コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「崔昌鎬」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
+複数の問題 / 情報源明示なきままの独自研究が非常に目立つ、特に来歴はBoxRec出典による戦績記録以外の試合運びなどの内容が明らかに何らかの別情報源を元に書かれている
編集の要約なし
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
{{複数の問題
|単一の出典=2016年8月
|独自研究=2016年8月
}}
{{Boxing statsbox
{{Boxing statsbox
|name=崔昌鎬
|name=崔昌鎬
25行目: 21行目:
|}}
|}}


'''崔昌鎬'''('''ChangHo Choi'''、男性、[[1964年]][[2月10日]]{{Sfn|BoxRec}} - )は、[[大韓民国|韓国]]の[[プロボクサー]]。[[ソウル特別市|ソウル]]出身{{Sfn|BoxRec}}。第6代[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[フライ級]]王者。当初は技巧派の選手だったが3年間のブランクで強打を兼ね備えた選手に成長した。KO負けが[[カオサイ・ギャラクシー]]に喫した試合のみでタフさを誇った。[[1987年]]9月5日、初のアウェー試合でIBF世界フライ級王者[[ドディ・ボーイ・ペニャロサ]]との対戦で一方的に試合を進められていたが{{要出典範囲|最後の最後に一撃で仕留めて逆転しての戴冠試合は有名|date=2016年8月28日 (日) 11:42 (UTC)}}<!-- ◆編注:匿名利用者の脳内記憶ではなく、はっきりとした出典情報源を元に加筆して下さい。 -->。1987年に韓国が替え玉挑戦者事件が追い打ちをかけてIBFを脱退して以降崔が最後の韓国人IBF世界王者として知られている(王座獲得と初防衛戦はいずれもアウェー試合)。
'''崔昌鎬'''('''ChangHo Choi'''、男性、[[1964年]][[2月10日]] - )は、[[大韓民国|韓国]]の[[プロボクサー]]。[[ソウル特別市|ソウル]]出身。第6代[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[フライ級]]王者。当初は技巧派の選手だったが3年間のブランクで強打を兼ね備えた選手に成長した。KO負けが[[カオサイ・ギャラクシー]]に喫した試合のみでタフさを誇った。[[1987年]]9月5日、初のアウェー試合でIBF世界フライ級王者[[ドディ・ボーイ・ペニャロサ]]との対戦で一方的に試合を進められていたが最後の最後に逆転しての戴冠試合は有名。1987年に韓国が替え玉挑戦者事件が追い打ちをかけてIBFを脱退して以降崔が最後の韓国人IBF世界王者として知られている(王座獲得と初防衛戦はいずれもアウェー試合)。


== 来歴 ==
== 来歴 ==

* 1982121日、崔はプロデビューで4回判定負けを喫した{{Sfn|BoxRec}}
* 1985713日、崔は3年ぶりの復帰として黄三黄と対戦し3KO勝ち収め3年越の初白星を挙げた。
[[1982]]121日、崔はプロデビューで4判定負けし白星でデビュー飾れなかった。

* 1986年518日、林賢士と対戦し8判定負け喫した。
* 19861214日、朴寸青と対戦し2回KO勝ちを収めた。
[[1985]]713日、崔は3年ぶりの復帰戦として黄三黄と対戦し3回KO勝ちを収め3年越しの初白星を挙げた。

* 1987年2月22日、韓国[[フライ級]]王者藩蔡鄭と対戦し10回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
[[1986]]518日、林賢士と対し8回判定負けを喫した。
* 1987年9月5日、[[マニラ]][[ケソン]]の[[アラネタ・コロシアム]]で[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界フライ級王者[[ドディ・ボーイ・ペニャロサ]]と対戦。試合はペニャロサの技巧に一方的に試合を支配されたが11回に一撃でダウンを奪いそのままカウンテッドアウトで試合終了。11回2分7秒大逆転KO勝ちを収め王座獲得に成功した。

* 1988年1月16日、マニラのリザール・メモリアル・スポーツ・コンプレックスで[[ローランド・ボホール]]と対戦し15回1-2(141-144、142-145、147-143)の判定負けを喫し初防衛に失敗し王座から陥落した。
1986年1214日、朴寸青と対戦し2KO勝ち収めた。
* 1988年10月9日、ソウルのシェラトン・ウォーカー・ヒル・ホテルで[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフライ級]]王者[[カオサイ・ギャラクシー]]と対戦したがキャリア初のKO負けとなる8回56秒TKO負けを喫し2階級制覇に失敗した。

