりない」と語った[6]。
日本語アルバム
代表歌
日本語
広東語
- 海闊天空、情人、爸爸媽媽、命運是你家(1993年5月)
- 長城、遙望、早班火車(1992年8月)
- Amani、不再猶豫(1991年9月)
- 光輝歲月、戰勝心魔(1990年9月)
- 無悔這一生(1989年12月)
- 真的愛妳(1989年7月)
- 大地、喜歡你(1988年9月)
- 舊日的足跡(1988年3月)
出演作品
香港出演の映画
テレビドラマ
脚注
- ^ “『永遠に家駒をしのびます』コンサート”. 商業放送主催、取材無綫電視. (1993年7月4日)
- ^ “黄家駒の出棺する過程”. 亜州電視と無綫電視のニュース. (1993年7月5日)
- ^ “黄家駒の埋葬する過程”. 無綫電視のニュース. (1993年7月5日)
- ^ “香港スター200人が被災者応援歌 Beyond名曲で”. Searchina. (2008年5月16日)
- ^ “Beyond黄家駒の逝去15周年でコンサート”. Searchina. (2008年6月12日)
- ^ “「Beyond黄家駒・没後15年記念展」香港で開催”. Searchina. (2008年4月25日)