* 1989年12月23日、1年2ヶ月ぶりの復帰戦で[[フェリックス・エネーロ]]と対戦し8回判定負けを喫した試合を最後に25歳の若さで現役を引退した。
[[1987年]]2月22日、韓国[[フライ級]]王者藩蔡鄭と対戦し10回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1987年9月5日、[[マニラ]][[ケソン]]の[[アラネタ・コロシアム]]で[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界フライ級王者[[ドディ・ボーイ・ペニャロサ]]と対戦。試合はペニャロサの技巧に一方的に試合を支配されたが11回に逆転し11回2分7秒大逆転KO勝ちを収め王座獲得に成功した。

[[1988年]]1月16日、マニラのリザール・メモリアル・スポーツ・コンプレックスで[[ローランド・ボホール]]と対戦し15回1-2(141-144、142-145、147-143)の判定負けを喫し初防衛に失敗し王座から陥落した。

[[1988年]]10月9日、ソウルのシェラトン・ウォーカー・ヒル・ホテルで[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[スーパーフライ級]]王者[[カオサイ・ギャラクシー]]と対戦したがキャリア初のKO負けとなる8回56秒TKO負けを喫し2階級制覇に失敗した。

[[1989年]]12月23日、1年2ヶ月ぶりの復帰戦で[[フェリックス・エネーロ]]と対戦し8回判定負けを喫した試合を最後に25歳の若さで現役を引退した。


== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==
43行目: 48行目:


== 脚注 ==
== 脚注 ==
; 出典
{{Reflist}}
{{Reflist}}
; 参考文献
* {{Cite web|url=http://boxrec.com/boxer/025128|title=ChangHo Choi|publisher=[[BoxRec]]|accessdate=2016-8-28|Ref={{SfnRef|BoxRec}}}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2016年8月28日 (日) 13:46時点における版

崔昌鎬
基本情報
本名 崔昌鎬
階級 スーパーフライ級
身長 168cm
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
誕生日 (1964-02-10) 1964年2月10日(60歳)
出身地 ソウル
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 20
勝ち 15
KO勝ち 12
敗け 5
引き分け 0
無効試合 0
テンプレートを表示

崔昌鎬ChangHo Choi、男性、1964年2月10日 - )は、韓国プロボクサーソウル出身。第6代IBF世界フライ級王者。当初は技巧派の選手だったが3年間のブランクで強打を兼ね備えた選手に成長した。KO負けがカオサイ・ギャラクシーに喫した試合のみでタフさを誇った。1987年9月5日、初のアウェー試合でIBF世界フライ級王者ドディ・ボーイ・ペニャロサとの対戦で一方的に試合を進められていたが最後の最後に逆転しての戴冠試合は有名。1987年に韓国が替え玉挑戦者事件が追い打ちをかけてIBFを脱退して以降崔が最後の韓国人IBF世界王者として知られている(王座獲得と初防衛戦はいずれもアウェー試合)。

来歴

1982年12月1日、崔はプロデビュー戦で4回判定負けを喫し白星でデビューを飾れなかった。

1985年7月13日、崔は3年ぶりの復帰戦として黄三黄と対戦し3回KO勝ちを収め3年越しの初白星を挙げた。

1986年5月18日、林賢士と対戦し8回判定負けを喫した。

1986年12月14日、朴寸青と対戦し2回KO勝ちを収めた。

1987年2月22日、韓国フライ級王者藩蔡鄭と対戦し10回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1987年9月5日、マニラケソンアラネタ・コロシアムIBF世界フライ級王者ドディ・ボーイ・ペニャロサと対戦。試合はペニャロサの技巧に一方的に試合を支配されたが11回に逆転し11回2分7秒大逆転KO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1988年1月16日、マニラのリザール・メモリアル・スポーツ・コンプレックスでローランド・ボホールと対戦し15回1-2(141-144、142-145、147-143)の判定負けを喫し初防衛に失敗し王座から陥落した。

1988年10月9日、ソウルのシェラトン・ウォーカー・ヒル・ホテルでWBA世界スーパーフライ級王者カオサイ・ギャラクシーと対戦したがキャリア初のKO負けとなる8回56秒TKO負けを喫し2階級制覇に失敗した。

1989年12月23日、1年2ヶ月ぶりの復帰戦でフェリックス・エネーロと対戦し8回判定負けを喫した試合を最後に25歳の若さで現役を引退した。

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

前王者
ドディ・ボーイ・ペニャロサ
第6代IBF世界フライ級王者

1987年9月6日 - 1988年1月16日

次王者
ローランド・ボホール